2025年6月10日火曜日

スティーヴィー・ワンダー

 スティーヴィー・ワンダー Stevie Wonder


モータウン→スティーヴィー・ワンダー



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【海外の反応】「日本のピアノだけおかしい…」盲目のスティーヴィー・ワンダーが日本のピアノに号泣した理由

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ヤマハ GX-1 シンセサイザー

The Jazz Soul of Little Stevie


ウィキペディア


 ステヴランド・ハーダウェイ・モリス(英語: Stevland Hardaway Morris、出生名 : ステヴランド・ハーダウェイ・ジャドキンス(英語: Stevland Hardaway Judkins)、1950年5月13日 - )は、スティーヴィー・ワンダー(英語: Stevie Wonder)の名で知られるアメリカ合衆国のシンガーソングライター、音楽プロデューサーである。ボーカルをメインに、ハーモニカ、クラヴィネットなど様々な楽器を演奏するマルチ・インストゥルメンタリストである。11歳の時にモータウンのTamlaレーベルと契約して以来、現在までモータウン一筋に活動する。30曲以上のU.S.トップ10ヒットを放ち、計22部門でグラミー賞を受賞、最も受賞回数の多い男性ソロ・シンガーである[7]。


「ローリング・ストーンの選んだ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第9位[8]。


「ローリング・ストーンの選んだ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第15位。「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第34位[9]。


代表曲に「太陽の当たる場所」「マイ・シェリー・アモール」「迷信」「サンシャイン」「ハイアー・グラウンド」「悪夢」「レゲエ・ウーマン」「回想」「愛するデューク」「マスター・ブラスター」「ハッピー・バースデイ」「ザット・ガール」「ガッタ・ハブ・ユー」など多数。



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A Place in the Sun - 太陽の当たる場所 - Lyrics - 日本語訳詞 - YouTube

※「日の当たる場所」=聖域、を心の中にイメージする

 そして、気持ちが沈んだ時は、イメージでリフレッシュする

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経歴

キャルヴィン・ジャドキンスとルーラ・メイ・ハーダウェイ(1930〜2006)の6人の子供の内、3人目の子供として1950年、ミシガン州サギノーに生まれた。6週間の早産で生まれ、保育器内での過量酸素が原因で生まれてすぐに目が見えなくなる(未熟児網膜症、全盲ではなく、光の方向を把握できないが明暗は分かるという)。スティーヴィーが4歳の時に、彼の母親は父親を置いて、子供とともにデトロイトに移住する。母親は名前を旧姓に戻すと共に、その後に子供たちの苗字を彼女の親類にあやかってモリスとした。現在でも、スティーヴィーの法律上の名前はモリスとなっている。幼い頃からピアノやハーモニカ、ベースを演奏していたという。歌手としてのキャリアーは友達と一緒に歌う様になったのが最初で、スティーヴィー&ジョンとして街角や、時にはパーティーやダンスなどのイベントでもパフォーマンスをしていた。


 11歳の時、自身で作曲した「Lonely Boy」をミラクルズのロニー・ワイトの前で歌い、ワイトはスティーヴィーと彼の母親をモータウンへのオーディションに連れて行く。社長であるベリー・ゴーディ の前で歌と演奏を披露し、モータウンとの契約を獲得。彼の最初のステージネーム「リトル・スティーヴィー・ワンダー」は、この時のプロデューサーであり彼の多くの作品に参加したクラレンス・ポールがつけたものである。なお、この時の契約内容には、スティーヴィーの年齢を考慮したものとして、印税収入は彼が21歳になるまで基金に蓄えられるという条項があり、それまでは週給として2ドル50セントの支払いであったとされる。


 こうしてモータウンに加わったスティーヴィーは、61年に最初のレコーディングとして「Mother Thank You」を収録するが、結果として、デビューシングルはベリー・ゴーディーの手による「I Call It Pretty Music But The Old People Call It The Blues」に変更され、これが1962年の夏に発売された。結局、この曲が発表されたのは、タイトルを変えた上で、1964年になってからであった。続いて、シングル『Little Water Boy』(ヒットはしなかった)や、アルバム『ジャズ・ソウル〜スティーヴィー・ワンダー・ファースト・アルバム』と『レイ・チャールズに捧ぐ』を発表し、こちらは小さなヒットとなった。スティーヴィーが12歳であった1962年末、モータウン・レビューの一員として全米をツアーする。このツアーで廻ったシカゴのリーガル・シアターでの20分ほどの演奏を録音したものが、1963年の5月にアルバム『12歳の天才』としてリリースされ、これがBillboard 200で1位になる大ヒットを記録。ここから同月にシングルカットされた「フィンガーティップス」もBillboard Hot 100で1位の大ヒットとなる。この、13歳での1位獲得は21世紀に入ってからも、史上最年少の記録である。また、12歳でデビューしたため、ビートルズのメンバーとは年齢が離れているにもかかわらず、キャリアとしては同等の長さを誇る。


 しかし、スティーヴィーの成長に伴う声変わりに対して、当時のモータウンの重役たちの何人かはレコード契約の打ち切りをも検討していたとされる。1964年には、2本の映画に出演するもいずれも大したヒットにはならなかった。そうした中、シルヴィア・モーイと共作した作品などを含むアルバム『アップタイト』がヒットし、シングルカットされた「Uptight」がヒット。そして1966年には「Blowin' in the Wind」「太陽の当たる場所」がいずれもヒット、クリスマス・ソングの「サムデイ・アット・クリスマス」も発表した。また、リトル・スティーヴィー・ワンダーというこれまでのステージネームから"リトル"を取るようにベリー・ゴーディーに説得したのもまた、シルヴィア・モーイであったとされる。また、同じころにスティーヴィーは自分とレーベルの他の仲間への楽曲提供のために、モータウンの作詞部門・作曲部門との契約を新たに結んだ。こうして提供された曲の1つにスモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズのナンバー1ヒットである「Tears of a Clown」などがある。


 1970年に、モータウンから自作のプロデュース権を獲得し、音楽出版会社「タウラス・プロダクション」を設立。自身の新たな音楽を模索していた時、当時開発されたばかりのモーグ・シンセサイザーに感銘を受ける。以後、スティーヴィーはシンセサイザーを駆使し、ほとんどの楽器を自分で演奏してアルバムを作るスタイルを取った。


 1972年の革新的な曲「迷信」はクラヴィネットを使用し、彼のファンキーな面を強調し、大ヒットとなった。1973年、友人の運転する車に同乗して帰路の途中に交通事故にあう。トラックの荷台から落下した丸太が彼らの乗る車のフロントガラスを突き破り、助手席で寝ていたスティーヴィーの額を直撃した。この事故により彼は脳挫傷による昏睡状態に陥ったほか、意識を取り戻した後も後遺症で一時味覚と嗅覚を失うが、その後のリハビリが功を奏し、ほぼ事故前の状態にまで回復したという。その後、73年に「サンシャイン」、「ハイアー・グラウンド」、74年にはファンク・ナンバー「悪夢」がそれぞれヒットした。74年には「レゲエ・ウーマン」もヒットしている。72年から74年ごろまでが彼の音楽人生の黄金期だった。なお、「迷信」はジェフ・ベックが演奏する案もあったが、結局ワンダー自身がシングルとして発表した。ベックはベック・ボガード&アピスとして「迷信」のロック・バージョンを発表している


 1976年には、2枚組のオリジナル・アルバム『キー・オブ・ライフ(Songs in the Key of Life)』をリリース。77年には、シングル「回想」「愛するデューク」をヒットさせた。このアルバムは、当時全米アルバムチャート14週1位となる大ヒットになった。

USAフォー・アフリカにてウィ・アー・ザ・ワールドを歌う

 交通事故の体験以降、慈善活動や平和活動に目覚め、1980年代には南アフリカのアパルトヘイト政策に反対する歌、公民権運動指導者のマーティン・ルーサー・キング牧師を讃える歌を発表する。日本の全盲の中学生との交流がきっかけで仙台市立加茂中学校を訪問し、歌ったこともある。また彼は、80年に「マスター・ブラスター」、82年に「ザット・ガール」をヒットさせた。80年代にはジャーメイン・ジャクソン、サード・ワールド、チャカ・カーン、ユーリズミックス、ジャヴァンらとの共同作業もおこなっている。1984年の映画『ウーマン・イン・レッド』のサウンドトラックに用いられた「心の愛(I Just Called to Say I Love You)」は、米英で大ヒットするとともにアカデミー歌曲賞、ゴールデングローブ賞を受賞した。1985年にはUSAフォー・アフリカに参加し、ウィ・アー・ザ・ワールドのブリッジ部分でリードボーカルをとった。


 1986年にはバート・バカラックとキャロル・ベイヤー・セイガーのライティングコンビによるディオンヌ・ワーウィックやエルトン・ジョンらとのデュエット曲「愛のハーモニー」がディオンヌ&フレンズとして大ヒット。


音楽性/人物と思想

 ステージでは主にピアノやフェンダー・ローズ、クラヴィネットなどのキーボードをプレイしながら歌うことが多いが、他にもクロマティックハーモニカ、ドラム、シンセベースなどもプレイするマルチプレイヤーとして知られている。


 特に70年代において、当時は革新的な新楽器だったモーグ・シンセサイザーやクラヴィネット、トーキング・モジュレーターなどをいち早く取り入れて使用した。後者は後のザップ/ロジャー・トラウトマン等に影響を与えたとされる。


 彼は、ジャズ、クロスオーバー、フュージョンの影響も強い。また、視覚障害や音楽的資質などの共通点から、しばしばレイ・チャールズと比較される。


 政治活動に積極的で、アメリカ民主党を支持している。2000年のゴア対ブッシュのアメリカ大統領選ではフロリダ州にかけつけ民主党のゴアを支援。2008年の大統領選でも、オバマの強力なサポーターとして党大会などに参加した。オバマ大統領の就任式のイベントでも何度もステージに立ち、代表曲を披露した。


ディスコグラフィ

→詳細は「スティーヴィー・ワンダーの作品」を参照


多作家として知られるが作品の質に厳しく、お蔵入りした曲は数千曲にのぼるという。アルバム制作の際は、収録予定の曲数のほぼ10倍を作曲すると言われており、1976年発表の『キー・オブ・ライフ』の収録曲は、1974年から1976年までに作曲された約1,000曲の中から選ばれた。


オリジナル・アルバム

『ジャズ・ソウル〜スティーヴィー・ワンダー・ファースト・アルバム』

『レイ・チャールズに捧ぐ』

『わが心に歌えば』

『アット・ザ・ビーチ』

『アップタイト』

『太陽のあたる場所』

『愛するあの娘に』

『想い出のクリスマス』

『アルフィー/イーヴェッツ・レッドナウ』

『フォー・ワンス・イン・マイ・ライフ』

『マイ・シェリー・アモール』

『涙をとどけて』

『青春の軌跡』

『心の詩』

『トーキング・ブック』

『インナーヴィジョンズ』

『ファースト・フィナーレ』

『キー・オブ・ライフ』

『ホッター・ザン・ジュライ』

『イン・スクエア・サークル』

『キャラクターズ』

『カンバセーション・ピース』

『タイム・トゥ・ラヴ』

楽曲提供

『イッツ・ア・シィム』 - スピナーズ(1970)

『アンティル・ユー・カム・バック・トゥ・ミー』 - アレサ・フランクリン(1974)

『テル・ミー・サムシング・グッド』 - ルーファス(英語版) featuring チャカ・カーン(1974)

『ザ・リアル・シング』 - セルジオ・メンデス(1977)

『レッツ・ゲット・シリアス』 - ジャーメイン・ジャクソン(1980)

『トライ・ジャー・ラブ』 - サード・ワールド(1982)

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◉ 1962年

◉ 1963–1964年

◉ 1966–1969年

◉ 1970–1971年

◉ 1972–1976年 ― “クラシック期”

◉ 1977–2005年 ― その他のアルバム


📚 まとめ表(スタジオ・アルバム 23 枚)

年代アルバム名
1962The Jazz Soul of Little Stevie, Tribute to Uncle Ray
1963With a Song in My Heart
1964Stevie at the Beach
1966Up‑Tight, Down to Earth
1967I Was Made to Love Her, Someday at Christmas
1968Eivets Rednow, For Once in My Life
1969My Cherie Amour
1970Signed, Sealed & Delivered
1971Where I’m Coming From
1972Music of My Mind, Talking Book
1973Innervisions
1974Fulfillingness’ First Finale
1976Songs in the Key of Life
1977–2005Looking Back, Journey Through…, Hotter Than July, The Woman in Red (OST), In Square Circle, Characters, Jungle Fever (OST), Conversation Peace, A Time to Love

さらにご希望があれば、各アルバムの解説や代表曲の紹介もできますので、教えてくださいね!

あなた:
各アルバムの解説や代表曲の紹介をお願いします。

ChatGPT:

こちら、それぞれのアルバムについて、背景や特色、代表曲を解説します。クラシック期中心に進めますが、他の作品についても言及します。


🎧 Music of My Mind (1972)

背景・意義:モータウンとの契約を更新し、自らプロデュース権を獲得した最初の作品。トーントと共にシンセを多用した革新的サウンドが光ります 。
代表曲

  • “Superwoman (Where Were You When I Needed You)”:複雑な感情を描いた10分超の大作。

  • “Love Having You Around”, “I Love Every Little Thing About You”:明るいポップ傑作。

  • “Evil”:社会への軽やかな風刺が効いたゴスペル調閉幕曲 amazon.com+3udiscovermusic.com+3reddit.com+3


🎧 Talking Book (1972)

背景・意義:「Music of My Mind」の成功を受け、ロマンティックなテーマと社会的メッセージがさらに深化。シンセ・クラヴィネット主体のサウンド設計 。
代表曲


🎧 Innervisions (1973)

背景・意義:離婚や社会情勢の動乱を通じて、政治・人種・都市生活への問いを込めた意欲作。トーントとの関係も継続 。
代表曲

  • “Living for the City”:都市部での黒人青年の苦闘を描いた社会派アンセム。

  • “Higher Ground”:生と再生への洞察を込めたファンク・グルーヴ。

  • “Don’t You Worry ’bout a Thing”:軽快に励ます楽しい1曲。


🎧 Fulfillingness’ First Finale (1974)

背景・意義:重篤な交通事故を経て“再生”をテーマに制作。温かく穏やかな世界観が漂います pitchfork.comallmusic.com+13albumism.com+13pitchfork.com+13waynerobins.substack.com+7pitchfork.com+7pitchfork.com+7。グラミーも獲得。
代表曲

  • “Smile Please”:再出発を象徴する明るいメッセージソング。

  • “Heaven Is 10 Zillion Light Years Away”:神秘的でスピリチュアルな名曲。

  • “Creepin’”:美しいメロディーと切なさを湛えた大人の恋。

  • “They Won’t Go When I Go”:葬送を想起させる深淵なバラード。


🎧 Songs in the Key of Life (1976)

背景・意義:2枚組で異なるジャンルを網羅。クラシック期の総決算にして到達点。グラミー・アルバム・オブ・ザ・イヤー受賞。
代表曲

  • “Sir Duke”:ジャズへのオマージュを光るアレンジで。

  • “Isn’t She Lovely”:娘への愛を祝った祝福歌。

  • “As”:神への愛と友情を抱擁する壮大な名曲。

  • “I Wish”:ノスタルジックかつグルーヴィーなソウル。


📻 その後の主なアルバムと代表曲

  • Hotter Than July (1980)
     – “Master Blaster (Jammin’)”:ボブ・マーリーへのリスペクト溢れるレゲエ風ファンク。

  • The Woman in Red (OST) (1984)
     – “I Just Called to Say I Love You”:アカデミー賞受賞のポップ・バラード。

  • In Square Circle (1985)
     – “Part-Time Lover”:キャッチーなダンス・ポップ。

  • A Time to Love (2005)
     – 長い沈黙の後の復帰作。成熟したR&B/ポップの集大成。


📝 総まとめ(代表作と各時期の傾向)

時期主なアルバム特徴代表曲
初期(1960s)初期モータウン期ヒット・シングル中心“Uptight”, “My Cherie Amour”
自立期(1972–76)Music of My Mind → Talking Book → Innervisions → FFF → Songs…自由な制作体制/社会・愛・スピリチュアル“Superstition”, “Living for the City”, “Sir Duke”
後期(1980s–2000s)Hotter Than July以降商業性と成熟が融合“Master Blaster”, “I Just Called to Say I Love You”

さらに他のアルバムや曲の背景、人間関係・音楽技法の詳細などにご興味があれば、いつでもお知らせください!


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Isn't She Lovely Stevie Wonder 日本語 歌詞 和訳 

アメブロ「ティモシーDiary」より

邦題は可愛いアイシャ

アルバム「キー・オブ・ライフ」

Isn't she lovely

本当たまらないぐらい可愛いんだよ

 

Isn't she wonderfull

こんなに素晴らしいことがあったのかって

 

Isn't she precious

何もかもが尊い存在なんだ

 

Less than one minute old

奇跡の瞬間からまだ1分も経ってない今

 

I never thought through love wed be

想像すらできなかった2人で歩んでいく道の先に

 

Making one as lovely as she

こんな素敵な出会いが待っているだなんて

 

But isnt she lovely made from love

2人が繋いだ愛の形がこんなに愛おしいだなんて思いもしなかったんだよ

 

Isnt she pretty

愛くるしいこの子は

 

Truly the angels best

間違いなく天使そのものだよね

 

Boy, Im so happy

あぁ幸せすぎて怖いくらいだ

 

We have been heaven blessed

天からの恩恵を受け継いでいく僕ら

 

I cant believe what God has done

神様が何で授けて下さったかなんて分からない

 

Through us hes given life to one

2人の存在があってこそ授けられた命だから

 

But isnt she lovely made from love

この愛の結晶が可愛くないわけないだろう

 

Isnt she lovely

どうしてこんなに可愛いんだろう

 

Life and love are the same

生命と愛は同じ位置にある存在なんだよね

 

Life is aisha

アイシャは生命なんだ

 

The meaning of her name

名前に込められた意味はつまりそういうこと

 

Londie, it could have not been done

君がいてくれたからだよロンディ

 

Without you who conceived the one

君がこの子を宿してくれたからだ

 

Thats so very lovely made from love

愛から生まれた生命って何て尊く可愛いんだろう

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【今日の名盤】スティーヴィー・ワンダー「キー・オブ・ライフ Songs In The Key Of Life 1976」は祈りであり歓びの歌【平日ナマ配信】 YouTube

コメント

ツボにはまるソウルありますよね。私の押しはハワード・テイトとスペンサーウィギンスなんですがやはりゴスペルや教会で説教していた過去があります。確かに聴いていると祈りを感じます。良ければ一度聴いてみてください。

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