Stories史上最も影響力のあるブルース・ソング10曲
サイト DiscoverMusic
1.B.B.キング「The Thrill Is Gone」
B.B.キング
ライリー・B.キング(Riley B. King、1925年9月16日 - 2015年5月14日)は、B.B.キング(B.B. King)の名で知られるアメリカ合衆国のシンガーソングライター、ギタリスト、音楽プロデューサー。1950年代から晩年まで活躍したブルース界の巨人。ブルース界にただならぬ影響と業績を残したことから、「キング・オブ・ブルース」とも称される。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において2003年は第3位、2011年の改訂版では第6位。 「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第96位[8]。
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2.ハウリン・ウルフ「Evil」
ハウリン・ウルフ
ハウリン・ウルフ(Howlin' Wolf、1910年6月10日 - 1976年1月10日)は、アメリカ合衆国ミシシッピ州ウェストポイント生まれの黒人ブルース歌手。本名はチェスター・アーサー・バーネット(Chester Arthur Burnett)。芸名が物語るように、強烈なダミ声で鮮烈な印象を残した。没後の1991年、ロックの殿堂の「アーリー・インフルエンス」部門入りを果たした[2]。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第31位[3]。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第54位。「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第46位[4]。
3.ロバード・ジョンソン「Crossroads」
ロバード・ジョンソン
ロバート・リロイ・ジョンソン(Robert Leroy Johnson、1911年5月8日 - 1938年8月16日)は、アメリカ合衆国のミュージシャン、歌手、ソングライター。アフリカ系アメリカ人。伝説的なブルース歌手として知られ、その後のブルース・ミュージシャンのみならず、ロックやブルース・ロックのミュージシャンに多大な影響を与えた。
また、27歳で急死したミュージシャン(所謂27クラブ)の一人としても有名である。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において2003年は第5位、2011年の改訂版では第71位。
4.マディ・ウォーターズ「Got My Mojo Working」
マディ・ウォーターズ
マッキンリー・モーガンフィールド(McKinley Morganfield)、別名マディ・ウォーターズ(Muddy Waters、1913年4月4日 - 1983年4月30日)は、アメリカ合衆国のブルース・シンガー、ギタリスト。シカゴにおいてエレクトリック・ギターを使ったバンド・スタイルのブルースを展開し、シカゴ・ブルースの形成に大きな足跡を残したことから、「シカゴ・ブルースの父」と称される。生涯に6度グラミー賞を受賞し[2]、没後の1987年にはロックの殿堂入りを果たした[3]。
5.ジュニア・キンブロウ「Do The Rump」
ジュニア・キンブロウ
サイト ※ラジカル・ビスケット / ポップ&ブルース人名辞典 とても良いサイト
1930年7月28日にミシシッピー州ハドスンヴィルで生まれ、1998年1月17日にホリー・スプリングで心臓発作のため死去しました。1991年に映画『Deep Blues』に出演して脚光を浴びました。一個のコードを反復する呪術的で催眠的な演奏を繰り広げます。彼は1992年頃からミシシッピー州チュラホマでジューク・ジョイント”Junior's Place”を経営していました。初アルバムは1966年「First Recordings」です。他にはファット・ポッサムから1992年「All Night Long」、1993年「Sad Days, Lonely Nights」、1997年「Most Things Haven't Worked Out」、1998年「God Knows I Tried」などがあります。
ホリー・スプリングにあるキンブロウの墓碑銘には、チャーリー・フェザーズ( Charlie Feathers )の次の言葉が書かれています。
- the beginning and end of all music -
6.ココ・テイラー「Wang Dang Doodle」
ココ・テイラー
ココ・テイラー(英語: Koko Taylor、1928年9月28日 - 2009年6月3日)は、アメリカ合衆国テネシー州メンフィス生まれのブルース歌手。出生時の名前はコラ・ウォルトンで、テイラー姓は最初の夫のもの。[1][2]1960年代から晩年に至るまでシカゴ・ブルース界の代表的な女性歌手として活躍し、「ブルースの女王(英語: Queen of the Blues)」の愛称で知られる。荒々しく力強いシャウトを効かせたヴォーカル・スタイルが特徴。代表曲は「ワン・ダン・ドゥードゥル(英語版)」。グラミー賞やブルース音楽賞など複数の賞を受賞し、ブルースの殿堂入りも果たしている。
7.T・ボーン・ウォーカー「Stormy Monday」
T・ボーン・ウォーカー
T-ボーン・ウォーカー (T-Bone Walker, 1910年5月28日 - 1975年3月16日)は、アメリカ合衆国のブルース・ギタリスト、シンガー。
ブルースにおいて、エレキギターをソロ楽器として使った先駆者と言われ[1]、モダン・ブルース・ギターの父と称される[2]。代表曲「ストーミー・マンデイ」はブルースのスタンダード曲として知られており、ボビー・ブランド、オールマン・ブラザーズ・バンドを始め、数多くのアーティストによってカバーされている。
1987年にロックの殿堂入り[3]。2003年にはローリング・ストーン誌の同年8月号カバーストーリー「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において第47位、[4]2011年の改訂版では第67位に選ばれている。
8.アルバート・コリンズ「Sno-Cone, Parts 1 And 2」
アルバート・コリンズ
アルバート・コリンズ(Albert Collins、1932年10月1日-1993年11月24日)は、アメリカ合衆国テキサス州出身のブルース・ギタリスト、シンガー。フェンダー・テレキャスターを使用した、鋭角的なギター・プレイで名を馳せた。
2011年、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において第56位。
9.ルシール・ボーガン「Shave ’Em Dry」
ルシール・ボーガン Lucille Bogan
ウィキペディアなし ラジカル・ビスケット
1897年4月1日にミシシッピー州東部のエイモリーで生まれ、アラバマ州バーミンガムで育ち、第一次世界大戦中の1914年に若くして結婚しました。1923年にニューヨークのオーケー・レコードにヴォードビル曲を初録音し、次に、スカウトのラルフ・ピーアに見い出されて、ジョージア州アトランタで「Pawn Shop Blues」を吹き込みました。これ以降はニューヨーク、シカゴで録音しています。1927年にウィスコンシン州グラフトンにあるパラマウント・レコードから出した「Sweet Petunia」がヒットしました。また、ブランズウィック・レコードではタンパ・レッド( Tampa Red )、カウ・カウ・ダベンポート( Cow Cow Davenport )の伴奏で歌いました。1930年頃は「Sloppy Drunk Blues」、「Tricks Ain't Walkin' No More」など、酒や色事や売春、同性愛を題材にした歌を数多く歌いました。1933年以降はニューヨークに戻り、ベッシー・ジャクソン( Bessie Jackson )と改名し、1933年から35年の間に、ピアニストのウォルター・ローランド( Walter Roland )の伴奏で「Stew Meat Blues」、「Coffee Grindin' Blues」、「Honeycomb Man」、「Mr. Screw Worm in Trouble」、「Bo Hog Blues」など100曲以上の吹き込みをしました。1935年に露骨な猥歌「Shave 'Em Dry」を吹き込んで以降は録音を停止し、彼女の息子の作っているジャズ・バンド、ボーガンズ・バーミンガム・バスターズ( Bogan's Birmingham Busters )の世話をしました。1948年8月10日にロサンジェルスで心臓疾患のため死去しました。
DiscoverMusicより
このリスト中最も有名と言うわけではないが、ある意味最も画期的な曲がこれだ。南部の女性ボーカリストのルシール・ボーガンは史上最も性表現が露骨な曲のひとつを一気にレコーディングし、女性が歌えるものの境界線を押し広げていった。それも、1935年にやってのけたのだ。ルシール・ボーガンの歌詞はタブーを幾つも破った。「Groceries On The Shelf」では売春をひとつの職業として捉え、「BD Woman Blues」(BDは“ブル・ダイク”〔訳注:男っぽい女〕の略)ではその集団に完全に寄り添っていた。「Shave ’Em Dry」のオリジナル・リリース・ヴァージョンでは単にほのめかしていただけだったが、彼女はそれとは別に“いかがわしい”ヴァ―ジョンもリリース、現在ブルース愛好家達の間ではこちらの方が良く知られている。同ヴァージョンでは彼女の意思が明白であり、“わたしの脚の間には、死者が寄って来るようなモノがついている”という一行が登場する。これが後に誰に影響を与えたかは、みんな容易に想像がつくだろう。
10.プロフェッサー・ロングヘア「Big Chief」
ボ・ガンボスのキョンのピアノ「ワクワク」を思い出した
プロフェッサー・ロングヘア music
プロフェッサー・ロングヘア(Professor Longhair, 1918年12月19日 - 1980年1月30日[1])は、ニューオーリンズを代表するブルース・ピアニスト。本名はヘンリー・ローランド・バードといい、フェスの愛称でも知られている。ルイジアナ州ボガルーサ生まれ。ルンバ、マンボ、カリプソを織り交ぜた独特のピアノ・スタイルと感情表現に富んだ個性的なヴォーカルで独自の世界を作り上げている。彼はまた「ロックンロール界のバッハ」などとも呼ばれている。
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