2025年4月17日木曜日

シェネル Che'Nelle

 シェネル Che'Nelle


Baby I Love U (Winter Version)   YouTube コナズ珈琲 小平にて聴く

ベイビー・アイラブユー (English Ver.) YouTube 


TEE(ティー、1982年11月26日 - )は日本の男性シンガーソングライターである。


ウィキペディア music 

 1983年3月10日にマレーシアに生まれる。父親はマレーシアの華人、母親はインドとオランダの混血。10歳からオーストラリアで育つ[1]。現在はロサンゼルスを拠点とするR&Bシンガー[2]。

 2005年、MySpaceに公開していたデモを発掘され、キャピトル・レコーズとの契約。2006年にはカニエ・ウェストのオーストラリア・ツアーの前座に抜擢される。

 2007年、シングル「ラブ・ウィズ・DJ」でデビューを果たす。日本国外では芳しい反響は得られなかったが日本でブレイクし[3]、1stアルバムが日本国内でオリコン洋楽チャート1位を獲得した。「ファースト・ラブ」「フィール・グッド」を収録した2ndアルバムを日本で2010年に発売。

 ソングライターとしても精力的に活動しており、最近ではレオナ・ルイスなどへの楽曲提供も手掛ける。

 久保田利伸の「Missing」の英語カヴァーのロング・ヒットを受けて、自身初となるカヴァー・アルバム『ラブ・ソングス』を日本でのみ発売し、累計35万枚を売り上げる[4]。同アルバムに収録されたTEEの「ベイビー・アイラブユー」の英語カヴァーは、レコチョクコール2011年6月28日付週間ランキングにて総合1位、「レコチョク洋楽・フル」および「レコチョク洋楽・うた」の2011年6月28日付週間ランキングにて1位を記録し、累計ダウンロード件数は160万件に達する[4]。


「ビリーヴ」は2012年7月13日に公開された映画『海猿』の第4作・『BRAVE HEARTS 海猿』の主題歌に抜擢され[5]、RIAJ有料音楽配信チャート(2009年4月より実施)では「祈り 〜涙の軌道」(Mr.Children)以来3ヶ月ぶり通算3曲目となる4週連続1位を獲得した。


2013年、6年ぶりにアメリカでの音楽活動を再開した[3]。同年、バックダンサーと結婚した。英語、中国語、マレー語が話せる。日本語の歌を歌いこなすが、話すことはまだあまりできない。

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2007 シェネル / Things Happen For A Reason 

2010 フィール・グッド 

2012 ビリーヴ

2013 アイシテル 

2015 シェネル・ワールド 

2017 Destiny 



2008 Che'Nelle スペシャル・エディション リミックス・アルバム

2013 ベスト・ソングス ベストアルバム

2011 ラブ・ソングス music 

2014 ラブ・ソングス2 



ビージーズ Bee Gees

 ビージーズ Bee Gees

2025年4月15日 配達中 田無駅 ムサシノコーヒーにて

愛はきらめきの中に How Deep Is Your Love 1977 YouTube を聴く。

歌詞 note

Saturday Night Fever (The Original Movie Soundtrack Deluxe Edition) music

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 ビージーズ Bee Gees

ウィキペディア  music


 ビージーズ(英: Bee Gees)は、英国王室属領マン島生まれのイギリス人のギブ三兄弟を中心に構成された男性ボーカルグループ。1963年にオーストラリアでレコードデビューし、1973年からは米国を中心に活動。1960年代前半から息の長い活動を続け、「ラヴ・サムバディ」、「マサチューセッツ」、「メロディ・フェア」、「若葉のころ」、「イン・ザ・モーニング」、「ホリディ」、「ジョーク」、「傷心の日々」、「ラン・トゥ・ミー」、「ブロードウェイの夜」、「獄中の手紙」、「ステイン・アライヴ」など、数多くの名曲を発表した。ポップなメロディメイカーとしては、レノン=マッカートニー(ビートルズ)やビヨルン&ベニー(ABBA)らと並ぶ名ソングライターチームとして知られている。


ソフト・ロック期:1960年代-1974年

 彼らは、1966年にはオーストラリアで最優秀ボーカルグループに選ばれ、翌1967年2月、シングル「スピックス&スペックス」が全豪ナンバーワンヒットしている頃、オーストラリアでの大人気に着目したビートルズのマネージャーであるブライアン・エプスタインは、自らが経営するNEMSエンタープライズに入社したての新人ロバート・スティッグウッド(1934~2016)をオーストラリアへ赴かせ、ギブ兄弟にワールド・デビューの契約を持ち掛ける。

 イギリスに帰国したギブ兄弟は、オーストラリア・クイーンズランド州生まれでロンドン育ちのドラマー、コリン・ピーターセン(1948~)、そしてオーストラリア時代から彼らのレコーディングにたびたび参加していたシドニー出身のヴィンス・メロニー(1945~)をリードギターに迎え、5人編成として1967年5月にポリドール・レコード本社より「ニューヨーク炭鉱の悲劇」でレコード・デビュー。アメリカでの発売元であるアトコ・レコード(アトランティック・レコードの子会社)が、新人では前代未聞の25万ドルで契約した。

 以後、「ラヴ・サムバディ」[注 1]、「ホリディ」、「マサチューセッツ」(全米11位)、「ワールド」、1968年に「ワーズ」、「ジャンボー」、「獄中の手紙」(初の全米トップ10入り)、「ジョーク」(同じく全米トップ10ヒット)をリリース。同年末にヴィンスがプロデューサー業に転向するため正式に脱退、翌1969年春、4thアルバム『オデッサ』およびシングル「若葉のころ」の発売間もなくロビンがソロ・シンガーになるべく独立(シングル「救いの鐘」は英国のみでヒット)、同年夏にはシングル「トゥモロウ・トゥモロウ」を最後にバリーとモーリスが一方的にコリンを解雇してしまう。 これによって2人となったビージーズは、「想い出を胸に」を全英トップ10に送り込むも、翌1970年春先にシングル「I.O.I.O.」およびアルバム『キューカンバー・キャッスル』発売直後の兄弟喧嘩によって空中分解。その後、それぞれソロ・シングルを発表するも芳しい結果は出せず、同年9月にバリー、ロビン、モーリスの3人は結束の下に改めてビージーズとして再出発することを誓う。

 10月に再スタート第一弾アルバム『トゥー・イヤーズ・オン』を発売、翌71年1月にシングルカットされた「ロンリー・デイ」を全米3位(キャッシュボックス誌では1位)とし、続くシングル「傷心の日々」は念願の全米ナンバーワンとなるが、アルバムセールスは低調だった。71年のイギリス映画『小さな恋のメロディ』は、本国では成功しなかったものの、日本では興業的にも大成功となり、サントラ盤に収められた「メロディ・フェア」、「若葉のころ」などは日本人に親しまれた。

コリン解雇後はジェフ・ブリッジフォードがドラムを叩いていたものの1972年春、初の来日公演(アイドル人気だった1969年に予定されていたが、メンバーの脱退などの諸問題で延び延びとなっていた)寸前に解雇される。

1973年に、マネージャー兼プロデューサーでもあったロバート・スティッグウッドが設立したRSOレコードへ移籍し、アメリカでの発売元であるアトコ・レコードでかつてはヤング・ラスカルズなどを手掛けるなど華々しい経歴の持ち主であるアリフ・マーディンのプロデュースを受け、アルバム『ライフ・イン・ア・ティン・キャン』をリリース。マンネリ化した従来のストリングスサウンド(1967年以降ステージではバックに30人編成から成るストリングス・オーケストラをつけていた)からサウンドを変更したが、翌1974年のアルバム『ミスター・ナチュラル』も不発に終わる。マーディンは自信を失って迷いの中にいるメンバーに「課題は自分たちの新しい音楽スタイルの追求と発展とヒットレコードの制作だ。まわりの音楽状況やほかのアーティストのヒット状況に耳を傾けるように。ファンが何を求め、時代や状況に合った音楽は何か、その中の自分たちの可能性は何なのか」と問うてきた[6]。そしてビージーズの大転換がはじまる。

ディスコ期:1975年-1979年

 1975年に芸能生活20周年記念アルバムでもある『メイン・コース』からシングルカットされた「ジャイヴ・トーキン」、「ブロードウェイの夜」がディスコブームに乗り、全米大ヒット。これよりディスコ時代の幕開けとなる。リズム主体のディスコなサウンドへと脱皮を図った彼らに対して、旧来のファンからは「売れるためにサウンドを変えた」と猛反発された。しかし以後も、ディスコ・ナンバーを中心とする路線を継続し、「ユー・シュッド・ビー・ダンシング」などの大ヒットを飛ばした。ディスコで大人気を誇っていたビージーズのナンバーを大きく取り入れた映画『サタデー・ナイト・フィーバー』[注 2]が、1977年に公開された。同作品はアメリカだけでなく、海外でも大成功し、アルバムも大ヒットとなった。アルバムからはビージーズの「ステイン・アライヴ」、「ナイト・フィーヴァー」、タバレスの「モア・ザン・ア・ウーマン」、イボンヌ・エリマンの「イフ・アイ・キャント・ハヴ・ユー」などがヒットした[7]。

1980年以後

1981年のアルバム『リヴィング・アイズ』がマイナーヒットに終わって以降は、各自のソロ活動と並行して他アーティストへの楽曲提供が活動の中心となり、数多くの全米ヒットを生み出す。

1987年にワーナー・レコードに移籍し、アルバム『E.S.P.』よりシングル・カットされた「ユー・ウィン・アゲイン」は、全英トップ10ヒット。1989年にはシングル「One」が久しぶりにヒットした。また、アンディ・ギブが早逝する悲劇に見舞われた。

2003年、メンバーのモーリス・ギブが急逝。モーリス死去後にロビンは再結成の意向はないと表明したが、2009年から活動を再開した[8]。

2012年5月20日、ロビン・ギブの死去[9]によりギブ3兄弟によるグループ活動は消滅した。



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1965 The Bee Gees Sing and Play 14 Barry Gibb Songs
1966 スピックス・アンド・スペックスSpicks and Specks
1967 ビー・ジーズ・ファースト Bee Gees 1st 
1968 ホリゾンタル Horizontal
1968 アイディア Idea  
1969 オデッサ Odessa
1970 キューカンバー・キャッスル Cucumber Castle  
1970 トゥー・イヤーズ・オン 2 Years On
1971 トラファルガー Trafalgar
1972 トゥ・フーム・イット・メイ・コンサーン To Whom It May Concern
1973 ライフ・イン・ア・ティン・キャン Life in a Tin Can
1974 ミスター・ナチュラル Mr. Natural

1975 メイン・コース Main Course music

1976 チルドレン・オブ・ザ・ワールド Children of the World
1979 失われた愛の世界 Spirits Having Flown
1981 リヴィング・アイズ Living Eyes
1987 E.S.P. E.S.P.
1989 ONE One
1991 ハイ・シヴィライゼーション High Civilization
1993 サイズ・イズント・エヴリシング Size Isn't Everything
1997 スティル・ウォーターズ Still Waters
2001 ディス・イズ・ホエア・アイ・ケイム・イン This Is Where I Came In


『サタデー・ナイト・フィーバー』は、1998年にミュージカル版もロンドンで製作され、翌年にはブロードウェー公演も果たし、日本公演は2003年に新宿コマ劇場で行われた。続編である映画『ステイン・アライブ』も公開された。

・映画 サタデー・ナイト・フィーバー prime

・映画 ステイン・アライブ prime

参考 映画 グリース フラッシュダンス

愛はきらめきの中に~ナンバー・ワン・ヒット・ソングス Number Ones 

 music amazonより

内容紹介

【ビー・ジーズ・デビュー40周年記念】
 1967年ポリドールよりアルバム『ファースト』にてUKデビューを果すに先んじて、ビー・ジーズの活動基盤であったオーストラリアにて発売された彼らのアーティスト活動開始ファースト・アルバム『The Bee Gees Sing and Play Barry 14 Gibb Songs』がリリースされたのが1965年11月(レーベル:Leedon)。2004年11月に40周年を迎えます。

 2003年1月16日に惜しくもモーリス・ギブが他界してしまい、ビー・ジーズ3人の活動は終わってしまいましたが、彼らのヒット曲の数々はさまざまなアーティストにカバーされ、前にもましてエヴァー・グリーンな輝きとともに継承されています。イギリスでは2004年5月に大英帝国勲位を授与されるなど、世界中で再び注目の集まる中、日本でもあの『サタデー・ナイト・フィーヴァー』がリヴァイヴァル・ロードショー。さらに2005年にはモーリスを偲ぶトリビュート・コンサートやトリビュート・アルバムの製作なども予定されており、ますます再評価が高まっています。その40周年の記念に今回はバリーとロビンの選ぶNo.1ヒットばかりを収録した最新のベスト・コレクションをリリース。故モーリス・ギブに追悼の意を表明すべく特別に「マン・イン・ザ・ミドル」(2001年最後のオリジナル・アルバムから)も収録され、彼らの長い活動の全ての時代を網羅したオール・タイム・ベストの内容になっています。

【ビー・ジーズの功績】

63年にオーストラリアでデビューしてから全世界で1億7500万枚以上の売り上げを誇る。

エルヴィス・プレスリー、ジャニス・ジョップリン、アル・グリーン、バーバラ・ストライサンドからデスティニーズ・チャイルド、ハッピー・マンデイズ、オジー・オズボーンまで1000アーティスト以上がビー・ジーズの曲を今までパフォーマンスしている。

60年代から90年代までどの年代においてもNo.1ヒットをもっている。

『サタデー・ナイト・フィーバー』のサントラは全米24週No.1に輝いた。今でもその記録は破られることなく世界で一番今まで売れているサウンドトラック。

曲目リスト

1 Massachusetts(マサチューセッツ)

2 World (ワールド)

3 Words (ワーズ)

4 I've Gotta Get A Message To You (獄中の手紙)

5 I Started A Joke (ジョーク)

6 Don't Forget To Remember (想い出を胸に)

7 How Can You Mend A Broken Heart (傷心の日々)

8 Jive Talkin' (ジャイブ・トーキン)

9 You Should Be Dancing (ユー・シュッド・ビー・ダンシング)

10 How Deep Is Your Love (愛はきらめきの中に)

11 Stayin' Alive (ステイン・アライヴ)

12 Night Fever (恋のナイト・フィーヴァー)

13 Too Much Heaven (失われた愛の世界)

14 Tragedy (哀愁のトラジディ)

15 More Than A Woman (モア・ザン・ア・ウーマン)

16 Love You Inside Out (ラヴ・ユー・インサイド・アウト)

17 You Win Again (ユー・ウィン・アゲイン)

18 Man In The Middle (マン・イン・ザ・ミドル)

19 Islands In The Stream (アイランズ・イン・ザ・ストリーム)

20 Immortality (イモータリティ)


2025年4月12日土曜日

マッドネス  Madness 

 マッドネス  Madness


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マッドネス (Madness)は、イギリスのポピュラーバンド、ネオ・スカバンド。

歴史

 1976年、ロンドンにてマイク・バーソン(キーボード、ボーカル)とクリス・フォアマン(ギター)とリー・トンプソン(サックス、ボーカル)の3人が「ザ・ノース・ロンドン・インヴェーダーズ (The North London Invaders)」を結成。1978年、グラハム・マクファーソンとマーク・ベドフォードとダニエル・ウッドゲートが加わって「ザ・ノース・ロンドン・インヴェーダーズ・アンド・モーリス・アンド・ザ・マイナーズ (The North London Invaders and Morris and the Minors)」と名乗って活動した後、名前を「マッドネス」に改名した。


 マッドネスとして1979年にアルバム『ワン・ステップ・ビヨンド』をスティッフ・レコードから発表。サックスを含んだ斬新なネオ・スカ・サウンドが話題になった。1980年初め(1979年末とも)、カサル・スミスが加入する。1982年にはシングル「アワ・ハウス」を発売し、同曲が1983年に全米チャートでもヒットしたことで、アメリカ進出に成功した。1984年、マイク・バーソンが脱退し、アムステルダムに移住する。その2年後の1986年、解散してしまう。

1988年に、マクファーソン、スミス、フォアマンとトンプソンの4人が「ザ・マッドネス (The Madness)」という名称で活動を再開し、アルバムを1枚リリースしている。

 1992年、オリジナル・メンバー7人で再結成。バンド名は再び冠詞の取れた「マッドネス (Madness)」になって現在に至る。その後、ロンドン・オリンピックの式典に参加し、「アワ・ハウス」を演奏した。


スタジオ・アルバム

『ワン・ステップ・ビヨンド』 - One Step Beyond... (1979年、Stiff SEEZ17) music

『アブソルートリー』 - Absolutely (1980年、Stiff SEEZ29) ※旧邦題『独裁宣言』 music

『セヴン』 - 7 (1981年、Stiff SEEZ39) music

『ザ・ライズ・アンド・フォール』 - The Rise & Fall (1982年、Stiff SEEZ46)

『キープ・ムーヴィング』 - Keep Moving (1984年、Stiff SEEZ53)

『マッド・ノット・マッド』 - Mad Not Mad (1985年、Zarjazz JZLP1) ※移籍後、最初のアルバム

『来たるべき復活!』 - The Madness (1988年、Virgin CDV2507) ※THE MADNESS名義

『ワンダフル』 - Wonderful (1999年、Virgin CDV2889) ※結成20周年、15年ぶりのスタジオ録音盤

『デインジャーメン・セッションVol.1』 - The Dangermen Sessions Vol. 1 (2005年、V2)

The Liberty of Norton Folgate (2009年)

『ウィ・ウィ・シー・シー・ヤー・ヤー・ダー・ダー』 - Oui Oui Si Si Ja Ja Da Da (2012年)

Can't Touch Us Now (2016年)

Theatre of the Absurd Presents C'est la Vie (2023年)


スカタライツ

 スカタライツ


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ザ・スカタライツ[1](英: The Skatalites)は、ジャマイカのスカ・バンド。


概要

スカタライツは、1963年、音楽プロデューサーのコクソン・ドッドが、自らのレーベルスタジオ・ワンのハウスバンドとして集めたのが始まりである[1]。ジャッキー・ミットゥ、ドン・ドラモンド、ローランド・アルフォンソ、トミー・マクックらを中心に、年齢を超えたジャズ演奏家たちで構成された。


「ナバロンの要塞(Guns of Navarone)」[注釈 1]を含む彼らの最もよく知られている歌の多くは、1964年と1965年の間に録音された。トロンボーン奏者のドン・ドラモンドのアレンジによる『マン・イン・ザ・ストリート (Man In The Street)』がUKのトップ10に入った。メンバーたちはアメリカのジャズ・ミュージシャンを尊敬していた[注釈 2]


1965年1月1日、ドン・ドラモンドがガールフレンドの殺人によって投獄される。そしてその年の8月、スカタライツは最後のショーを行っている。ドン・ドラモンドは、1969年5月6日、37歳で死亡した。


解散後、ローランド・アルフォンソとジャッキー・ミットゥはスタジオ・ワンに残り「ソウル・ブラザーズ」を結成。トミー・マクックはデューク・リードの下へ移りスーパー・ソニックスを結成する。共に多くのロックステディのアーティストのバックを務めた。その後、ソウル・ブラザーズはソウル・ベンダーズ、サウンド・ディメンションなどとグループ名を変更した。


1980年代、ジャマイカ島外に移住していたオリジナル・メンバーらを中心に再結成される。1989年4月に初来日。2002年には世界ツアーを行なっている。


ディスコグラフィ

スタジオ・アルバム

『スカ・オーセンティック』 - Ska Authentic (1964年、Studio One)

Ska Boo-Da-Ba (1966年、Top Deck/Doctor Bird) music

Ska Authentic Vol. 2 (1967年、Studio One)

Celebration Time (1968年、Studio One)

The Skatalite! (1969年、Treasure Isle)

『アフリカン・ルーツ』 - The Legendary Skatalites/African Roots (1976年、Jam Sounds) ※ロイド・ブリヴェット・ウィズ・スカタライツ名義

『リターン・オブ・ザ・ビッグ・ガンズ』 - Return of the Big Guns (1984年、Island)

『スカ・タ・ショッツ』 - Ska-Ta-Shots (1988年、NEC Avenue)

『ワールドフェイマスカ』 - Ska Voovee (1993年、Shanachie) music

『ハイ・バップ・スカ』 - Hi-Bop Ska (1994年、Shanachie)

Greetings from Skamania (1996年、Shanachie) music

Ball of Fire (1998年、Island)

『バシャカ』 - Bashaka (2000年、Marston Recording Corporation) ※with Ken Boothe

『フロム・パリ・ウィズ・ラヴ』 - From Paris with Love (2002年、World Village)

『ローリング・ステディ』 - Rolling Steady: The 1983 Music Mountain Sessions (2007年、Motion) ※1983年録音

『オン・ザ・ライト・トラック』 - On the Right Track (2007年、AIM)

『ウォーク・ウィズ・ミー』 - Walk With Me (2012年) music

『プラチナム・スカ』 - Platinum Ska (2016年、Island Empire)




ライブ・アルバム

Live at Sunsplash (1984年)

『ストレッチング・アウト』 - Stretching Out (1986年、ROIR) ※1983年録音

『ムード・フォー・スカ』 - Mood For Ska (1989年、NEC Avenue) ※1983年録音

『スカ・グルーヴ・イン・ジャパン』 - Ska Groove In Japan (1989年、Alpha Enterprise)

『Roots Party』 - Roots Party (2003年、FullFill)

Live at Lokerse Feesten (2006年、Charly) ※1997年、2002年録音。CD/DVD

『イン・オービットVOL.1』 - In Orbit Vol. 1 – Live from Argentina (2006年、Phantom Sound & Vision)

Skatalites in Orbit, Vol. 1 & 2 (2010年、Sony)

Ska-talites – History of Ska, Rocksteady & Reggae (2015年、United Sound)

Live at the Belly Up (2020年、Belly Up Live)

スペシャルズ スカ

 スペシャルズ The Specials スカ


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ザ・スペシャルズ (The Specials) はイングランドの2トーンバンド。1970年代後半から活動を始める。2トーンスカと呼ばれるジャンルの代表的存在だったが、象徴的メンバーであるテリー・ホールが2022年に亡くなっている。 

来歴

コヴェントリー出身の白人黒人混成バンド。前身はコヴェントリー・オートマティックス。リーダーはジェリー・ダマーズで、ジャマイカのダンサブルなスカやロックステディに、パンクのエネルギーと態度をミックスしたサウンドで人気を得た。


1979年5月、2トーン・レコードからデビューシングル「Gangsters」を発表。B面はザ・セレクターの「The Selecter」だった[2]。同年10月、ダンディ・リヴィングストンのカバー曲「ルーディたちへのメッセージ」をセカンドシングルとして発表。同年同月、ファーストアルバム『The Specials』を発表。ファーストアルバムはエルヴィス・コステロがプロデューサーを務めた。


1980年1月、5曲入りのライブEP『Too Much Too Young』を発表。全英シングルチャート1位を記録した。同EPには、映画『ナバロンの要塞』のテーマ曲も収録されている。


 全英1位に輝いた1981年のシングル「ゴースト・タウン」を最後に解散。ヴォーカルのテリー・ホールを中心とするファン・ボーイ・スリーと、リーダーのジェリー・ダマーズが率いるスペシャルAKAに別れた。その後、1992年にスペシャルズはレーベルメイトのザ・ビートと合体し、スペシャル・ビートとして活動した。


2009年、オリジナルメンバーで26年ぶりにサマーソニック出演のため来日した。


2022年12月19日、テリー・ホールが膵臓癌で63歳で死去したことをバンド側が公表した。彼らはホールの健康状態が悪化する前に、アメリカで新しいアルバムを録音する予定だった。


アルバム

◎The Specials (1979) music 

◎More Specials (1980) music

In the Studio (1984) music

Today's Specials (1996) music 

○Guilty 'til Proved Innocent! (1998) music

Skinhead Girl (2000) amazon

 スカバンド「The Specials」は2000年にカバー曲入りのスタジオ・アルバム『Skinhead Girl』をリリースした。これは、15のいわゆる「トロージャンクラシック」が含まれています, これらは「トロージャンレコード」からジャマイカから60年代と70年代の古いスカとレゲエの曲です.例えば、ピーター・トッシュは「Sem A Fe Get A Beatin」で表されます。曲はすでに大して喜ばせる方法を知っています。このアルバムには「ザ・スペシャル」が収録された。ネヴィル・ステープル(ボーカル)、ロディ・バイアーズ(エレキギター、ボーカル)、ホレス・パンター(エレキベース)、ネオル・デイヴィス(エレキギター)、アンソニー・ハーティ(ドラム、パーカッション)、ジャスティン・ドズワース(キーボード)、スティーブ・ホールドウェイ(トロンボーン)、ポール・デイルマン(トランペット)、レイ・マリン(トランペット)、レイ・マリン(サックス Ophones)。テリー・ホールとジェリー・ダマーズはアルバム『Today's Specials』同様、再び行方不明となっている。


「I C'ant Hide」、「Jezebel」、「スキンヘッドガール」などの曲が再生されます。曲はメロディックでキャッチーな曲だが、繰り返し聴いてからもあまり印象が残っていない。「El Pussycat Ska」は少し落ちます。なぜなら、歌は完全に発達していないからです。また「メンフィス・アンダーグラウンド」は、おそらくインストゥルメンタル曲としての味の問題である。「ブラム・ブラム・フィーバー」は、アルバム「アンコール」にもあります 2019 それに (他のクレジットと), 私はより良い新しいバージョンが好きです.あなたは曲のうち、バンドを聞くことができます!15曲の合計再生時間は約50分である。4ページのブックレットには、CDの楽曲に関する興味深い解説と、オリジナルクレジットを収録した楽曲のリストが収録されている。


結論:私にとって、アルバム「スキンヘッドガール」は永続的な印象を残しました。しかし、それはそれにもかかわらず、本質的に成功し、職人でも完璧です!古いスカを復活させる試み-そして、レゲエの歌は大歓迎です.星五つ中4つ許す!

Conquering Ruler (2001)

War Crimes 2023 music

シングル

ギャングスターズ(1979年5月) - 全英6位

ルーディたちへのメッセージ(1979年10月) - 全英10位

ゴースト・タウン(1981年6月) - 全英1位

2025年4月10日木曜日

☆彡「COWBOY BEBOP」オリジナルサウンドトラック

 「COWBOY BEBOP」オリジナルサウンドトラック


music   


曲目リスト

1 Tank!

2 RUSH

3 SPOKEY DOKEY

4 BAD DOG NO BISCUITS

5 CAT BLUES

6 COSMOS

7 SPACE LION

8 WALTZ for ZIZI

9 PIANO BLACK

10 POT CITY

11 TOO GOOD TOO BAD

12 CAR 24

13 The EGG and I

14 FELT TIP PEN

15 RAIN

16 DIGGING MY POTATO

17 MEMORY

Amazonレビュー

宇宙を股にかける賞金稼ぎ“カウボーイ”たちの活躍を描いた人気アニメシリーズ「COWBOY BEBOP」のサントラ盤、第1弾。毎回が1本の映画を見ているようなクオリティの高さでアニメファンの度肝を抜いたが、菅野よう子が手がけたサントラもそれに大いに寄与していたことは間違いない。

ビッグバンドブラスが豪勢に鳴り響く、スピーディでスリリング感あふれるスパイサウンドから、スローで枯れた味のあるブルースまで、緩急のあるワイルドで渋い楽曲のオンパレード。アメリカ、フランス、東京と世界各地でレコーディングされた素晴らしいミュージシャン達のプレイを堪能させてくれるぜいたくなサウンドトラックである。(岡部啓一)


メディア掲載レビューほか

TX系アニメ『カウボーイ ビバップ』の、菅野よう子の音楽によるサントラ盤。マイルス・デイビス、ジョン・コルトレーン等を手掛けたエンジニア、ルディヴァンゲルダーが制作に参加。オープニング・テーマ「Tank!」他を収録。 (C)RS

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菅野よう子 ウィキペディア

てつ100%(てつひゃくぱーせんと・てつワンハンドレッドパーセンテージ)は、日本のロックバンド。


1986年、CBS・ソニーSDオーディションで優勝。同年11月にシングル「TOKYO TACO BLUES」でメジャーデビュー。

1987年3月、ファーストアルバム『てつ100%』をリリース。以後、メンバー交代を経て3枚のアルバムを発表。

1989年、解散。

2014年、既に販売終了していたCDの再発売がSony Music Shopのオーダーメイド・ファクトリーにてリクエスト方式で始まる。ファースト・アルバム『てつ100%』がデビュー・シングル『TOKYO TACO BLUES』を加えた+1形式で商品化。

2016年、杉原徹・金子利招・梶野秀樹らオリジナル・メンバーに新メンバーを加え、杉原の音楽活動、てつ100%結成30周年を記念するライブを開催。ライブ・アルバム『RE:CYCLE』をリリースした。

2017年、18曲入りのベスト・アルバム『TETSU100%BEST+添加物2%』をリリース。



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アーティスト

Seatbelts

music ウィキペディア 

SEATBELTS「Tank! (Live 2001/8/10)」 YouTube

SEATBELTS/シートベルツ(たぶん)公式 サイト

シートベルツはひよこ隊長こと菅野よう子が率いるスーパーバンドです。




2025年4月7日月曜日

人生を簡単に変える音楽 YouTube

 これ聴いてないのに音楽好きってマジ?? 人生を簡単に変える音楽「体験」ができるアルバム11枚。

YouTube

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11枚

1.黒い聖者と罪ある女 1963 チャーリー・ミンガス 

#1 音の洪水 music



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2.Close to the Edge 1972 YES

#2 なんだかわかんないけど、すごい music


note Yes の『Close to the Edge』を聴いてみた編 ☆彡



 内山 結愛 Twitter

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3.APPETITE FOR DESTRUCTI 1987 Guns N' Roses

#3 衝動と破壊のエナジー、確かな芸術性 music  ☆彡 


ガンズ・アンド・ローゼズのデビュー・アルバム。

発売当時のジャケットは、ロバート・ウィリアムス(英語版)作の絵画"Appetite for Destruction"(ロボットが女性をレイプする内容)を使用していたが、発売直後にクレームがつき、十字架のタトゥー柄に変更となった。「レイプ・ジャケット」は、後に日本発売のみのライブ・ミニ・アルバム『EP(邦題「ライブ・フロム・ザ・ジャングル」)』に流用された後、1990年の日本再発版ではオリジナル・ジャケットが使用された。



最終曲「ロケット・クイーン」のブリッジ部分には、女性がクライマックスを迎える声が収録されているが、これはアクセル・ローズが、スティーヴン・アドラーの彼女だったアドリアーナ・スミスとスタジオで性行為に及び録音したものである。しかしその後、アドリアーナ・スミスは罪悪感と恥辱感に苦しみ、数年間、後遺症に悩まされた。


記事 【名盤 全曲解説】ガンズ・アンド・ローゼズ、あなたの知らない「アペタイト・フォー・ディストラクション」

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4.MTV Unplugged In New York 1994 Nirvana

#4 魂の奥を覗く時 music


記事 ニルヴァーナ『MTV Unplugged In New York』:彼の死から7カ月後に発売された史上最高のライヴ盤

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5. Metropolis Pt. 2 : Scenes from a Memory 1999

Dream Theater

#5 壮大な物語 music 


ウィキペディアより

ドリーム・シアター (Dream Theater) は、アメリカ合衆国出身のプログレッシブ・メタルバンド。

「フェイツ・ウォーニング」らと並び、米国産プログレッシブ・メタルの草分け的存在として知られる。度々の来日実績があり、日本でも高い支持を得る。

イエス、ジェネシスなどの構築的なプログレッシブ・ロックと、アイアン・メイデンやメタリカなどのドラマティックな展開を持ったヘヴィメタルの双方に影響を受け、それらを各々の豊かな演奏技術と多彩なバックボーンで組み合わせたスタイルを築き上げている。ことに双方の要素を色濃く持つ音楽性のラッシュについては、メンバーが(特にアルバム『アウェイク』の頃まで)あちこちのインタビュー等でその影響を公言していた。


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6.Lift Your Skinny Fists like Antennas to Heaven 2000

 Godspeed You! Black Emperor

#6 一本の映画  music 

 暴走族のブラックエンペラーから、過激なロックをイメージしていたが、全く違っていた。


Amazonレビュー
 カナダ出身のこのバンドはノーカットアルバム第二弾として2枚組みCDをリリースし、野望に満ちたオーケストラロックの価値を引き上げた。典型的なロックバンド楽器であるドラムとギターに、ホルンと弦楽器を組み合わせ、モノトーンでゆっくりと盛り上がるメロディックな音を中心に作り上げられた音楽。繊細な挿入部分から大胆で壮大なクライマックスまで、昇降を繰り返す。ヴァイオリンとドラムが並列して作るみずみずしくロマンティックな作品は、レイチェルズを思い起こさせるが、彼らの作風のスケールと曲のダイナミックなピークの強烈な繰り返しはむしろ グレン・ブランカの『The Ascension』を彷彿させる。ディスクはそれぞれ21分の曲が2曲ずつとなっているが、パッケージには細かい説明も含まれていてわかりやすい。オープニングは5分にわたる15ビートのサーキュラーメロディックパターンで始まり、熱狂的な叫びへと盛り上がっていく中で、徐々に装飾音が加わっていく。そして毒舌的なギターソロをサポートするため、のどかなモノトーンにドロップし、やがて統合された 4/4拍子の規則正しいロックが爆発する。そのあとには、深夜営業のスウェルマップスのとりとめのないピアノ音と混ざり合った公共のアナウンスの録音が残される。他の曲も似たような音の構成を使って、聴き手を同様の旅に連れ出してくれる。ゴッズスピードの前作のファンはきっと満足するだろうし、興味のある人もぜひ聴いてみたくなるだろう。

amazonレビュー 重厚
 1stに引き続き、とにかく凄まじい世界観を内包したアルバム。好きな人はとことん好きになってしまうぐらいの悲哀と怒りが詰まってます。一曲一曲の個性もあるし、かなり長いのに入り込めれば飽きることはないと思います。というか、聞き込めば聞き込むほど新たな発見がある。このバンドの世界観に惚れた人には、ギタリストであるエフリムが後に結成するthee silver mt.zion memorial orchestra & tra-la-la bandも強くお勧めします。

 参考
thee silver mt.zion memorial orchestra & tra-la-la band ウィキペディア

→ Silver Mt. Zion music

 シルバー・マウント・ザイオンの音楽はポストロックと評されているが、歌手兼ギタリストのエフリム・メヌックはパンクロックの精神と美学に共感している。 バンドはレコードレーベルConstellationから7枚のスタジオアルバムと3枚のEPをリリースしている。
音楽、歌詞、テーマ
 バンドの楽曲で歌われている歌詞のほとんどはメヌックが書いているが、他のバンドメンバーも参加している。バンドの音楽には強い政治的モチーフがあり、無政府状態から戦争、自由まで様々な主題を扱っている。 2008年3月にリリースされた『13 Blues for Thirteen Moons』は、挿入歌に歌詞カードが入った初めてのアルバムだった。メヌックの耳障りなギターワークは、弦楽器、テープループ、重厚なドラムと組み合わさってバンドのサウンドを生み出している

Godspeed You! Black Emperor
ウィキペディアより

 1994年、カナダのモントリオールでエフリム・メナックとマウロ・ペッツェントの2人によって結成される。バンド名は1976年に公開された日本映画『ゴッド・スピード・ユー! BLACK EMPEROR』から採られた。

ドキュメント映画 prime


note 本日の一曲 vol.428 ゴッド・スピード・ユー! BLACK EMPEROR 2024年2月13日現在死者2万8340人 (Godspeed You! Black Emperor: "No Title As Of 13 February 2024 28,340 Dead, 2024)

アルバムに収録された曲は以下の6曲です。

1.SUN IS A HOLE SUN IS VAPORS (太陽は空虚、太陽は消え去る)

2.BABYS IN A THUNDERCLOUD (雷雲の中の赤ん坊たち)

3.RAINDROPS CAST IN LEAD (鉛で鋳造された雨のしずく)

4.BROKEN SPIRES AT DEAD KAPITAL (資本の終焉にある崩落した尖塔)

5.PALE SPECTATOR TAKES PHOTOGRAPHS (青ざめた傍観者が写真を撮る)

6.GREY RUBBLE - GREEN SHOOTS (「灰色の瓦礫」~破壊と「緑の芽」~再生)

加えて、リリース時に彼らは以下のメッセージを発しています。


"No Title= What gestures make sense while tiny bodies fall? What context? What broken melody? And then a tally and a date to mark a point on the line, the negative process, the growing pile"


ChatGPTに翻訳してもらうと以下のようになります。

「タイトルなし」

小さな体が落ちていく中で、どんな身振りが意味を持つのだろう?

どんな文脈で?

どんな壊れたメロディーだろう?

そして、一つの点を線上に刻むための記録と日付――負のプロセス、積み重なる山。

NO TITLE AS OF 13 FEBRUARY 2024 28,340 DEAD 2024 

music




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7.In The Aeroplane Over The Sea 1998
  Neutral Milk Hotel

#7 心の底から湧き上がる音楽の喜び music 

 悪くはないけど、言うほどここには刺さらなかった。

でも繰り返し聞いていくうちにクセになるかも。


・【全曲和訳】Neutral Milk Hotel - In the Aeroplane Over the Sea  note 

・ニュートラル・ミルク・ホテルという洋楽界の伝説 note

ニュートラル・ミルク・ホテル (Neutral Milk Hotel) は、アメリカ合衆国のインディー・ロックバンド。1990年代にギター・ボーカルのジェフ・マンガムを中心に活動していた4人組。1999年に活動を終了したが2013年に再結成を果たす。

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8.EXPERIENCED 2011 
 BOOM BOOM SATELLITES  ブンブンサテライツ

#8 日本にこんな最高のバンドがいたんだ。 music 




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9.The Black Parade 2006
 My Chemical Romance

#9 めんどくさい人はここだけ見ちゃっていいです music



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10.To Pimp A Butterfly 2015
 Kendrick Lamar 

#10 歴史上最高の音楽アルバム music




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11.Nurture 2021
 Porter Robinson

#11 このアルバムが好きな人は、音楽が好きな人  music 

 【=◈︿◈=】




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番外

10:23 他にもいっぱい1 60~70年代

#ジャズが好きなら

12.A Love Supreme 至上の愛 1965

 John Coltrane ジョン・コルトレーン

 music 


 コルトレーンが神に捧げた、全4パート構成による組曲のアルバム。作曲に当たって、カバラの書物の影響を受けたという。異なるリズムを並走させるポリリズムは、メロディーと和音と音階とを軸とする西洋音楽ではなく、インドやアフリカといった地域の他にはないリズムから大きく影響を受けたと言われている。レギュラー・カルテットの渾身の演奏が高く評価された。本作でひとつの境地に達したコルトレーンは、その後より先鋭的でアバンギャルドなフリー・ジャズの領域に挑戦することとなる。

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13.Bitches Brew ビッチェズ・ブリュー 1970
 Miles Davis マイルス・デイヴィス

 前作『イン・ア・サイレント・ウェイ』に引き続き、エレクトリック・ジャズ路線を押し進めた内容で、「フュージョン」と呼ばれるジャンルを確立した、ジャズ史上最も革命的な作品の一つとみなされている。マイルスのアルバムとしては初めて、本国アメリカでゴールド・ディスクに達し[7]、総合チャートのBillboard 200で自身唯一のトップ40入りを果たした。その後も売れ続け、『カインド・オブ・ブルー』と並ぶマイルス最大のヒット作と言われている。

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#パンクが好きなら

14.LONDON CALLING 1979 The Clash

 music


参考 

14.Havana 3 A.M.



1 Joyride

2 Blue Motorcycle Eyes

3 Reach The Rock

4 Death In The Afternoon

5 Hole In The Sky

6 What About Your Future

7 The Hardest Game

8 Hey Amigo

9 Life On The Line

10 Surf In The City

11 Blue Gene Vincent

12 Living In This Town

 クラッシュのベーシスト、ポール・シムノンが結成したハバナ3a.m.の、91年にリリースされたファーストの初CD化。ロカビリー・テイストのストレートな演奏をベースに、ラテン・フレイヴァーをブレンドした音作りは10年前とは思えないほどモダンで、むしろ今の方が時代にマッチするように思える。クラッシュを彷彿とさせるロック、レゲエ・ナンバーからラテン・ホーン・セクションをフィーチャーした作品、マカロニ・ウェスタン調のインストまで、ジョー・ストラマーとの類似点も見出せるのが興味深い。 (保科好宏) --- 2002年02月号 -- 内容 (「CDジャーナル・レビュー」より)

14.Texas Glitter & Tomstone Tales 2008
 Gary Myrick & Havana 3am

  music




ウィキペディア海外版より

 ゲイリー・マイリックはアメリカの歌手、ソングライター、ギタリストである。

 ポール・シムノン(ザ・クラッシュの元ベーシスト)、ナイジェル・ディクソン(ワールウィンドの元リードシンガー)、そしてマイリックがハバナ3amを結成。バンドは1991年にロカビリー、ラテン、パンクの伝統を融合したセルフタイトルのアルバムをリリース。シムノンがバンドを脱退した後、マイリックはディクソンと共に次のハバナ3amのアルバムの制作に取り掛かった。しかしディクソンは1993年に癌で他界。マイリックはハバナ3amを立て直し、トム・フェリセッタとジェイミー・シェズと共に1996年にアルバム『Texas Glitter and Tombstone Tales』を完成させた。


ルーツ・ロックへと向かう中で、マイリックは2001年のソロ・リリース『ワルツ・オブ・ザ・スケアクロウ・キング』で、シンプルなアコースティック・アプローチに切り替えた。ローリング・ストーンズの「アズ・ティアーズ・ゴー・バイ」のカバーをフィーチャーした『リインベント・ザ・ゴッズ』は、2004年に自主リリースされた。


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15.Hey Jude 


 ビートルズ


「ヘイ・ジュード」(Hey Jude)は、ビートルズの楽曲である。レノン=マッカートニー名義となっているが、ポール・マッカートニーによって書かれた楽曲。ビートルズが設立したアップル・レコードからの第1弾シングルとして1968年8月に発売され、B面には「レボリューション」が収録された。シングル盤は全英シングルチャートやBillboard Hot 100で第1位を獲得。その後、アメリカで1970年2月に発売されたコンピレーション・アルバム『ヘイ・ジュード』に収録された。

背景・曲の構成

 1968年5月、ジョン・レノンと妻シンシアは、ジョン・レノンがオノ・ヨーコとの不倫交際を始めたことをきっかけに別居。翌月、ポール・マッカートニーは当時5歳であった夫妻の長男であるジュリアンの元を訪れた[2]。両親の不仲により精神的に不安なジュリアンを気の毒に思ったマッカートニーは、帰宅途中の車の中で「ヘイ・ジュード」を作曲した[3]。当初のタイトルは「ヘイ・ジュールズ[注釈 1]」で、ジュリアンを慰めることを目的とした楽曲だった[4]。歌詞について、マッカートニーは「この曲は『ヘイ・ジュールズ』というタイトルから始まった。つまり、ジュリアンに『つらくても頑張って乗り越えるんだよ』って伝えること。彼にはつらいことのはずだったから」と語っている[5][6]。その後、タイトルは「Jude」に改められた。

 歌詞について、レノンは(自分がオノ・ヨーコに夢中だった時期だからか)「俺への歌との解釈も出来る。『go out and get her(彼女をものにしてこいよ)』というフレーズで、ポールは無意識に『僕の元を離れていいよ』と言っていたんじゃないかな」と発言しているが、これについてマッカートニーは否定している。またレノンを含む数名は「婚約者ジェーン・アッシャーに婚約を一方的に破棄されたポールのポール自身への無意識のメッセージではないか」と解釈しているほか、Judeは女性名でもあることから『デイリー・エクスプレス』の女性記者ジューディス・サイモンズへの歌と解釈する者もいる。


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16.Unknown Pleasures 1979

 Joy Division ジョイ・ディヴィジョン

music


ジョイ・ディヴィジョン (Joy Division) は、イギリスのロックバンド。music

 1976年にグレーター・マンチェスターのサルフォードで結成され、ポストパンクを代表するバンドの一つとして活躍。ボーカリストのイアン・カーティスの書く内省的な歌詞や特徴的なライブパフォーマンスは多くの人を惹きつけた。ところが、初のアメリカ・ツアーへの出発前日の1980年5月18日にカーティスが自殺。突然の悲劇によりバンドは解散を余儀なくされた。その後、残されたメンバーはニュー・オーダーを結成することになる。

活動期間も短かったがレディオヘッドなど1980年代末以降のオルタナティヴ・ロックに多大な影響を及ぼした[1]。また、代表曲の一つである「ラヴ・ウィル・テア・アス・アパートLove Will Tear Us Apart」は80年代の名曲として名高い。


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17.The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars 1972

 David Bowie デヴィッド・ボウイ ウィキペディア

 music



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18.The Wall 1979 

 ☆彡 Pink Floyd ウィキペディア

 music


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19.What's Going On ☆彡

 Marvin Gaye マーヴィンゲイ ウィキペディア

 music


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20.TOMMY 1969

 the who 

 music 


・ザ・フー最高傑作『Tommy』解説:ある男の想像の産物であり、ある男が見る素晴らしい光景 udiscovermusic

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#女性ジャズ・ボーカルを聴くなら

 参考 

udiscovermusic 黒汁滴る女性ジャズ・ヴォーカル42傑

udiscovermusic 【全曲試聴付】史上最高の女性ジャズ・シンガー・ベスト25

21.Nina Simone ニーナ・シモン

music ウィキペディア


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22.Etta James エタ・ジャームス

music ウィキペディア


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23.Avicii アヴィーチー 

music ウィキペディア




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15:16 他にもいっぱい2

24.STONE ROSES  1989

 STONE ROSES 

 music


ウィキペディア

 ザ・ストーン・ローゼズ(The Stone Roses)は、イギリスのロックバンド。1983年にマンチェスターにて結成され、ニュー・オーダーやハッピー・マンデーズ、ザ・シャーラタンズといったバンドとともに、マッドチェスター・ムーヴメントの中心的存在として活躍。『ザ・ストーン・ローゼズ』(1989年)と『セカンド・カミング』(1994年)の2作を発表した後、1996年に解散。オアシスをはじめとするブリットポップや後の音楽シーンに多大なる影響を与えた。

 解散後も幾度となく再結成が噂されてきたが、2011年10月18日に再結成することが正式発表され、2012年6月29日(金)から7月1日(日)までの3日間、マンチェスター北にあるヒートンパークにて合計22万人を集めたライブを行った。

曲目リスト

1 I Wanna Be Adored

2 She Bangs The Drums

3 Elephant Stone

4 Waterfall

5 Don't Stop

6 Bye Bye Badman

7 Elizabeth My Dear

8 (Song For My) Sugar Spun Sister

9 Made Of Stone

10 Shoot You Down

11 This Is The One

12 I Am The Resurrection

13 Fools Gold

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25.Heaven Or Las Vegas 1990

 Cocteau Twins コクトー・ツインズ music

 musicなし YouTube


ウィキペディア

 コクトー・ツインズ(Cocteau Twins)は、1979年から1997年に活動したイギリス、スコットランドのロック・バンド。

note Cocteau Twins の『Heaven or Las Vegas』を聴いてみた編


曲目リスト

1 Cherry coloured funk YouTube

2 Pitch the baby

3 Iceblink luck

4 Fifty fifty clown

5 Heaven or Las Vegas

6 I wear your ring

7 Fotzepolitic

8 Wolf in the breast

9 River road and rail

10 Frou frou foxes in the midsummer fires


参考

・王菲 フェイ・ウォン - コクトー・ツインズに影響を受け、数曲カバーしている。

・・フェイ・ウォン(王菲)はドリームポップの伝説か──コクトー・ツインズとの蜜月がもたらしたもの 記事

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26.


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33:38 ほかにもいっぱい3


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19:06 ここだけでも1


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43:05 心と心で繋がり合うアート



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スレイド Slade

 スレイド Slade


ウィキペディア music

 スレイド(英語: Slade)は、1966年にイングランド・ウェスト・ミッドランズ州ウルヴァーハンプトンで結成されたロックバンドである。1970年初頭にグラムロック・ブームの一翼を担いつつヒット・チャートを席巻し、1980年代に入っても人気を得た。

1992年にリード・ボーカルとギターのノディ・ホルダーとベースのジム・リーが脱退したことにより、バンドは停滞。その後、「スレイドII」として活動を再開し、後にグループ名を戻した。

キッスのジーン・シモンズが、スレイドからの影響を公言している。

なお、スレイドの楽曲には「Coz I Luv You」「Skweeze Me Pleeze Me」など、間違ったスペリングをタイトルに用いた曲が多いが、これは意図的なものである。

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スタジオ・アルバム

ビギニングス Beginnings 1969 music 

プレイ・イット・ラウド Play It Loud 1970 music

スレイド? Slayed? 1972 music

Sladest 1973 music 

 「カモン!!」(原題 : Cum On Feel the Noize)は、スレイドの楽曲。作詞作曲はノディ・ホルダーとジム・リー(英語版)で、プロデューサーはチャス・チャンドラー。1973年にシングルで発売され、全英シングルチャートで4週連続で1位を獲得し、12週にわたってチャートインした[4]。オリジナル・アルバムには未収録となり、コンピレーション・アルバム『スレイデスト』でアルバム初収録となった。

曲目リスト

1 Cum on Feel the Noize

2 Look Wot You Dun

3 Gudbuy T'jane

4 One Way Hotel

5 Skweeze Me, Pleeze Me

6 Pouk Hill

7 The Shape of Things to Come

8 Take Me Bak 'Ome

9 Coz I Luv You

10 Wild Winds Are Blowing

11 Know Who You Are

12 Get Down and Get with It

13 Look at Last Nite

14 Mama Weer All Crazee Now

15 Hear Me Calling

16 My Friend Stan

17 My Town

18 Kill 'Em at the Hot Club Tonite

19 Skweeze Me, Pleeze Me (Usa 7" Edit)

20 Merry Xmas Everybody

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大狂乱スレイド一座 Old, New, Borrowed and Blue 1974 music

狂乱の炎 Slade in Flame 1974 music 

ノーボディズ・フール Nobody's Fools 1976 music 

衝撃の炎 Whatever Happened To Slade? 1977 music 

リターン・トゥ・ベース Return to Base 1979 music 

ブリング・ザ・ハウス・ダウン We'll Bring the House Down 1981 music 

ティル・デフ・ドゥ・アス・パート Till Deaf Do Us Part 1981 music 

◎神風シンドローム The Amazing Kamikaze Syndrome 1983 music

曲目リスト

1 Slam The Hammer Down

2 In The Doghouse

3 Run Runaway

4 High And Dry

5 My Oh My

6 Cocky Rock Boys (Rule O.K.)

7 Ready To Explode/I: The Warm Up/II: The Grid/III: The Race/IV: The Dream

8 (And Now - The Waltz) C’est La Vie

9 Cheap ’N’ Nasty Luv

10 Razzle Dazzle Man

11 Can’t Tame A Hurricane

12 Keep Your Hands Off My Power Supply

13 Two Track Stereo, One Track Mind

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ローグス・ギャラリー Rogues Gallery 1985 music 

クラッカーズ Crackers: The Party Album 1985 music 

ボーイズ・メイク・ビッグ・ノイズ You Boyz Make Big Noize 1987 music 

キープ・オン・ロッキン Keep on Rockin' 1987 music amazon YouTube

  ※2002年に「Cum On Let's Party」に改題されて再発売された。


Cum On Feel the Hitz: The Best of Slade 2020 music


The New Victoria 2022 music 

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ライブ・アルバム

『スレイド・アライブ』 - Slade Alive(1972年3月24日、ポリドール) music

『スレイド・アライブVol.2』 - Slade Alive, Vol. 2(1978年10月27日、バーン) music

『スレイド・オン・ステージ』 - Slade On Stage(1982年12月11日、RCA) music

『Slade Alive! - The Live Anthology』(2006年8月21日、サルーボ) music

『Live at the BBC』(2009年9月28日、サルーボ) music

The Hucknall Miners' Welfare Club (Live) 2022 music


2025年4月6日日曜日

ディープ・パープル Deep Purple

 ディープ・パープル Deep Purple


ウィキペディア music 

 ディープ・パープル(英語: Deep Purple)は、イギリスのイングランド出身のハードロック・バンドである。

レッド・ツェッペリンと並ぶハードロック・バンドの代表格の一つに数えられ、後続のバンドや多くのヘビー・メタル・バンドに多大な影響を与えた。

1968年結成。1976年に第4期のグループが解散。1984年に第2期のメンバーによって再結成。2024年現在、第10期が活動中である。

アルバムセールスは、全世界で1億枚を突破している。2016年度に「ロックの殿堂」入りを果たした。

概要

 ディープ・パープルは長い歴史の中で多くのメンバー・チェンジを繰り返すも、ボーカル/ベース/ギター/キーボード/ドラムという構成を一貫して保ち、大音量のハードロック演奏を繰り広げてきた。初代ギタリストのリッチー・ブラックモアはハード・ロック・ギタリストの筆頭格と認識され、ハードロックやヘビーメタルロックのギタリストに絶大な影響を与え、多くの心酔者と追随者を生んだ。

 ディープ・パープルの特徴の一つとして挙げられるのは、レッド・ツェッペリンや多くのハードロック・バンドと異なり、キーボードがギターとほぼ同等の比重を占めることである。初代キーボーディストのジョン・ロードは、ロック・ミュージックのハモンド・オルガン奏者のパイオニアの一人であり、ハモンド・オルガンをハードロックに導入するという大きな功績をあげた。

 代表曲には「ハッシュ」「ブラック・ナイト」「ハイウェイ・スター」「スモーク・オン・ザ・ウォーター」「紫の炎」「ウーマン・フロム・トーキョー」「スペース・トラッキン」「スピード・キング」「チャイルド・イン・タイム」などがある。

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結成 - 解散宣言

スタジオ・アルバム

『ハッシュ』 - Shades of Deep Purple (1968年発表、第1期) music

『詩人タリエシンの世界』 - The Book of Taliesyn (1968年発表、第1期)

『ディープ・パープル III』 - Deep Purple - (1969年発表、第1期)

『ディープ・パープル・イン・ロック』 - Deep Purple in Rock (1970年発表、第2期)

『ファイアボール』 - Fireball(1971年発表、第2期)

『マシン・ヘッド』 - Machine Head (1972年発表、第2期) music

曲目リスト

1 Highway Star

2 Maybe I'm A Leo

3 Pictures Of Home

4 Never Before

5 Smoke On The Water

6 Lazy

7 Space Truckin'

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『紫の肖像』 - Who Do We Think We Are (1973年発表、第2期)

『紫の炎』 - Burn (1974年発表、第3期) music

曲目リスト

1 Burn (2004 Digital Remaster)

2 Might Just Take Your Life (2004 Digital Remaster)

3 Lay Down, Stay Down (2004 Digital Remaster)

4 Sail Away (2004 Digital Remaster)

5 You Fool No One (2004 Digital Remaster)

6 What's Goin' On Here (2004 Digital Remaster)

7 Mistreated (2004 Digital Remaster)

8 'A' 200 (2004 Digital Remaster)

9 Coronarias Redig (Single B-Side 2004 Remix)

10 Burn (2004 Remix)

11 Mistreated (2004 Remix)

12 You Fool No One (2004 Remix)

13 Sail Away (2004 Remix)

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『嵐の使者』 - Stormbringer (1974年発表、第3期)

『カム・テイスト・ザ・バンド』 - Come Taste the Band (1975年発表、第4期)


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ライブ・アルバム

『ロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラ』 - Concerto for Group and Orchestra (1969年発表)

『ライヴ・イン・ジャパン』 - Made in Japan (1972年日本公演を収録、1972年発表)

『イン・コンサート』 - Deep Purple in Concert (1970年と1972年の公演を収録、1980年発表)

『カリフォルニア・ジャム 1974』 - California Jam 1974 (1974年カリフォルニア・ジャムでの公演を収録)

『ライヴ・イン・ロンドン』 - Live in London (1975年ロンドン公演を収録、1982年発表)

『メイド・イン・ヨーロッパ』 - Made in Europe (1975年ヨーロッパ公演を収録、1976年発表)

『紫の昇華〜ザ・ファイナル・コンサート〜』 - Mk III: The Final Concerts (1975年ヨーロッパ公演を収録、1996年発表)

『ラスト・コンサート・イン・ジャパン』 - Last Concert in Japan (1975年日本公演を収録、1977年発表)

『ライブ・イン・ジャパン1975』 - This Time Around: Live in Tokyo (1975年日本公演を収録、2001年発表)

『紫の神技〜ライブ・イン・カリフォルニア・ロング・ビーチ・アリーナ1976』 - King Biscuit Flower Hour Presents: Deep Purple in Concert (1976年アメリカ公演を収録、1995年発表)

『ジェミニ・スイート・ライヴ』- Deep Purple And The Orchestra Of The Light Music Society Conducted By Malcolm Arnold – Gemini Suite Live [76](1970年ロンドンのロイヤル・フェスティバル・ホールで録音、1993年発表)


エルヴィス・プレスリー Elvis Presley

 エルヴィス・プレスリー Elvis Presley

ウィキペディア music 

 エルヴィス・アーロン・プレスリー(Elvis Aron Presley、1935年1月8日 - 1977年8月16日)は、アメリカ合衆国の歌手[9][10]、俳優[11]。全世界のレコード・カセット・CD等の総売り上げは5億枚以上とされている[12][13]、史上最も売れた音楽家の一人[14][15]。「キング・オブ・ロックンロール」と称される[16]。ミドルネームは公文書、サイン共にAronだが、墓石にはAaronと表記されている[17]。

概要

 1950年代にチャック・ベリーやファッツ・ドミノ、リトル・リチャード、カール・パーキンス、ジェリー・リー・ルイス、ビル・ヘイリーらと共にロック・アンド・ロール(ロックンロール)の誕生と普及に大きく貢献した、いわゆる創始者の一人であり、後進のアーティストに多大なる影響を与えた。その功績からキング・オブ・ロックンロールまたはキングと称され、ギネス・ワールド・レコーズでは「史上最も成功したソロ・アーティスト」として認定されている。1950年代に、アメリカやイギリスをはじめとする多くの若者をロックンロールによって熱狂させ、それは20世紀後半のポピュラー音楽の中で、最初の大きなムーブメントを引き起こした。また、極貧の幼少時代から一気にスーパースターにまで上り詰めたことから、アメリカンドリームの象徴であるとされる。ジョン・レノン、ボブ・ディラン、ポール・マッカートニー、ボブ・シーガー、フレディ・マーキュリー、テリー・スタッフォードなど、多くのロック、ポップのミュージシャンたちが憧れたことでも知られる(下段・フォロワーを参照)。


 初期のプレスリーのロカビリー・スタイルは、黒人の音楽であるブルースやリズムアンドブルースと白人の音楽であるカントリー・アンド・ウェスタンを融合した音楽であるといわれている。それは深刻な人種問題を抱えていた当時のアメリカでは画期的なことであった。

 その後全国的な人気を得たが、白人社会だった当時は保守層から「プレスリーはセックス狂」や「彼は白人を黒人に陥れる」など、凄まじい批判を受けた。「ロックンロールが青少年の非行の原因だ」と中傷され、「骨盤ダンス」も問題となり、PTAはテレビ放送の禁止要求を行うなど、様々な批判、中傷の的になった。KWK FM & AMラジオではプレスリーのレコード(「ハウンドドッグ」)を叩き割り、「ロックンロールとは絶縁だ」と放送。さらにフロリダの演奏では、下半身を動かすなとPTAやYMCAに言われ小指を動かして歌った。この時には警官がショーを撮影し、下半身を動かすと逮捕されることになっていた。

 そんな激しい批判の中でもプレスリーは激しいパフォーマンスをやめず、若者を釘付けにしていった。当時プレスリーは、自身に影響を与えた黒人アーティストのリスペクトを、インタビューなどで公に答えており、「ロックンロールが非行の原因になるとは思わない」とも答えている。また、プレスリーは自身のロックンロールについて「セクシーにしようとは思ってないさ。自分を表現する方法なんだ」「俺は人々に悪影響を与えてるとは思わない。もしそう思ったら、俺はトラック運転手に戻るよ。本気でそう思ってるんだ」と答えている。

 プレスリーの音楽によって多くの人々が初めてロックンロールに触れ、ロックンロールは一気にメジャーなものとなった。また、いままで音楽を聞かなかった若年層(特に若い女性)が、音楽を積極的に聞くようになり、ほぼ同時期に普及した安価なテレビジョンやレコードプレーヤーとともに音楽消費を増加させる原動力になった。さらに、音楽だけでなくファッションや髪型などの流行も若者たちの間に芽生え、若者文化が台頭した。晩年はその活動をショーやコンサート中心に移した。1977年8月16日、自宅であるグレイスランドにて42歳の若さで死去した。

 プレスリーの記録は多数あり、例えば、最も成功したソロアーティスト、最多ヒットシングル記録(151回)、1日で最もレコードを売り上げたアーティスト(死の翌日)、等がギネスによって認定されている。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第3位。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第3位。「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第1位。

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オリジナルアルバム

エルヴィス・プレスリー登場!(Elvis Presley) 1956 music 

エルヴィス(Elvis) 1956 music 

エルヴィス・クリスマス・アルバム(Elvis' Christmas Album) 1957 music 

Elvis' Golden Records 1958 music

エルヴィス・イズ・バック(Elvis Is Back!) 1960 なし YouTube

心のふるさと(His Hand in Mine) 1960 music 

歌の贈り物(Something for Everybody) 1961 なし YouTube

ブルー・ハワイ 1961 music 

ポット・ラック(Pot Luck) 1962 なし YouTube

ゴールデン・ヒム(How Great Thou Art) 1967 なし YouTube

エルヴィス・イン・メンフィス(From Elvis in Memphis) 1969 なし YouTube

バック・イン・メンフィス(Back in Memphis) 1970 music

That's the Way It Is (Deluxe Edition) 1970 music 156曲 • 8時間54分

エルヴィス・カントリー(Elvis Country (I'm 10,000 Years Old)) 1971 なし YouTube

ラヴ・レター・フロム・エルヴィス(Love Letters from Elvis) 1971 なし

初めてのクリスマス(Elvis Sings the Wonderful World of Christmas) 1971 なし

エルヴィス・ナウ(Elvis Now) 1972 なし

至上の愛(He Touched Me) 1972 なし

フール(Elvis) 1973 music 

ロックン・ロール魂(Raised on Rock/For Ol' Times Sake) 1973 なし

グッド・タイムズ(Good Times) 1974 なし

約束の地(Promised Land) 1975 なし

エルヴィス・トゥデイ(Today) 1975 なし

メンフィスより愛をこめて(From Elvis Presley Boulevard, Memphis, Tennessee) 1976 

ムーディ・ブルー(Moody Blue) 1977

1977年 逝去

The King of Rock 'n' Roll: The Complete 50's Masters 1992 music 140曲 • 5時間37分

エルヴィス~ベスト・ヒッツ・イン・ジャパン 2002 music 

The Essential Elvis Presley 2007 music 

If I Can Dream: Elvis Presley with the Royal Philharmonic Orchestra 2015 music

MEMPHIS 2024 music 111曲 5時間36分 

 聞き流していて、まったりとした。Hey Judeまでカバーしていた。嬉しい。

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ライブ・アルバム

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全米ナンバー1獲得曲

 ナンバー1ヒットは全18曲、合計79週間である。曲数はビートルズ、マライア・キャリーに次ぐ歴代3位である。週間数に関してはマライア・キャリーに次ぐ歴代2位である。


ハートブレイク・ホテル(Heartbreak Hotel)1956年 7週間連続1位

アイ・ウォント・ユー、アイ・ニード・ユー、アイ・ラヴ・ユー(I Want You,I Need You,I Love You)1956年 1週間1位

ハウンド・ドッグ(Hound Dog)1956年 11週間連続1位

冷たくしないで(Don’t Be Cruel)1956年 11週間連続1位(Hound DogのB面)

ラヴ・ミー・テンダー(Love Me Tender)1956年 5週間連続1位

トゥー・マッチ(Too Much)1957年 3週間連続1位

恋にしびれて(All Shook Up)1957年 8週間連続1位

テディ・ベア((Let Me Be Your) Teddy Bear)1957年 7週間連続1位。エルヴィスは「なぜこんな曲が7週もNo.1になったのか」と疑問に思ったという。

監獄ロック(Jailhouse Rock)1957年 7週間連続1位

ドントまずいぜ(Don’t)1957年 5週間連続1位

冷たい女(Hard Headed Woman)1958年 1週間1位

恋の大穴(A Big Hunk o’ Love)1959年 2週間連続1位

本命はお前だ(Stuck On You)1960年 4週間連続1位

イッツ・ナウ・オア・ネバー(It’s Now or Never)1960年 5週間連続1位

今夜はひとりかい?(Are You Lonesome Tonight?)1960年 6週間連続1位

サレンダー(Surrender)1960年 2週間連続1位

グッド・ラック・チャーム(Good Luck Charm)1961年 2週間連続1位

サスピシャス・マインド(Suspicious Minds)1969年 1週間1位


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エルヴィスサンド

ウィキペディアより

エルヴィスサンド(英: Elvis sandwich)はピーナッツバターとバナナとベーコンを具材とするホットサンドイッチ。エルヴィス・プレスリーの母親グラディスが作った料理で、名前の由来ともなっている。エルヴィスの好物として知られ、「おふくろの味」でもあった[1]。エルビスサンドとも表記される[1]。

アメリカ合衆国では1970年代に知名度が高まった。

作り方の例

作り方の例を以下に記す。


1.カットしたバナナをフライパンで焼き目を付ける。

2.ベーコンをフライパンで加熱する。

3.バナナとベーコンをピーナッツバターを塗ったパンでサンドする。

4.サンドしたものをフライパンでバターなどを使って揚げ焼きする。

5.場合によってはブルーベリージャムも加えて良い 。

参考 漫画『鍋に弾丸を受けながら』 4/6Rentaで購入 1巻第5話エルビス・サンドイッチ

YouTube

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