2025年4月17日木曜日

シェネル Che'Nelle

 シェネル Che'Nelle

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Baby I Love U (Winter Version)   YouTube コナズ珈琲 小平にて聴く

ベイビー・アイラブユー (English Ver.) YouTube 


TEE(ティー、1982年11月26日 - )は日本の男性シンガーソングライターである。


ウィキペディア music 

 1983年3月10日にマレーシアに生まれる。父親はマレーシアの華人、母親はインドとオランダの混血。10歳からオーストラリアで育つ[1]。現在はロサンゼルスを拠点とするR&Bシンガー[2]。

 2005年、MySpaceに公開していたデモを発掘され、キャピトル・レコーズとの契約。2006年にはカニエ・ウェストのオーストラリア・ツアーの前座に抜擢される。

 2007年、シングル「ラブ・ウィズ・DJ」でデビューを果たす。日本国外では芳しい反響は得られなかったが日本でブレイクし[3]、1stアルバムが日本国内でオリコン洋楽チャート1位を獲得した。「ファースト・ラブ」「フィール・グッド」を収録した2ndアルバムを日本で2010年に発売。

 ソングライターとしても精力的に活動しており、最近ではレオナ・ルイスなどへの楽曲提供も手掛ける。

 久保田利伸の「Missing」の英語カヴァーのロング・ヒットを受けて、自身初となるカヴァー・アルバム『ラブ・ソングス』を日本でのみ発売し、累計35万枚を売り上げる[4]。同アルバムに収録されたTEEの「ベイビー・アイラブユー」の英語カヴァーは、レコチョクコール2011年6月28日付週間ランキングにて総合1位、「レコチョク洋楽・フル」および「レコチョク洋楽・うた」の2011年6月28日付週間ランキングにて1位を記録し、累計ダウンロード件数は160万件に達する[4]。


「ビリーヴ」は2012年7月13日に公開された映画『海猿』の第4作・『BRAVE HEARTS 海猿』の主題歌に抜擢され[5]、RIAJ有料音楽配信チャート(2009年4月より実施)では「祈り 〜涙の軌道」(Mr.Children)以来3ヶ月ぶり通算3曲目となる4週連続1位を獲得した。


2013年、6年ぶりにアメリカでの音楽活動を再開した[3]。同年、バックダンサーと結婚した。英語、中国語、マレー語が話せる。日本語の歌を歌いこなすが、話すことはまだあまりできない。

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2007 シェネル / Things Happen For A Reason music

2010 フィール・グッド music

2012 ビリーヴ music

2013 アイシテル music

2015 シェネル・ワールド music

2017 Destiny music



2008 Che'Nelle スペシャル・エディション リミックス・アルバム

2013 ベスト・ソングス ベストアルバム music 

2011 ラブ・ソングス music 

2014 ラブ・ソングス2 music



ビージーズ Bee Gees

 ビージーズ Bee Gees

2025年4月15日 配達中 田無駅 ムサシノコーヒーにて

愛はきらめきの中に How Deep Is Your Love 1977 YouTube を聴く。

歌詞 note

Saturday Night Fever (The Original Movie Soundtrack Deluxe Edition) music

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 ビージーズ Bee Gees

ウィキペディア  music


 ビージーズ(英: Bee Gees)は、英国王室属領マン島生まれのイギリス人のギブ三兄弟を中心に構成された男性ボーカルグループ。1963年にオーストラリアでレコードデビューし、1973年からは米国を中心に活動。1960年代前半から息の長い活動を続け、「ラヴ・サムバディ」、「マサチューセッツ」、「メロディ・フェア」、「若葉のころ」、「イン・ザ・モーニング」、「ホリディ」、「ジョーク」、「傷心の日々」、「ラン・トゥ・ミー」、「ブロードウェイの夜」、「獄中の手紙」、「ステイン・アライヴ」など、数多くの名曲を発表した。ポップなメロディメイカーとしては、レノン=マッカートニー(ビートルズ)やビヨルン&ベニー(ABBA)らと並ぶ名ソングライターチームとして知られている。


ソフト・ロック期:1960年代-1974年

 彼らは、1966年にはオーストラリアで最優秀ボーカルグループに選ばれ、翌1967年2月、シングル「スピックス&スペックス」が全豪ナンバーワンヒットしている頃、オーストラリアでの大人気に着目したビートルズのマネージャーであるブライアン・エプスタインは、自らが経営するNEMSエンタープライズに入社したての新人ロバート・スティッグウッド(1934~2016)をオーストラリアへ赴かせ、ギブ兄弟にワールド・デビューの契約を持ち掛ける。

 イギリスに帰国したギブ兄弟は、オーストラリア・クイーンズランド州生まれでロンドン育ちのドラマー、コリン・ピーターセン(1948~)、そしてオーストラリア時代から彼らのレコーディングにたびたび参加していたシドニー出身のヴィンス・メロニー(1945~)をリードギターに迎え、5人編成として1967年5月にポリドール・レコード本社より「ニューヨーク炭鉱の悲劇」でレコード・デビュー。アメリカでの発売元であるアトコ・レコード(アトランティック・レコードの子会社)が、新人では前代未聞の25万ドルで契約した。

 以後、「ラヴ・サムバディ」[注 1]、「ホリディ」、「マサチューセッツ」(全米11位)、「ワールド」、1968年に「ワーズ」、「ジャンボー」、「獄中の手紙」(初の全米トップ10入り)、「ジョーク」(同じく全米トップ10ヒット)をリリース。同年末にヴィンスがプロデューサー業に転向するため正式に脱退、翌1969年春、4thアルバム『オデッサ』およびシングル「若葉のころ」の発売間もなくロビンがソロ・シンガーになるべく独立(シングル「救いの鐘」は英国のみでヒット)、同年夏にはシングル「トゥモロウ・トゥモロウ」を最後にバリーとモーリスが一方的にコリンを解雇してしまう。 これによって2人となったビージーズは、「想い出を胸に」を全英トップ10に送り込むも、翌1970年春先にシングル「I.O.I.O.」およびアルバム『キューカンバー・キャッスル』発売直後の兄弟喧嘩によって空中分解。その後、それぞれソロ・シングルを発表するも芳しい結果は出せず、同年9月にバリー、ロビン、モーリスの3人は結束の下に改めてビージーズとして再出発することを誓う。

 10月に再スタート第一弾アルバム『トゥー・イヤーズ・オン』を発売、翌71年1月にシングルカットされた「ロンリー・デイ」を全米3位(キャッシュボックス誌では1位)とし、続くシングル「傷心の日々」は念願の全米ナンバーワンとなるが、アルバムセールスは低調だった。71年のイギリス映画『小さな恋のメロディ』は、本国では成功しなかったものの、日本では興業的にも大成功となり、サントラ盤に収められた「メロディ・フェア」、「若葉のころ」などは日本人に親しまれた。

コリン解雇後はジェフ・ブリッジフォードがドラムを叩いていたものの1972年春、初の来日公演(アイドル人気だった1969年に予定されていたが、メンバーの脱退などの諸問題で延び延びとなっていた)寸前に解雇される。

1973年に、マネージャー兼プロデューサーでもあったロバート・スティッグウッドが設立したRSOレコードへ移籍し、アメリカでの発売元であるアトコ・レコードでかつてはヤング・ラスカルズなどを手掛けるなど華々しい経歴の持ち主であるアリフ・マーディンのプロデュースを受け、アルバム『ライフ・イン・ア・ティン・キャン』をリリース。マンネリ化した従来のストリングスサウンド(1967年以降ステージではバックに30人編成から成るストリングス・オーケストラをつけていた)からサウンドを変更したが、翌1974年のアルバム『ミスター・ナチュラル』も不発に終わる。マーディンは自信を失って迷いの中にいるメンバーに「課題は自分たちの新しい音楽スタイルの追求と発展とヒットレコードの制作だ。まわりの音楽状況やほかのアーティストのヒット状況に耳を傾けるように。ファンが何を求め、時代や状況に合った音楽は何か、その中の自分たちの可能性は何なのか」と問うてきた[6]。そしてビージーズの大転換がはじまる。

ディスコ期:1975年-1979年

 1975年に芸能生活20周年記念アルバムでもある『メイン・コース』からシングルカットされた「ジャイヴ・トーキン」、「ブロードウェイの夜」がディスコブームに乗り、全米大ヒット。これよりディスコ時代の幕開けとなる。リズム主体のディスコなサウンドへと脱皮を図った彼らに対して、旧来のファンからは「売れるためにサウンドを変えた」と猛反発された。しかし以後も、ディスコ・ナンバーを中心とする路線を継続し、「ユー・シュッド・ビー・ダンシング」などの大ヒットを飛ばした。ディスコで大人気を誇っていたビージーズのナンバーを大きく取り入れた映画『サタデー・ナイト・フィーバー』[注 2]が、1977年に公開された。同作品はアメリカだけでなく、海外でも大成功し、アルバムも大ヒットとなった。アルバムからはビージーズの「ステイン・アライヴ」、「ナイト・フィーヴァー」、タバレスの「モア・ザン・ア・ウーマン」、イボンヌ・エリマンの「イフ・アイ・キャント・ハヴ・ユー」などがヒットした[7]。

1980年以後

1981年のアルバム『リヴィング・アイズ』がマイナーヒットに終わって以降は、各自のソロ活動と並行して他アーティストへの楽曲提供が活動の中心となり、数多くの全米ヒットを生み出す。

1987年にワーナー・レコードに移籍し、アルバム『E.S.P.』よりシングル・カットされた「ユー・ウィン・アゲイン」は、全英トップ10ヒット。1989年にはシングル「One」が久しぶりにヒットした。また、アンディ・ギブが早逝する悲劇に見舞われた。

2003年、メンバーのモーリス・ギブが急逝。モーリス死去後にロビンは再結成の意向はないと表明したが、2009年から活動を再開した[8]。

2012年5月20日、ロビン・ギブの死去[9]によりギブ3兄弟によるグループ活動は消滅した。



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1965 The Bee Gees Sing and Play 14 Barry Gibb Songs
1966 スピックス・アンド・スペックスSpicks and Specks
1967 ビー・ジーズ・ファースト Bee Gees 1st 
1968 ホリゾンタル Horizontal
1968 アイディア Idea  
1969 オデッサ Odessa
1970 キューカンバー・キャッスル Cucumber Castle  
1970 トゥー・イヤーズ・オン 2 Years On
1971 トラファルガー Trafalgar
1972 トゥ・フーム・イット・メイ・コンサーン To Whom It May Concern
1973 ライフ・イン・ア・ティン・キャン Life in a Tin Can
1974 ミスター・ナチュラル Mr. Natural

1975 メイン・コース Main Course music

1976 チルドレン・オブ・ザ・ワールド Children of the World
1979 失われた愛の世界 Spirits Having Flown
1981 リヴィング・アイズ Living Eyes
1987 E.S.P. E.S.P.
1989 ONE One
1991 ハイ・シヴィライゼーション High Civilization
1993 サイズ・イズント・エヴリシング Size Isn't Everything
1997 スティル・ウォーターズ Still Waters
2001 ディス・イズ・ホエア・アイ・ケイム・イン This Is Where I Came In


『サタデー・ナイト・フィーバー』は、1998年にミュージカル版もロンドンで製作され、翌年にはブロードウェー公演も果たし、日本公演は2003年に新宿コマ劇場で行われた。続編である映画『ステイン・アライブ』も公開された。

・映画 サタデー・ナイト・フィーバー prime

・映画 ステイン・アライブ prime

参考 映画 グリース フラッシュダンス

愛はきらめきの中に~ナンバー・ワン・ヒット・ソングス Number Ones 

 music amazonより

内容紹介

【ビー・ジーズ・デビュー40周年記念】
 1967年ポリドールよりアルバム『ファースト』にてUKデビューを果すに先んじて、ビー・ジーズの活動基盤であったオーストラリアにて発売された彼らのアーティスト活動開始ファースト・アルバム『The Bee Gees Sing and Play Barry 14 Gibb Songs』がリリースされたのが1965年11月(レーベル:Leedon)。2004年11月に40周年を迎えます。

 2003年1月16日に惜しくもモーリス・ギブが他界してしまい、ビー・ジーズ3人の活動は終わってしまいましたが、彼らのヒット曲の数々はさまざまなアーティストにカバーされ、前にもましてエヴァー・グリーンな輝きとともに継承されています。イギリスでは2004年5月に大英帝国勲位を授与されるなど、世界中で再び注目の集まる中、日本でもあの『サタデー・ナイト・フィーヴァー』がリヴァイヴァル・ロードショー。さらに2005年にはモーリスを偲ぶトリビュート・コンサートやトリビュート・アルバムの製作なども予定されており、ますます再評価が高まっています。その40周年の記念に今回はバリーとロビンの選ぶNo.1ヒットばかりを収録した最新のベスト・コレクションをリリース。故モーリス・ギブに追悼の意を表明すべく特別に「マン・イン・ザ・ミドル」(2001年最後のオリジナル・アルバムから)も収録され、彼らの長い活動の全ての時代を網羅したオール・タイム・ベストの内容になっています。

【ビー・ジーズの功績】

63年にオーストラリアでデビューしてから全世界で1億7500万枚以上の売り上げを誇る。

エルヴィス・プレスリー、ジャニス・ジョップリン、アル・グリーン、バーバラ・ストライサンドからデスティニーズ・チャイルド、ハッピー・マンデイズ、オジー・オズボーンまで1000アーティスト以上がビー・ジーズの曲を今までパフォーマンスしている。

60年代から90年代までどの年代においてもNo.1ヒットをもっている。

『サタデー・ナイト・フィーバー』のサントラは全米24週No.1に輝いた。今でもその記録は破られることなく世界で一番今まで売れているサウンドトラック。

曲目リスト

1 Massachusetts(マサチューセッツ)

2 World (ワールド)

3 Words (ワーズ)

4 I've Gotta Get A Message To You (獄中の手紙)

5 I Started A Joke (ジョーク)

6 Don't Forget To Remember (想い出を胸に)

7 How Can You Mend A Broken Heart (傷心の日々)

8 Jive Talkin' (ジャイブ・トーキン)

9 You Should Be Dancing (ユー・シュッド・ビー・ダンシング)

10 How Deep Is Your Love (愛はきらめきの中に)

11 Stayin' Alive (ステイン・アライヴ)

12 Night Fever (恋のナイト・フィーヴァー)

13 Too Much Heaven (失われた愛の世界)

14 Tragedy (哀愁のトラジディ)

15 More Than A Woman (モア・ザン・ア・ウーマン)

16 Love You Inside Out (ラヴ・ユー・インサイド・アウト)

17 You Win Again (ユー・ウィン・アゲイン)

18 Man In The Middle (マン・イン・ザ・ミドル)

19 Islands In The Stream (アイランズ・イン・ザ・ストリーム)

20 Immortality (イモータリティ)


2025年4月12日土曜日

マッドネス  Madness 

 マッドネス  Madness


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マッドネス (Madness)は、イギリスのポピュラーバンド、ネオ・スカバンド。

歴史

 1976年、ロンドンにてマイク・バーソン(キーボード、ボーカル)とクリス・フォアマン(ギター)とリー・トンプソン(サックス、ボーカル)の3人が「ザ・ノース・ロンドン・インヴェーダーズ (The North London Invaders)」を結成。1978年、グラハム・マクファーソンとマーク・ベドフォードとダニエル・ウッドゲートが加わって「ザ・ノース・ロンドン・インヴェーダーズ・アンド・モーリス・アンド・ザ・マイナーズ (The North London Invaders and Morris and the Minors)」と名乗って活動した後、名前を「マッドネス」に改名した。


 マッドネスとして1979年にアルバム『ワン・ステップ・ビヨンド』をスティッフ・レコードから発表。サックスを含んだ斬新なネオ・スカ・サウンドが話題になった。1980年初め(1979年末とも)、カサル・スミスが加入する。1982年にはシングル「アワ・ハウス」を発売し、同曲が1983年に全米チャートでもヒットしたことで、アメリカ進出に成功した。1984年、マイク・バーソンが脱退し、アムステルダムに移住する。その2年後の1986年、解散してしまう。

1988年に、マクファーソン、スミス、フォアマンとトンプソンの4人が「ザ・マッドネス (The Madness)」という名称で活動を再開し、アルバムを1枚リリースしている。

 1992年、オリジナル・メンバー7人で再結成。バンド名は再び冠詞の取れた「マッドネス (Madness)」になって現在に至る。その後、ロンドン・オリンピックの式典に参加し、「アワ・ハウス」を演奏した。


スタジオ・アルバム

『ワン・ステップ・ビヨンド』 - One Step Beyond... (1979年、Stiff SEEZ17) music

『アブソルートリー』 - Absolutely (1980年、Stiff SEEZ29) ※旧邦題『独裁宣言』 music

『セヴン』 - 7 (1981年、Stiff SEEZ39) music

『ザ・ライズ・アンド・フォール』 - The Rise & Fall (1982年、Stiff SEEZ46)

『キープ・ムーヴィング』 - Keep Moving (1984年、Stiff SEEZ53)

『マッド・ノット・マッド』 - Mad Not Mad (1985年、Zarjazz JZLP1) ※移籍後、最初のアルバム

『来たるべき復活!』 - The Madness (1988年、Virgin CDV2507) ※THE MADNESS名義

『ワンダフル』 - Wonderful (1999年、Virgin CDV2889) ※結成20周年、15年ぶりのスタジオ録音盤

『デインジャーメン・セッションVol.1』 - The Dangermen Sessions Vol. 1 (2005年、V2)

The Liberty of Norton Folgate (2009年)

『ウィ・ウィ・シー・シー・ヤー・ヤー・ダー・ダー』 - Oui Oui Si Si Ja Ja Da Da (2012年)

Can't Touch Us Now (2016年)

Theatre of the Absurd Presents C'est la Vie (2023年)


スカタライツ

 スカタライツ


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ザ・スカタライツ[1](英: The Skatalites)は、ジャマイカのスカ・バンド。


概要

スカタライツは、1963年、音楽プロデューサーのコクソン・ドッドが、自らのレーベルスタジオ・ワンのハウスバンドとして集めたのが始まりである[1]。ジャッキー・ミットゥ、ドン・ドラモンド、ローランド・アルフォンソ、トミー・マクックらを中心に、年齢を超えたジャズ演奏家たちで構成された。


「ナバロンの要塞(Guns of Navarone)」[注釈 1]を含む彼らの最もよく知られている歌の多くは、1964年と1965年の間に録音された。トロンボーン奏者のドン・ドラモンドのアレンジによる『マン・イン・ザ・ストリート (Man In The Street)』がUKのトップ10に入った。メンバーたちはアメリカのジャズ・ミュージシャンを尊敬していた[注釈 2]


1965年1月1日、ドン・ドラモンドがガールフレンドの殺人によって投獄される。そしてその年の8月、スカタライツは最後のショーを行っている。ドン・ドラモンドは、1969年5月6日、37歳で死亡した。


解散後、ローランド・アルフォンソとジャッキー・ミットゥはスタジオ・ワンに残り「ソウル・ブラザーズ」を結成。トミー・マクックはデューク・リードの下へ移りスーパー・ソニックスを結成する。共に多くのロックステディのアーティストのバックを務めた。その後、ソウル・ブラザーズはソウル・ベンダーズ、サウンド・ディメンションなどとグループ名を変更した。


1980年代、ジャマイカ島外に移住していたオリジナル・メンバーらを中心に再結成される。1989年4月に初来日。2002年には世界ツアーを行なっている。


ディスコグラフィ

スタジオ・アルバム

『スカ・オーセンティック』 - Ska Authentic (1964年、Studio One)

Ska Boo-Da-Ba (1966年、Top Deck/Doctor Bird) music

Ska Authentic Vol. 2 (1967年、Studio One)

Celebration Time (1968年、Studio One)

The Skatalite! (1969年、Treasure Isle)

『アフリカン・ルーツ』 - The Legendary Skatalites/African Roots (1976年、Jam Sounds) ※ロイド・ブリヴェット・ウィズ・スカタライツ名義

『リターン・オブ・ザ・ビッグ・ガンズ』 - Return of the Big Guns (1984年、Island)

『スカ・タ・ショッツ』 - Ska-Ta-Shots (1988年、NEC Avenue)

『ワールドフェイマスカ』 - Ska Voovee (1993年、Shanachie) music

『ハイ・バップ・スカ』 - Hi-Bop Ska (1994年、Shanachie)

Greetings from Skamania (1996年、Shanachie) music

Ball of Fire (1998年、Island)

『バシャカ』 - Bashaka (2000年、Marston Recording Corporation) ※with Ken Boothe

『フロム・パリ・ウィズ・ラヴ』 - From Paris with Love (2002年、World Village)

『ローリング・ステディ』 - Rolling Steady: The 1983 Music Mountain Sessions (2007年、Motion) ※1983年録音

『オン・ザ・ライト・トラック』 - On the Right Track (2007年、AIM)

『ウォーク・ウィズ・ミー』 - Walk With Me (2012年) music

『プラチナム・スカ』 - Platinum Ska (2016年、Island Empire)




ライブ・アルバム

Live at Sunsplash (1984年)

『ストレッチング・アウト』 - Stretching Out (1986年、ROIR) ※1983年録音

『ムード・フォー・スカ』 - Mood For Ska (1989年、NEC Avenue) ※1983年録音

『スカ・グルーヴ・イン・ジャパン』 - Ska Groove In Japan (1989年、Alpha Enterprise)

『Roots Party』 - Roots Party (2003年、FullFill)

Live at Lokerse Feesten (2006年、Charly) ※1997年、2002年録音。CD/DVD

『イン・オービットVOL.1』 - In Orbit Vol. 1 – Live from Argentina (2006年、Phantom Sound & Vision)

Skatalites in Orbit, Vol. 1 & 2 (2010年、Sony)

Ska-talites – History of Ska, Rocksteady & Reggae (2015年、United Sound)

Live at the Belly Up (2020年、Belly Up Live)

スペシャルズ スカ

 スペシャルズ The Specials スカ


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ザ・スペシャルズ (The Specials) はイングランドの2トーンバンド。1970年代後半から活動を始める。2トーンスカと呼ばれるジャンルの代表的存在だったが、象徴的メンバーであるテリー・ホールが2022年に亡くなっている。 

来歴

コヴェントリー出身の白人黒人混成バンド。前身はコヴェントリー・オートマティックス。リーダーはジェリー・ダマーズで、ジャマイカのダンサブルなスカやロックステディに、パンクのエネルギーと態度をミックスしたサウンドで人気を得た。


1979年5月、2トーン・レコードからデビューシングル「Gangsters」を発表。B面はザ・セレクターの「The Selecter」だった[2]。同年10月、ダンディ・リヴィングストンのカバー曲「ルーディたちへのメッセージ」をセカンドシングルとして発表。同年同月、ファーストアルバム『The Specials』を発表。ファーストアルバムはエルヴィス・コステロがプロデューサーを務めた。


1980年1月、5曲入りのライブEP『Too Much Too Young』を発表。全英シングルチャート1位を記録した。同EPには、映画『ナバロンの要塞』のテーマ曲も収録されている。


 全英1位に輝いた1981年のシングル「ゴースト・タウン」を最後に解散。ヴォーカルのテリー・ホールを中心とするファン・ボーイ・スリーと、リーダーのジェリー・ダマーズが率いるスペシャルAKAに別れた。その後、1992年にスペシャルズはレーベルメイトのザ・ビートと合体し、スペシャル・ビートとして活動した。


2009年、オリジナルメンバーで26年ぶりにサマーソニック出演のため来日した。


2022年12月19日、テリー・ホールが膵臓癌で63歳で死去したことをバンド側が公表した。彼らはホールの健康状態が悪化する前に、アメリカで新しいアルバムを録音する予定だった。


アルバム

◎The Specials (1979) music 

◎More Specials (1980) music

In the Studio (1984) music

Today's Specials (1996) music 

○Guilty 'til Proved Innocent! (1998) music

Skinhead Girl (2000) amazon

 スカバンド「The Specials」は2000年にカバー曲入りのスタジオ・アルバム『Skinhead Girl』をリリースした。これは、15のいわゆる「トロージャンクラシック」が含まれています, これらは「トロージャンレコード」からジャマイカから60年代と70年代の古いスカとレゲエの曲です.例えば、ピーター・トッシュは「Sem A Fe Get A Beatin」で表されます。曲はすでに大して喜ばせる方法を知っています。このアルバムには「ザ・スペシャル」が収録された。ネヴィル・ステープル(ボーカル)、ロディ・バイアーズ(エレキギター、ボーカル)、ホレス・パンター(エレキベース)、ネオル・デイヴィス(エレキギター)、アンソニー・ハーティ(ドラム、パーカッション)、ジャスティン・ドズワース(キーボード)、スティーブ・ホールドウェイ(トロンボーン)、ポール・デイルマン(トランペット)、レイ・マリン(トランペット)、レイ・マリン(サックス Ophones)。テリー・ホールとジェリー・ダマーズはアルバム『Today's Specials』同様、再び行方不明となっている。


「I C'ant Hide」、「Jezebel」、「スキンヘッドガール」などの曲が再生されます。曲はメロディックでキャッチーな曲だが、繰り返し聴いてからもあまり印象が残っていない。「El Pussycat Ska」は少し落ちます。なぜなら、歌は完全に発達していないからです。また「メンフィス・アンダーグラウンド」は、おそらくインストゥルメンタル曲としての味の問題である。「ブラム・ブラム・フィーバー」は、アルバム「アンコール」にもあります 2019 それに (他のクレジットと), 私はより良い新しいバージョンが好きです.あなたは曲のうち、バンドを聞くことができます!15曲の合計再生時間は約50分である。4ページのブックレットには、CDの楽曲に関する興味深い解説と、オリジナルクレジットを収録した楽曲のリストが収録されている。


結論:私にとって、アルバム「スキンヘッドガール」は永続的な印象を残しました。しかし、それはそれにもかかわらず、本質的に成功し、職人でも完璧です!古いスカを復活させる試み-そして、レゲエの歌は大歓迎です.星五つ中4つ許す!

Conquering Ruler (2001)

War Crimes 2023 music

シングル

ギャングスターズ(1979年5月) - 全英6位

ルーディたちへのメッセージ(1979年10月) - 全英10位

ゴースト・タウン(1981年6月) - 全英1位

2025年4月10日木曜日

☆彡「COWBOY BEBOP」オリジナルサウンドトラック

 「COWBOY BEBOP」オリジナルサウンドトラック


music   


曲目リスト

1 Tank!

2 RUSH

3 SPOKEY DOKEY

4 BAD DOG NO BISCUITS

5 CAT BLUES

6 COSMOS

7 SPACE LION

8 WALTZ for ZIZI

9 PIANO BLACK

10 POT CITY

11 TOO GOOD TOO BAD

12 CAR 24

13 The EGG and I

14 FELT TIP PEN

15 RAIN

16 DIGGING MY POTATO

17 MEMORY

Amazonレビュー

宇宙を股にかける賞金稼ぎ“カウボーイ”たちの活躍を描いた人気アニメシリーズ「COWBOY BEBOP」のサントラ盤、第1弾。毎回が1本の映画を見ているようなクオリティの高さでアニメファンの度肝を抜いたが、菅野よう子が手がけたサントラもそれに大いに寄与していたことは間違いない。

ビッグバンドブラスが豪勢に鳴り響く、スピーディでスリリング感あふれるスパイサウンドから、スローで枯れた味のあるブルースまで、緩急のあるワイルドで渋い楽曲のオンパレード。アメリカ、フランス、東京と世界各地でレコーディングされた素晴らしいミュージシャン達のプレイを堪能させてくれるぜいたくなサウンドトラックである。(岡部啓一)


メディア掲載レビューほか

TX系アニメ『カウボーイ ビバップ』の、菅野よう子の音楽によるサントラ盤。マイルス・デイビス、ジョン・コルトレーン等を手掛けたエンジニア、ルディヴァンゲルダーが制作に参加。オープニング・テーマ「Tank!」他を収録。 (C)RS

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菅野よう子 ウィキペディア

てつ100%(てつひゃくぱーせんと・てつワンハンドレッドパーセンテージ)は、日本のロックバンド。


1986年、CBS・ソニーSDオーディションで優勝。同年11月にシングル「TOKYO TACO BLUES」でメジャーデビュー。

1987年3月、ファーストアルバム『てつ100%』をリリース。以後、メンバー交代を経て3枚のアルバムを発表。

1989年、解散。

2014年、既に販売終了していたCDの再発売がSony Music Shopのオーダーメイド・ファクトリーにてリクエスト方式で始まる。ファースト・アルバム『てつ100%』がデビュー・シングル『TOKYO TACO BLUES』を加えた+1形式で商品化。

2016年、杉原徹・金子利招・梶野秀樹らオリジナル・メンバーに新メンバーを加え、杉原の音楽活動、てつ100%結成30周年を記念するライブを開催。ライブ・アルバム『RE:CYCLE』をリリースした。

2017年、18曲入りのベスト・アルバム『TETSU100%BEST+添加物2%』をリリース。



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アーティスト

Seatbelts

music ウィキペディア 

SEATBELTS「Tank! (Live 2001/8/10)」 YouTube

SEATBELTS/シートベルツ(たぶん)公式 サイト

シートベルツはひよこ隊長こと菅野よう子が率いるスーパーバンドです。




2025年4月7日月曜日

スレイド Slade

 スレイド Slade


ウィキペディア music

 スレイド(英語: Slade)は、1966年にイングランド・ウェスト・ミッドランズ州ウルヴァーハンプトンで結成されたロックバンドである。1970年初頭にグラムロック・ブームの一翼を担いつつヒット・チャートを席巻し、1980年代に入っても人気を得た。

1992年にリード・ボーカルとギターのノディ・ホルダーとベースのジム・リーが脱退したことにより、バンドは停滞。その後、「スレイドII」として活動を再開し、後にグループ名を戻した。

キッスのジーン・シモンズが、スレイドからの影響を公言している。

なお、スレイドの楽曲には「Coz I Luv You」「Skweeze Me Pleeze Me」など、間違ったスペリングをタイトルに用いた曲が多いが、これは意図的なものである。

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スタジオ・アルバム

ビギニングス Beginnings 1969 music 

プレイ・イット・ラウド Play It Loud 1970 music

スレイド? Slayed? 1972 music

Sladest 1973 music 

 「カモン!!」(原題 : Cum On Feel the Noize)は、スレイドの楽曲。作詞作曲はノディ・ホルダーとジム・リー(英語版)で、プロデューサーはチャス・チャンドラー。1973年にシングルで発売され、全英シングルチャートで4週連続で1位を獲得し、12週にわたってチャートインした[4]。オリジナル・アルバムには未収録となり、コンピレーション・アルバム『スレイデスト』でアルバム初収録となった。

曲目リスト

1 Cum on Feel the Noize

2 Look Wot You Dun

3 Gudbuy T'jane

4 One Way Hotel

5 Skweeze Me, Pleeze Me

6 Pouk Hill

7 The Shape of Things to Come

8 Take Me Bak 'Ome

9 Coz I Luv You

10 Wild Winds Are Blowing

11 Know Who You Are

12 Get Down and Get with It

13 Look at Last Nite

14 Mama Weer All Crazee Now

15 Hear Me Calling

16 My Friend Stan

17 My Town

18 Kill 'Em at the Hot Club Tonite

19 Skweeze Me, Pleeze Me (Usa 7" Edit)

20 Merry Xmas Everybody

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大狂乱スレイド一座 Old, New, Borrowed and Blue 1974 music

狂乱の炎 Slade in Flame 1974 music 

ノーボディズ・フール Nobody's Fools 1976 music 

衝撃の炎 Whatever Happened To Slade? 1977 music 

リターン・トゥ・ベース Return to Base 1979 music 

ブリング・ザ・ハウス・ダウン We'll Bring the House Down 1981 music 

ティル・デフ・ドゥ・アス・パート Till Deaf Do Us Part 1981 music 

◎神風シンドローム The Amazing Kamikaze Syndrome 1983 music

曲目リスト

1 Slam The Hammer Down

2 In The Doghouse

3 Run Runaway

4 High And Dry

5 My Oh My

6 Cocky Rock Boys (Rule O.K.)

7 Ready To Explode/I: The Warm Up/II: The Grid/III: The Race/IV: The Dream

8 (And Now - The Waltz) C’est La Vie

9 Cheap ’N’ Nasty Luv

10 Razzle Dazzle Man

11 Can’t Tame A Hurricane

12 Keep Your Hands Off My Power Supply

13 Two Track Stereo, One Track Mind

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ローグス・ギャラリー Rogues Gallery 1985 music 

クラッカーズ Crackers: The Party Album 1985 music 

ボーイズ・メイク・ビッグ・ノイズ You Boyz Make Big Noize 1987 music 

キープ・オン・ロッキン Keep on Rockin' 1987 music amazon YouTube

  ※2002年に「Cum On Let's Party」に改題されて再発売された。


Cum On Feel the Hitz: The Best of Slade 2020 music


The New Victoria 2022 music 

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ライブ・アルバム

『スレイド・アライブ』 - Slade Alive(1972年3月24日、ポリドール) music

『スレイド・アライブVol.2』 - Slade Alive, Vol. 2(1978年10月27日、バーン) music

『スレイド・オン・ステージ』 - Slade On Stage(1982年12月11日、RCA) music

『Slade Alive! - The Live Anthology』(2006年8月21日、サルーボ) music

『Live at the BBC』(2009年9月28日、サルーボ) music

The Hucknall Miners' Welfare Club (Live) 2022 music


2025年4月6日日曜日

ディープ・パープル Deep Purple

 ディープ・パープル Deep Purple


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 ディープ・パープル(英語: Deep Purple)は、イギリスのイングランド出身のハードロック・バンドである。

レッド・ツェッペリンと並ぶハードロック・バンドの代表格の一つに数えられ、後続のバンドや多くのヘビー・メタル・バンドに多大な影響を与えた。

1968年結成。1976年に第4期のグループが解散。1984年に第2期のメンバーによって再結成。2024年現在、第10期が活動中である。

アルバムセールスは、全世界で1億枚を突破している。2016年度に「ロックの殿堂」入りを果たした。

概要

 ディープ・パープルは長い歴史の中で多くのメンバー・チェンジを繰り返すも、ボーカル/ベース/ギター/キーボード/ドラムという構成を一貫して保ち、大音量のハードロック演奏を繰り広げてきた。初代ギタリストのリッチー・ブラックモアはハード・ロック・ギタリストの筆頭格と認識され、ハードロックやヘビーメタルロックのギタリストに絶大な影響を与え、多くの心酔者と追随者を生んだ。

 ディープ・パープルの特徴の一つとして挙げられるのは、レッド・ツェッペリンや多くのハードロック・バンドと異なり、キーボードがギターとほぼ同等の比重を占めることである。初代キーボーディストのジョン・ロードは、ロック・ミュージックのハモンド・オルガン奏者のパイオニアの一人であり、ハモンド・オルガンをハードロックに導入するという大きな功績をあげた。

 代表曲には「ハッシュ」「ブラック・ナイト」「ハイウェイ・スター」「スモーク・オン・ザ・ウォーター」「紫の炎」「ウーマン・フロム・トーキョー」「スペース・トラッキン」「スピード・キング」「チャイルド・イン・タイム」などがある。

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結成 - 解散宣言

スタジオ・アルバム

『ハッシュ』 - Shades of Deep Purple (1968年発表、第1期) music

『詩人タリエシンの世界』 - The Book of Taliesyn (1968年発表、第1期)

『ディープ・パープル III』 - Deep Purple - (1969年発表、第1期)

『ディープ・パープル・イン・ロック』 - Deep Purple in Rock (1970年発表、第2期)

『ファイアボール』 - Fireball(1971年発表、第2期)

『マシン・ヘッド』 - Machine Head (1972年発表、第2期) music

曲目リスト

1 Highway Star

2 Maybe I'm A Leo

3 Pictures Of Home

4 Never Before

5 Smoke On The Water

6 Lazy

7 Space Truckin'

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『紫の肖像』 - Who Do We Think We Are (1973年発表、第2期)

『紫の炎』 - Burn (1974年発表、第3期) music

曲目リスト

1 Burn (2004 Digital Remaster)

2 Might Just Take Your Life (2004 Digital Remaster)

3 Lay Down, Stay Down (2004 Digital Remaster)

4 Sail Away (2004 Digital Remaster)

5 You Fool No One (2004 Digital Remaster)

6 What's Goin' On Here (2004 Digital Remaster)

7 Mistreated (2004 Digital Remaster)

8 'A' 200 (2004 Digital Remaster)

9 Coronarias Redig (Single B-Side 2004 Remix)

10 Burn (2004 Remix)

11 Mistreated (2004 Remix)

12 You Fool No One (2004 Remix)

13 Sail Away (2004 Remix)

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『嵐の使者』 - Stormbringer (1974年発表、第3期)

『カム・テイスト・ザ・バンド』 - Come Taste the Band (1975年発表、第4期)


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ライブ・アルバム

『ロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラ』 - Concerto for Group and Orchestra (1969年発表)

『ライヴ・イン・ジャパン』 - Made in Japan (1972年日本公演を収録、1972年発表)

『イン・コンサート』 - Deep Purple in Concert (1970年と1972年の公演を収録、1980年発表)

『カリフォルニア・ジャム 1974』 - California Jam 1974 (1974年カリフォルニア・ジャムでの公演を収録)

『ライヴ・イン・ロンドン』 - Live in London (1975年ロンドン公演を収録、1982年発表)

『メイド・イン・ヨーロッパ』 - Made in Europe (1975年ヨーロッパ公演を収録、1976年発表)

『紫の昇華〜ザ・ファイナル・コンサート〜』 - Mk III: The Final Concerts (1975年ヨーロッパ公演を収録、1996年発表)

『ラスト・コンサート・イン・ジャパン』 - Last Concert in Japan (1975年日本公演を収録、1977年発表)

『ライブ・イン・ジャパン1975』 - This Time Around: Live in Tokyo (1975年日本公演を収録、2001年発表)

『紫の神技〜ライブ・イン・カリフォルニア・ロング・ビーチ・アリーナ1976』 - King Biscuit Flower Hour Presents: Deep Purple in Concert (1976年アメリカ公演を収録、1995年発表)

『ジェミニ・スイート・ライヴ』- Deep Purple And The Orchestra Of The Light Music Society Conducted By Malcolm Arnold – Gemini Suite Live [76](1970年ロンドンのロイヤル・フェスティバル・ホールで録音、1993年発表)


クワイエット・ライオット Quiet Riot

 クワイエット・ライオット Quiet Riot

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クワイエット・ライオット(英語: Quiet Riot)は、アメリカ合衆国出身のハードロック・バンド。

1980年代に確立するヘヴィメタル・シーンにおいて、最初期に全米チャート1位を獲得した草分け的グループ。そのアルバム『メタル・ヘルス』は、全米だけで600万枚以上の売上を記録した。


略歴

創設期(1973年 - 1979年)

 1973年、ランディ・ローズにより結成。結成時のバンド名は「March 1」。オリジナル・ラインナップはケヴィン・ダブロウ(ボーカル)、ケリー・ガルニ(ベース)、ドリュー・フォーサイス(ドラム)であった。その後、「Little Women」というバンド名に変更するが、その後すぐにクワイエット・ライオットに変更された。なお、クワイエット・ライオットというバンド名はジョン・バースの1960年代の小説『やぎ少年ジャイルズ』とザ・クラッシュの曲名である「White Riot」から来ているといわれている。しかし、1979年に行われたあるラジオのインタビューでは、フォーサイスがイギリスのバンドステイタス・クォーのリチャード・パーフィットと会話したときに彼が言った「Quite Right」をヒントにしたとしている。

 当初、オリジナル・メンバーでアルバム『静かなる暴動』をレコーディングし、1978年に日本でリリースされた。しかし数ヵ月後、セカンド・アルバム『暴動に明日はない』のレコーディング後にベーシストのガルニが脱退。同アルバムがミキシングの段階に入っていた頃にルディ・サーゾが加入し、『暴動に明日はない』を日本で1979年にリリースした。この2枚のアルバムはアメリカでは未発表のままである。

 アメリカでのリリースの失敗後、1979年11月、ランディはバンドを離れてオジー・オズボーンのバンドに加入。1981年にはサーゾもオズボーンのバンドに加入した。しかしダブロウとフォーサイスはバンドを継続する意思でいた。そして1980年から1982年の間、バンド名を「DuBrow」に変更することになる。

再始動全盛期(1982年 - 1989年)

創設者ケヴィン・ダブロウ

しかし1982年3月19日、ランディ・ローズが飛行機墜落事故で死去したのを受け、ダブロウは再びクワイエット・ライオットとして活動することにする。カルロス・カヴァーゾをギタリストに迎え、ドラマーにフアン・クルーシエから勧められたフランキー・バネリを加えて新たなラインナップが完成した。同年9月、アメリカのCBSレコードと契約。1983年の3月11日に、彼らのアメリカでのデビュー作『メタル・ヘルス〜ランディ・ローズに捧ぐ〜』が発表された。

 1983年8月27日、セカンド・シングルである「カモン・フィール・ザ・ノイズ」がリリースされた。表題曲はスレイドの1973年のヒット曲のカヴァーで、全米5位の大ヒットとなった。ヘヴィメタル・バンドとしてビルボード・チャートで5位以内にランクインした曲はこれが初めてのことであった。またこの曲のヒットのお陰でアルバムもビルボード・チャートを上昇していき、全米1位を記録した。1983年当時、ヘヴィメタル・バンドがアルバムを全米1位に送り出すことは非常に珍しいことであった。

 1984年7月7日、バンドは前作と同じメンバーで『コンディション・クリティカル』をリリースした。そこそこヒットはしたが、前作のような成功は得られず300万枚の売り上げにとどまった。

 1985年にはベーシストのサーゾが脱退。後任には元ジェフリアのチャック・ライトが迎えられた。次に、バンドは1986年にアルバム『QR3』をリリースしたが、100万枚程の売り上げに留まった。また、ダブロウは普段から不遜な態度をとることが多く、そうした態度に嫌気が差した他のメンバーやレコード会社によってバンドを解雇された。ダブロウ解雇の経緯は、『メタル・ヘルス〜ランディ・ローズに捧ぐ〜』のライナーノーツに書かれている。後任には元ラフ・カットのポール・ショーティノが迎えられた。また、ベーシストのチャック・ライトも脱退し、ショーン・ マクナブが後を引き継いだ。やがてバンドはアルバム『新たなる暴動』をリリースしたが、今回もまた商業的に成功したとは言い難い結果となった。やがてバンドは1989年のツアー最終地である日本での公演を最後に活動を停止することになる。活動停止後、バネリはW.A.S.P.のサポート・メンバーとして活動。

1990年代以降(1991年 - 現在)

 その後、1990年代に入ると不仲であったかつてのメンバー達は徐々にコミュニケーションを取れるようになり、ダブロウとカヴァーゾは1991年初頭にパット・アシュビー、元レインボーのボビー・ロンディネリらと「HEAT」(しかし後に再びクワイエット・ライオット名義に変更)を結成し、1993年にアルバム『テリファイド』をリリースした。ドラムはロンディネリに代わりバネリが復帰、ベースはケニー・ヒラリーが担当した。またその同年、ランディ・ローズ時代の曲といくつかの未発表曲を収録したコンピレーション・アルバム『ランディ・ローズ・イヤーズ』をリリース。その際、大部分のボーカルが新録された。しかしヒラリーは1994年にバンドを去った後、1996年6月5日に自らの命を絶ってしまう。これを受け、ライトが再びベーシストとして参加し、バンドはアルバム『ダウン・トゥ・ザ・ボーン』をリリース(1995年)。そしてその翌年にはランディ時代および1990年代に発表した以外の曲をコレクトしたアルバム『Greatest Hits』をリリースした。1997年にはサーゾが再び加わり、ツアーを敢行した。


このツアーは成功には至らず、メンバーが何度か逮捕されたりもした。また怒った一人のファンが、ダブロウがステージでの役割をきちんとこなさなかったとして訴えるという事件も発生した。1999年、新曲および過去の楽曲を幾つか収録したアルバム『アライヴ・アンド・ウェル』をリリース。


バンドは2003年10月に公式に解散し、サーゾは後にディオに加入したが、早くも2004年には再結成し(ラインナップはダブロウ、バネリ、ライト、そしてアレックス・グロッシ)、シンデレラ、ラット、ファイアーハウスらと共にツアーを行った。


2006年にはライトとグロッシが脱退し、トレイシー・ガンズが加入したが、2週間後には音楽性の違いから脱退してしまう。2006年8月、バンドはライトが再びバンドに戻ってきたと発表した。


その後、新しいアルバムのレコーディング中だと発表され、通算11枚目のスタジオ・アルバム『リハブ』が同年中に発表された。しかし、その約1年後、2007年11月25日に、ダブロウの遺体がネバダ州ラスベガスの自宅で見つかったと共同通信によって報じられた。52歳であった。死因はコカインの過剰摂取によるものだった[3]。ダブロウの死去によりバンドは実質上4度目の解散。


2010年にフランキー・バネリを中心に、マーク・ハフ(5150)、チャック・ライト、アレックス・グロッシで再結成。


2012年に入るとハフが脱退し、ライブ・セッションとしてキース・セント・ジョン(バーニング・レイン、モントローズ)が参加。同年にスコット・ヴォコウンが正式に加入した。しかし、翌年2013年に、スコットが諸般の事情で脱退してしまう。


2013年11月22日、フランキー・バネリにより新ボーカリストとしてラヴ/ヘイトのジジー・パールの加入を発表。また同時にバンドはスタジオ入りして新アルバム製作中であると発表。またこの新体制での初ライブは2013年12月31日、アリゾナ州Flagstaffにて行われる事も併せて発表。2014年6月新曲6曲にケヴィン在籍時のライブ音源を加えたアルバム『10』を発表。2016年10月ジジーが年内の活動後脱退することが発表される。後任にショーン・ニコルズが加入。


2017年初頭に12作目となるアルバム『ロード・レイジ』を完成させるが、レコーディング終了直後の2017年3月にショーンが脱退。後任にテレビ番組『アメリカン・アイドル』をきっかけにプロデビューしたジェームズ・ダービンが加入。ボーカルをジェームズが再レコーディングすることになり、『ロード・レイジ』は夏まで発売を延期することになった。


2019年9月、ジェームズ・ダービンが脱退。後任はジジーが約3年ぶりに復帰。ジェームズ脱退前にレコーディングが終わっていた通算13作目『ハリウッド・カウボーイズ』はそのままリリースされる。


2020年8月、昨年から膵臓がんで闘病中のフランキー・バネリが死去[4]。後任は代役サポートを務めていたジョニー・ケリーが昇格し、チャック・ライトを中心に活動を継続[5]。


2021年8月、ソロ活動に専念するためバンドから脱退したチャック・ライト(ベース)に変わり約18年ぶりにルディ・サーゾ(ベース)がバンドへ復帰[6][7]。同年11月には復帰後初となるライブをバージニア州ウッドフォードで開催した[8]。

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スタジオ・アルバム

『静かなる暴動』 - Quiet Riot (1978年) ※日本のみ

『暴動に明日はない』 - Quiet Riot II (1979年) ※日本のみ

『メタル・ヘルス〜ランディ・ローズに捧ぐ〜』 - Metal Health (1983年)

『コンディション・クリティカル』 - Condition Critical (1984年)

『QR3』 - QRIII (1986年)

『新たなる暴動』 - QR (1988年)

『テリファイド』 - Terrified (1993年)

『ダウン・トゥ・ザ・ボーン』 - Down to the Bone (1995年)

『アライヴ・アンド・ウェル』 - Alive and Well (1999年)

『ギルティ・プレジャーズ』 - Guilty Pleasures (2001年)

『リハブ』 - Rehab (2006年)

Quiet Riot 10 (2014年)

『ロード・レイジ』 - Road Rage (2017年)

『ハリウッド・カウボーイズ』 - Hollywood Cowboys (2019年)



ライブ・アルバム

『ライヴ・ライオット』 - Live Riot (1984年) ※EP。日本のみ

Extended Versions (2007年) ※パサデナ、ナッシュビルでの1983年録音

『ライヴ・アット・US(アス)フェスティヴァル』 - Live at the US Festival, 1983 (2012年)

『ワン・ナイト・イン・ミラン』 - One Night in Milan (2019年)

コンピレーション・アルバム

Winners Take All (1990年)

『ランディ・ローズ・イヤーズ』 - The Randy Rhoads Years (1993年)

Greatest Hits (1996年)

『スーパー・ヒッツ』 - Super Hits (1999年)

The Collection (2000年)

『ライヴ&レア』 - Live & Rare Volume 1 (2005年)

『プレイリスト:ヴェリー・ベスト・オブ・クワイエット・ライオット』 - Playlist: The Very Best of Quiet Riot (2008年)



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Streets Of Fire

 Streets Of Fire

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音楽/サウンドトラック

 ダイアン・レイン本人は歌に意欲を見せてはいたのだが、冒頭と終盤の劇中バンド「ファイヤー・インク (Fire Inc.)」のコンサート・シーンでエレン・エイムが歌う2曲「ノーホエア・ファースト」「今夜は青春」は、作者ジム・スタインマンのお気に入りローリー・サージェント(バンド Face to Face のボーカル)とホリー・シャーウッド (Holly Sherwood)とによる吹き替えとなった。

 スタインマンのアルバム『バッド・フォー・グッド』にも参加したプロデューサーのジミー・アイオヴィンが音楽スーパーヴァイザーを担当した(後に『アメリカン・アイドル』でメンターとして出場者の指導も担当した)。ダイアン・レインがステージで歌う2曲に関しては、絶対的に一人の音量ではボーカルの厚みが薄くなるので、2、3人のボーカリストがユニゾンで歌ったものを電子的に合成して作ったと「Inside 'Streets of Fire'」の映像インタビューでジミーが述べている。

 劇中に登場する黒人4人組ドゥーワップバンド、ザ・ソレルズの歌は、ウィンストン・フォードによる吹き替えである。ただし、サントラ・アルバムには、他の歌手が歌っているバージョンが収録されている。その中で最大のヒット曲「あなたを夢みて(I Can Dream About You)」は、作曲者である元エドガー・ウィンター・グループの ダン・ハートマン自らによるバージョン。

「今夜は青春」は、日本のTVドラマ『ヤヌスの鏡』主題歌「今夜はANGEL」として、椎名恵が歌いヒットしている。

「ノーホエア・ファースト」は、1986年に宝塚歌劇団の花組により、バウホールで上演された『グッバイ・ペパーミントナイト!』(安寿ミラ・真矢みき主演)のオープニングで用いられている。

収録曲

1.ノーホエア・ファースト - "Nowhere Fast" : ファイヤー・インク[4] - 6:02

2.ソーサラー - "Sorcerer" : マリリン・マーティン[5] - 5:06

3.ディーパー・アンド・ディーパー - "Deeper and Deeper" : フィクス - 3:45

4.カウントダウン・トゥ・ラヴ - "Countdown to Love" : グレッグ・フィリンゲインズ - 3:00

5.ワン・バッド・スタッド - "One Bad Stud" : ザ・ブラスターズ[6] - 2:28

6.今夜は青春 - "Tonight Is What It Means to Be Young" : ファイヤー・インク[4] - 6:58

7.ネヴァー・ビー・ユー - "Never Be You" : マリア・マッキー[7] - 4:06

8.あなたを夢みて - "I Can Dream About You" : ダン・ハートマン - 4:07

9.ホールド・ザット・スネイク - "Hold That Snake" : ライ・クーダー - 2:36

10.ブルー・シャドウズ - "Blue Shadows" : ザ・ブラスターズ - 3:17

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プロダクション・ノート

劇の約半分は夜の場面だが、本作は夜間に撮影されておらず、ほぼ全てが日中に撮影されている。夜間撮影は日中撮影よりも人件費がかさむため。夜のシーンを日中に撮影するため、20メートル間隔に配置した85本の柱でセットを囲み、自動制御の防水カバーで覆うことでセットの上に巨大な暗幕を広げて「人工の夜」を作り出して撮影された[8]。 『ストリート・オブ・ファイヤー』の構想は『 48時間』の制作中に生まれ、監督のウォルター・ヒルと脚本家のラリー・グロス、プロデューサーのローレンス・ゴードンとジョエル・シルバーが再びタッグを組み、全員が48時間で一緒に仕事をする事となった。1983年1月にユニバーサル社の重役ボブ・レームに脚本を提出し、週末の終わりまでにスタジオ側は製作を承認した。これはヒルが映画製作で受けた最速の承認であり、この決定は『48時間』の興行的成功によるものである。


この映画のタイトルは、ブルース・スプリングスティーンが1978年のアルバム『闇に消えた街』に収録された曲から取られている。この曲の権利をめぐるスプリングスティーンとの交渉により、製作は数回延期された。当初、この曲は映画のサウンドトラックに収録され、映画の最後にエレン・エイムが歌う予定だったが、この曲は他の歌手によって再録音されるとスプリングスティーンに伝えられると、彼はこの曲の使用許可を取り消した。 ジム・スタインマンがオープニングとエンディングの曲を書くために招聘され、「ストリート・オブ・ファイヤー」は「今夜は若かった」に差し替えられた。スタジオは、スプリングスティーンの曲が「落ち込む」曲だったため差し替えたと主張した。


映画のキャストを決めるにあたって、ヒルは比較的無名の若いグループを起用したいと考えた。グロスは「新しいスティーブ・マックイーンを発見するという考えが常にあったんだ。バイクに乗り、肩にカービン銃を担ぎ、主流のアイコンとなる若い白人男性をね」と語っている。トム・コーディ役の候補にはトム・クルーズ、エリック・ロバーツ、パトリック・スウェイジなどがいた。グロスによると、彼らはクルーズを希望しオファーしたが、彼はすでに別の役を引き受けていたという。ヒルは、エディ・マーフィを『48時間』で推薦した同じエージェント(当時の恋人で後に妻となるヒルディ)からマイケル・パレを紹介された。  1983年3月に彼がキャスティングされたとき、パレは『エディとクルーザー』と『アンダーカバー』の2本の映画に出演していたが、これらはまだ公開されていなかった。ヒルにとって、パレは「適切な資質を持っていました。この役にぴったりの俳優は彼しかいませんでした...強靭さと無邪気さの見事な組み合わせです。」パレは自分の役柄について「彼はやって来てすべてを正すことができる人物です。」と語っている。


エレン・エイムの役は28歳の女性として書かれていた。グロスによると、彼らはダリル・ハンナを希望していたが、間に合わなかったという。 ダイアン・レインはこの役のオーディションを受けたのは18歳の時だった。ヒルは、この役には若すぎると感じたため、彼女をキャスティングすることに消極的だった。ヒルはニューヨークでレインと出会い、レインは黒の革のパンツ、黒のメッシュのトップス、ハイヒールのブーツでオーディションを受けた。ヒルは、彼女の「自分をロックンロールスターとして売り出すことに全力を尽くす」姿に驚いた。レインは『ストリート・オブ・ファイヤー』に出演するまでに10本以上の映画に出演していた。彼女は自分の役を「初めて演じた魅力的な役」と表現した。ヒルはこの映画での彼女の演技に非常に感銘を受け、撮影中に彼女のために追加のシーンを書いた。


「ダイアン・レインには非常に興奮していました。なぜなら彼女はオクラホマで撮影されていたフランシス・フォード・コッポラ監督の2本の映画に主演していたからです」とグロス氏は語る。「だから私たちはフランシス・フォード・コッポラ監督が選んだ人物を選ぶという承認を得ていたのです」


エイミー・マディガンは当初コーディの妹レヴァの役をオーディションし、ヒルとシルバーにマッコイ役をやりたいと伝えた。マディガンの記憶によると、マッコイ役は「優秀な兵士で本当に仕事が必要な太り気味の男性が演じるように書かれていた。タフで強い役柄で、女性でも役を書き直さずに演じることができた」という。ヒルはそのアイデアを気に入り、彼女をキャスティングした。


ウィレム・デフォーは、ちょうど『ラブレス』 (1981年)でデフォーを監督したばかりのキャスリン・ビグローによって推薦された。ビグローは当時ヒルの協力者であり友人でもあったデヴィッド・ガイラーと交際していた。グロスは後に、デフォーは「この映画の最高の部分だったかもしれない」と思ったと語った。


撮影

撮影は1983年4月にシカゴで始まり、その後ロサンゼルスに移動して45日間、最後にウィルミントンの石鹸工場で2週間撮影され、ユニバーサルスタジオで追加撮影が行われた。撮影は1983年8月18日に終了した。シカゴでの10日間の撮影はすべて夜間の屋外撮影で、ロケ地には地下鉄の高架路線のプラットフォームやロウワー・ワッカー・ドライブの奥などが含まれていた。ヒルにとって、地下鉄とその外観は映画の世界にとって非常に重要であり、車とオートバイと並ぶ3つの交通手段のうちの1つを表していた。


シカゴでの撮影中、製作陣は雨、雹、雪、そしてその3つが重なる悪天候に悩まされた。地下鉄のシーンはシカゴの多くの場所で撮影され、その中にはラサール・ストリート(ブルーライン)、レイク・ストリート(グリーンライン)、シェリダン・ロード(レッドライン、パープルライン)、ベルモント・アベニュー(レッドライン、ブラウンライン、パープルライン)などがある。ダメン・アベニュー駅(ブルーライン、ダメン・アベニュー、ノース・アベニュー、ミルウォーキー・アベニュー)も使用された。


続編の可能性

『ストリート・オブ・ファイヤー』は、 『トム・コーディの冒険』と題された計画された三部作の最初の作品となる予定で、ヒルは2つの続編に『遠い街』と『コーディの帰還』という仮題を付けていた。『ストリート・オブ・ファイヤー』の脚本は、『ストリート・オブ・ファイヤー』の後に『トム・コーディの冒険』の第2巻『長い夜』が続くという予想で締めくくられていた。


パレは後にこう回想している。


彼らは、これは三部作になるだろうと私に告げました。結局、ストリート・オブ・ファイヤーを作った人たちは全員ユニバーサル・スタジオを去り、20世紀フォックスに移りました。この作品はユニバーサルで作られたので、彼らが物語の権利を持っていました。だから、それは残されたのです。ジョエル・シルバーから、続編は雪の中を舞台にし、次の作品は砂漠を舞台にすると聞きました。


しかし、映画の興行成績の失敗により、プロジェクトは終了した。映画公開直後のインタビューで、パレは「みんなが気に入ってくれたのに、突然気に入らなくなった。続編を作るべきかどうか、すでに心配していた」と語っている。


地獄への道

2008年には『ロード・トゥ・ヘル』という非公式の続編が制作され、アルバート・ピュンが監督し、パレがトム・コーディ、デボラ・ヴァン・ヴァルケンバーグが妹のレヴァ・コーディを演じている。

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Road to Hell 

ウィキペディア英語版  公式サイト(アーカイブ

YouTube

『ロード・トゥ・ヘル』は、アルバート・ピュン監督による2008年のアクションファンタジー映画である。ウォルター・ヒルの『ストリート・オブ・ファイヤー』にインスピレーションを受け、同年6月にロサンゼルスで撮影が開始された。ピュンによると、 『ロード・トゥ・ヘル』のきっかけは、彼とパレがスペインの映画祭に参加した時だったという。 [ 6 ]


2025年4月5日土曜日

MC5

 

MC5

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MC5 - トピック YouTube 検索結果

MC5(エム・シー・ファイヴ)は、1960年代半ばから1970年代前半にかけて、アメリカ合衆国ミシガン州デトロイト市を拠点に活躍したロックバンド。結成はミシガン州のリンカーン・パーク。

経歴

共にR&Bファンで在り十代の頃よりの親友であったウェイン・クレイマー(リードギター)とフレッド・スミス(リズムギター)は1963年アメリカ合衆国ミシガン州のリンカーン・パークにてバンド活動を開始。

バンドの2枚目のアルバム『Back In The USA』ではチャック・ベリーの「バック・イン・ザ・USA」、リトル・リチャードの「トゥッティ・フルッティ」をカバーするなど、ベースとなるR&B志向は後の活動でも一貫して保たれている。


 デトロイトにてバンド活動を始め、しばらくした後、イギー・ポップ率いるストゥージズが登場する。MC5とストゥージズは兄弟バンド的な存在となり、過激なパフォーマンスとメッセージで後にパンク・ロックの第一人者と呼ばれる。MC5のメンバーはストゥージズのメンバーと親密な関係にあり、後にデストロイ・オール・モンスターズ(Destroy All Mosters)、ニュー・オーダー(The New Order[2])、ニュー・レース(New Race)等のバンドでも活動を共にした。

 過激なパフォーマンスでも名を轟かせた。PAシステムが発達していない時期に何台ものアンプを使い爆音を響かせたことは有名である。当時では有り得ないステージ上の派手な衣装も印象的である。フレッド・スミスはスペースマン、ウェイン・クレーマーは顔を金色に塗り、ロブ・タイナーは巨大なアフロで登場する様であった。'60年代にすでに過激な衣装で登場していた先駆者であったためか、デニス・トンプソンは後の派手な衣装で有名になったバンドをかなり皮肉っており、特にキッスを「Fuck KISS」(キッスはしょうもない)と罵っている[要出典]。

 また『Kick Out The Jams』の冒頭で聞けるように、卑語である「マザーファッカー」をステージ上で絶叫したりしていた。観客の熱狂も比類なきものであったといわれた。

 マネージャーのシンクレアはホワイトパンサー党の創設者として知られており、政治的姿勢も明確にし、ヒッピーのブームに浮かれる世情と真っ向から対立した。反政治的(反体制的?)な活動をしていたMC5は、1968年8月25日のシカゴのリンカーン・パークで行われた“Festival of Life” において、悪名高いバンドとして警察からコンサートを中止させられそうになった。コンサートはそのまま続行されたが、終了後シカゴより逃げるようにデトロイトに帰ったという。当時のMC5は危険なバンドとしてFBIにもマークをされていたといわれる[要出典]。


 また子供に悪影響を及ぼす等の理由によりしばしば、レコード店より販売の拒否、またはレコードの撤去をされたという事実もある。MC5は当時のデトロイトの大衆紙の1ページ全面で大々的に大手ハドソン・デパートを皮肉り 「KICK OUT OF THE JAMS, MOTHERFUCKER! and kick in door if the store won't sell you the album FUCK HUDSON'S!」とレコードレーベルのエレクトラ・レコードのロゴマークと共に書き込んだ。激怒したハドソン側がエレクトラのレコードを全て撤去、販売を中止したという事件もある。多大な被害を受けたのは所属レコード会社・エレクトラであった[3]。指摘された「~ MOTHERFUCKER!~」の一節を差し替えた改訂版が米国国内盤として1980年代以降しばらく流通した。日本国内LP盤は1980年代の廉価シリーズでの再発売も初回音源テープを使用した。


 1972年に解散したが、2002年に再結成。再結成後は死去した二人のメンバーを除いた3人のラストネームのイニシャルを取りDTK/MC5(Michel Davis, Dennis Thompson, Wayne Kramer)という名前で活動している[4]。ボーカルにはその時々に、マッドハニーのマーク・アームや、元ガンズ・アンド・ローゼズのギルビー・クラーク、ベルレイズのリサ・ケカウラ等をゲストボーカルに呼んでいる。また、同年USA VH1のTVプログラム「MC5: Sonic Revolution 2004」でも放送されたように、現在はメンバーはバンド活動の他にプロデューサー活動も行っている。

2024年4月21日、米国・Rock & Roll Hall Of Fameより、2024年度『ロックの殿堂 ミュージカル・エクセレンス・アワード』に選出された[5]。

2024年5月8日、トンプソンが心臓発作で死去、享年75歳。これにより事実上バンドは終了した。

2024年10月18日、かつて『We Are All MC5』というタイトルだったアルバム『Heavy Lifting』がリリースされた。

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ディスコグラフィー

Kick Out The Jams (Elektra) 1969年 ライヴ盤 music 

Back In The USA (Atlantic) 1970年 music

High Time (Atlantic) 1971年 music

活動中発表されたオリジナル・アルバムは以上3作のみ。

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☆フレイミン・グルービーズ  The Flamin' Groovies

 参考 amazonにて

☆彡Teenage Head ティーンエイジ・ヘッド 1971

フレイミン・グルービーズ  The Flamin' Groovies

 music ウィキペディア

曲目リスト

1 ハイ・フライン・ベイビー

2 シティ・ライツ

3 ハブ・ユー・シーン・マイ・ベイビー

4 イエスタデイス・ナンバーズ

5 ティーンエイジ・ヘッド

6 32-20

7 イビル・ハーテッド・ADA

8 ドクター・ブギ

9 ウイスキー・ウーマン

10 シェイキン・オール・オーバー

11 ザットル・ビー・ザ・デイ

12 ルイ・ルイ

13 ウォーキン・ザ・ドッグ

14 スクラッチ・マイ・バック

15 キャロル

16 ゴーイング・アウト・テーマ

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ウィキペディアより

 フレイミン・グルーヴィーズ(The Flamin' Groovies)は、アメリカのバンド。商業的な成功とは無縁であったが、アメリカのガレージロックシーン、イギリスのパブロックシーンに足跡を残した。シリル・ジョーダン、ロイ・ロニーを中心に1965年にサンフランシスコで結成。バンドのヴィジュアル、サウンドはロイ・ロニー在籍時の第1期と、クリス・ウィルソン在籍時の第2期とは大きく異なるが、時代に流されず一貫してシンプルなロックンロールを演奏するポリシーの持ったバンドであった。

第1期

ごく初期の作品群「Sneakers」、「Supersnazz」は、ロックン・ロールを基調としながらも、ラヴィン・スプーンフルのようなラグタイムやフォークを取り入れたスタイルであった。しかし、60年代の終わり頃のある日、デトロイトでMC5のライブを見たロイ・ロニーは彼らのパフォーマンスにショックを受け、2ndアルバム「Flamingo」(1970)、3rdアルバム「Teenage Head」(1971)ではガレージ・ロック色を強めた。

MC5  ウィキペディア 面白そう!

第2期

 ロイが脱退し、クリス・ウィルソン加入後(1971年以降)は、活動の拠点をイギリスに移す。当初は第1期のレパートリーを演奏しており、ロイ・ロニー時代のガレージロック色が強く残っていたが、シングルを散発的にリリースしながら徐々に初期ビートルズやバーズの影響を受けたスタイルにシフトしていく。メロディアスでありながらビートの効いたそのサウンドは、パワー・ポップにも分類される

 彼らは音楽性が当時の流行とは無縁であったためなかなかレコード会社と契約を結べず、サイアー・レコードと契約することになったのは1976年である。これには、ガレージ・ロックのコンピレーション「ペブルス」の編集者で有名なグレッグ・ショウの推薦があった。同年、デイヴ・エドモンズをプロデューサーとして迎えリリースしたアルバム「Shake Some Action」(1976)はバンドの代表作として知られている。以後、2枚のアルバムをリリースしている。


以後の活動

 クリス・ウィルソンがバラクーダーズに加入するために1981年に脱退。それ以後、ライヴ活動を行うも、シリル・ジョーダンとジョージ・アレキサンダーを除くメンバーの頻繁な入れ替えがあり、バンドは1992年に解散。その後、シリル・ジョーダンとクリス・ウィルソンは、それぞれマジック・クリスチャングルーヴィン・フレイムスというバンドを率いることになる。2000年代後半に入ると、元メンバー達がジョイントライヴを行ったり、クリスのソロアルバムへの参加をしたりするなど交流が活発になり、2013年4月にはシリル、クリス、ジョージのラインナップでフレイミン・グルーヴィーズとして初来日ライヴを果たした。


オリジナルアルバム

Supersnazz (1969)

Flamingo (1970)

Teenage Head (1971)

Slow Death (1972)

Still Shakin (1976)

Shake Some Action (1976)

The Flamin' Groovies Now! (1978)

Jumping in the Night (1979)

One Night Stand (1987)

Rock Juice (1993)

Fantastic Plastic (2017)

Teenage Head ティーンエイジ・ヘッド

 

・Teenage Head ティーンエイジ・ヘッド

 music 英語版ウィキペディア

 ロックンロール!



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スタジオアルバム

1979年 –ティーンエイジ・ヘッド

1980年 –フランティック・シティ

1982 –ちょっとした楽しみ

1983年 -トルネードEP(「ティーンエイジ・ヘッズ」名義)

1986年 –ジャングルのトラブル

1988 –エレキギター

1996年 –頭部障害

2008年 –ティーンエイジ・ヘッド with マーキー・ラモーン


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ライブアルバム

1984年 –エンドレスパーティー

2023 –ヒートウェーブでのライブパフォーマンス

コンピレーションアルバム

2017 – 楽しいことがすぐにやってくる

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Studio albums

1979 – Teenage Head

1980 – Frantic City

1982 – Some Kinda Fun

1983 – Tornado EP (as "Teenage Heads")

1986 – Trouble in the Jungle

1988 – Electric Guitar

1996 – Head Disorder

2008 – Teenage Head with Marky Ramone

Live albums

1984 – Endless Party

2023 – Performance Live At Heatwave

Compilation album

2017 – Fun Comes Fast

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参考 amazonにて

Teenage Head ティーンエイジ・ヘッド 2008

フレイミン・グルービーズ  The Flamin' Groovies

 music ウィキペディア

曲目リスト

1 ハイ・フライン・ベイビー

2 シティ・ライツ

3 ハブ・ユー・シーン・マイ・ベイビー

4 イエスタデイス・ナンバーズ

5 ティーンエイジ・ヘッド

6 32-20

7 イビル・ハーテッド・ADA

8 ドクター・ブギ

9 ウイスキー・ウーマン

10 シェイキン・オール・オーバー

11 ザットル・ビー・ザ・デイ

12 ルイ・ルイ

13 ウォーキン・ザ・ドッグ

14 スクラッチ・マイ・バック

15 キャロル

16 ゴーイング・アウト・テーマ








AC/DC エーシー・ディーシー

 

・AC/DC エーシー・ディーシー

 ウィキペディア music 


AC/DC(エーシー・ディーシー)は、オーストラリア出身のロックバンド。1973年結成。

スコットランド人のアンガス、マルコムのヤング兄弟を中心に1973年、シドニーにて結成。同国を代表するグループとして世界的知名度を獲得。1980年発売の『バック・イン・ブラック』は5000万枚以上の売り上げを記録し、世界史上3番目に売れたアルバムである。2003年『ロックの殿堂』入り[7]。ローリング・ストーン誌選定「歴史上最も偉大な100組」第72位。ウォール・ストリート・ジャーナルの「史上最も人気のある100のロックバンド」6位[8]。 全てのオリジナル・アルバムがマルチ・ミリオン・セラー(200万枚以上の売り上げ)を達成している。全世界累計(レコードも含む)アルバムセールスは2億4000万枚以上を記録しており、70年代結成のロックバンドでは最も多い売り上げである[9][10]。また、全米ではロックバンドとしてのアメリカ音楽史上5位となる、7500万枚以上のセールスを記録している。

バンド名の由来は、ミシンに書かれていた「AC/DC」から名付けたものといわれる。地元オーストラリアでは愛着を込めて "Acca Dacca" (アカ・ダカ)と呼ばれている。

「AC/DC」とは、本来は「交直両用」の意であるが、バイセクシュアル(両性愛)を表す隠語(日本語の「両刀使い」に近いニュアンス)でもあったため、バンド初期には勘違いしたゲイバーからの出演依頼がたびたびあった。

音楽プロデューサーのリック・ルービンは、先述のローリング・ストーン誌選定「歴史上最も偉大な100組」に寄せたエッセイでAC/DCを「史上最高のロックンロールバンド」と明言した。MTVはAC/DCを「史上最高のヘヴィメタルバンド」の7位に選んだ。


音楽的特徴、エピソードなど

 60年代末から70年代にかけて隆盛を誇ったハードロック、ことに「ブルースを基調とした骨太でソリッドなロックンロール」の部分をよりプリミティヴに抽出し徹底させた音楽を志向し、デビューから現在に至るまで硬質かつ武骨にしてシンプルなロックンロールを中心に演奏し続けてきた。いわゆるハードロックバンドには珍しく、極めてタイトなミッド〜スロー・テンポの楽曲が非常に多く、なおかつそうしたリズムでありながらもその高揚感はいささかも減じられない。長きにわたって変節のない質実剛健な音楽性が特徴で、時にブルース調の曲を演奏するものの、モーターヘッドと同様に昔も今もほとんど変わっていない。


 70年代末、パンク・ロックブームに沸くイギリスでは、それ以前に活躍したハードロックバンドがオールドウェイヴと揶揄され消えていく中、AC/DCは生き残ることに成功する。それは、バンドが熱狂的なファンをイギリス全土で獲得していたためだが、ファンや音楽誌などからオリジナル・パンクと同一視されたという側面もあった。特に、ライヴでのパフォーマンスはパンク的な印象が強く、ボン・スコットのパフォーマンスはセックス・ピストルズのジョニー・ロットンを強くイメージさせた。一方で、アンガス・ヤングは観客に向かって尻をさらすパフォーマンスで悪名高かった。また、高い演奏技術や凝った楽曲への志向をことさらに露にすることよりも、創成期のロックンロールのワイルドさに忠実であろうとするAC/DCの音楽性は、パンクロックと相性が良かった。ラモーンズのジョーイ・ラモーンをはじめとして、AC/DCを敬愛するパンクロッカーも多い。


1980年前後には「世界で最もコンサートで死者を出しているバンド」とギネスブックに認定されていた。

 1973年にデビューして以来、楽曲やライヴでのパフォーマンスなどによって欧米にも人気を広げていったが、1980年に、ヴォーカルのボン・スコットが急死し、危機に立たされる。しかし、新ヴォーカリスト、ブライアン・ジョンソンを迎えて発表した『バック・イン・ブラック』は、世界的に空前の大ヒットを記録し(前述の通り、結果世界でのセールスは、バンド/グループのフルアルバムとしては歴代2位、全体ではマイケル・ジャクソンの『スリラー』に次いで3位、アメリカだけでもそのセールスは2500万枚を超えて歴代第5位)、次作『悪魔の招待状』 では初のビルボード1位を獲得するといった活躍を見せる。だが、今日でも全米チャートの上位常連であるが、日本での人気は欧米ほど高くなく、また、彼らの全盛期であった1980年前後、日本ではクイーンのような、ルックス的にも音楽的にも華やかなバンドが人気で、AC/DCのような武骨なバンドは人気がないというバンド側の先入観もあり、2001年の来日公演は実に19年ぶりであった。マーティー・フリードマンは、来日した際にAC/DCの評価が低いことに驚いたと語っている。


アンガス、マルコム、ブライアン以外は幾度かメンバーチェンジが行われたが、90年代に初期メンバーに戻った。


 多くの同業者から尊敬を集めるバンドであり、キース・リチャーズやピート・タウンゼント、スティーヴン・タイラー、オジー・オズボーン、ニッキー・シックス、リッチー・サンボラ、スラッシュ、カート・コバーン、ジョーイ・ラモーン、デイブ・グロール、ブライアン・メイほか、日本では草野マサムネ、トータス松本、甲本ヒロト、斉藤和義など世界中のアーティストが影響を受けているが、一方でAC/DCのメンバーは、他のバンドやアーティストについて、殆ど関心が無く、交流も皆無に近いことで知られてもいる[36]。


 日本のバンドではLOUDNESSが1986年のUSツアーの前座を18日間で15公演務めている。二井原実によると、AC/DCのファンは前座のバンドに関心がなく、酷い公演になると客席から唾が飛んでくるなど散々な目に遭ったという。一方で高崎晃は、アンガスが各会場でギリギリのポイントでハウリングを起こさない様に入念なリハーサルを行っていることに驚かされ、それに対しブライアンは毎回本番ギリギリまで会場に現れなかったことも明かしている。


初来日公演の前座にKODOMO BANDが期用される予定があったが、アンガスの体調不良により話が流れてしまったというエピソードがある。


映画『スクール・オブ・ロック』では、エンディングが「It's a Long Way to the Top」のカヴァー(演奏したのは同映画のキャスト)、劇中で「バック・イン・ブラック」が使われた他、主人公のステージ衣装やギターがアンガスを意識したものであった。「It's a Long Way to the Top」はドロップキック・マーフィーズやレミー・キルミスターにもカバーされているが、ボーカルがブライアンに交代してからはライブでは演奏されていない。

数年前から世界的なムーヴメントとなっている、ガレージロックの音楽的なルーツの1つでもある[要出典]。

ヤング兄弟が使用するギターは、アンガスはギブソンのSG、マルコムはグレッチと、デビューしてから一筋である。

バンドのロゴマークなどは、Tシャツなどに多用されており、テレビ番組の衣装などでも度々見られる。






ZZトップ ZZ Top

 

・ZZトップ ZZ Top

 ウィキペディア music

 ZZトップ(ジージー・トップ[9]、ZZ Top)は、アメリカ合衆国テキサス州出身のスリーピース・ロックバンド。2004年『ロックの殿堂』入り。2011年、ビリー・ギボンズが『ローリング・ストーン』誌選出「歴史上最も偉大な100人のギタリスト」第32位[10]。

バンド史

 1969年、ギターのビリー・ギボンズを中心に結成。それまで各々はサイケデリック・ロック・バンドをやっており、ビリーのバンド「ムーヴィング・サイドウォークス」は、ジミ・ヘンドリックスの前座を担当したこともあった。その際、ジミに「アメリカで最高の若手ギタリスト」と称され、ピンクのストラトキャスターを贈られたこともあった。しかし、ベーシストのドン・サマーズとキーボーディストのトム・ムーアが徴兵され、バンドは解散。その後、ギタリストのビリー・ギボンズとドラマーのダン・ミッチェルがベーシストのラニアー・グレイグを加え、オリジナルのZZトップを結成した。その後ベースがスティーヴィー・レイ・ヴォーンのバンドでプレイしていた、ビリー・エスリッジに交代。

 また、ダスティ・ヒルとフランク・ベアードは、同じバンド「アメリカン・ブルース」に在籍して、こちらも2枚のアルバムを出し、順調に活動していたが、1968年頃、バンド(ロッキーとダスティ、2人のヒル兄弟とベアード)はダラス・フォートワース地域を離れ、ヒューストンに移転することを決めた。しかしこの時、ギタリストでダスティの兄であるロッキー・ヒルは本格的なブルースに専念することを望み、弟のダスティはロックを指向した。ロッキーはバンドを去り、残りのダスティとフランクは、まずフランクが1969年にダン・ミッチェルと入れ替わりでバンドに加入、1970年2月の公演からダスティがビリー・エスリッジと入れ替わる形でZZトップに加入した。

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ウィキペディアより

 アメリカン・ブルース(American Blues)は、1960年代、テキサス州を拠点とし、13thフロア・エレベーターズに影響を受けたサイケデリック・スタイルのブルース・ロックを演奏していたロックバンド。

アルバム

American Blues 'Is Here' 1968 YouTube amazon 

American Blues 'Do Their Thing' 1968 YouTube amazon 

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 バンド結成当初はブルースに根ざしたサウンドで、黒人のブルースマン達と一緒にツアーで周ることもあった。その頃、マディ・ウォーターズらと楽屋裏でポーカーをした逸話が残っているが、必ずマディの傍らにはピストルが置いてあり、それが怖かった、と回想している。

活動初期の頃 (1976年)

 1973年、サード・アルバム『トレス・オンブレス』が発表され、1974年には同アルバムがゴールドディスクに輝き、シングルカットされた「ラ・グランジェ」がヒット。それまでの精力的なライブ活動と、数々の大物バンド(ローリング・ストーンズやディープ・パープル、ジャニス・ジョプリン等)の前座経験がセールスに繋がったとされている。また、この頃から全米に名の知られるところとなり、コンサートの規模や観客動員数で記録を樹立して行く。トラック数台分に及ぶ膨大なステージセットを携え全米を回り、ステージに本物の蛇を持ち込むなど、ライブ・パフォーマンスも大きな話題を呼んだ。このアルバムに収録された「Beer Drinkers & Hell Raisers」におけるギター・ソロで用いられたライトハンド奏法は、商業用としては極めて初期の段階に録音されたものと見られている[誰によって?]。

このように、活動は上り調子となったものの、絶え間ないツアーとレコーディングの連続にバンドは疲弊。1977年をもって2年間の活動停止に入る。この間、ビリーとダスティの髭が伸び、その後よく知られるルックスになるが、特に示し合わせて髭を伸ばしたわけではなく、再会するまで2人はお互いにそのことを知らなかったという[14]。

 1980年代初頭、当時の先端技術であるシンセサイザーを導入した頃から、バンドに転機が訪れる。それまでのブギー・ロックにプログラミングされたシーケンサー・サウンドを導入、大胆な変化を見せる。そのサウンドが、アメリカの長距離トラック運転手達に特に好まれたこともあり、アルバム『イリミネイター』『アフターバーナー』などは、レコードよりもテープの方が売れることとなった[要出典]。

 それと同時に、この頃始まった人気番組MTVにて「Legs」や「Sleeping Bag」など、コミカルなプロモーション・ビデオが毎日のようにオンエアされ、世界の幅広い世代から受け入れられるようになる。初来日したのも、ちょうどこの頃だった。サングラスとビリー、ダスティの凄まじく長い顎髭がインパクトを呼び、日本でも有名になる。バンド名にちなんで、1998年にはホンダ・ZのCMに起用された。

 1990年には、マイケル・J・フォックス主演の映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3』のエンディング・テーマに「Doubleback」を提供した。これは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズのファンである彼らの意向によるもの。湾岸戦争の際には、戦勝祈願コンサートを実施したことがある。

 1990年以降、バンドのサウンドはブルースに回帰する姿勢を見せている。ただし、新しいもの好きのビリーの趣味もあり、現代的なエフェクトやダウン・チューニングによる重厚なサウンドも多用され、新しい方向性を見出している。

2004年にはロックの殿堂入りを果たし、授賞式でのプレゼンターはキース・リチャーズが務めた。


WWEのファンであり、2009年7月20日にWWE・ロウのホストを務めた。

2012年、9年振りのアルバム『La Futura』を発表[15]。全米6位を記録し、ベスト・アルバム『グレイテスト・ヒッツ』以来20年振りの全米トップ10入りを果たした[16]。

2019年、結成50周年を迎えた記念のボックスセット『GOIN’50』をリリース[17]。


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アルバム

ZZトップ・ファースト・アルバム  ZZ Top's First Album 1971

リオ・グランデ・マッド Rio Grande Mud 1972 

トレス・オンブレス Tres Hombres 1973 music 

ファンダンゴ! Fandango! 1975 music 

テハス Tejas 1976 music 

ベスト・オブ・ZZトップ Best Of ZZ Top 1977

皆殺しの挽歌 Degüello 1979

エル・ロコ  El Loco 1981

イリミネイター Eliminator 1983 music 

アフターバーナー Afterburner 1985 music

シックス・パック Six Pack 1987 music 

リサイクラー Recycler 1990

グレイテスト・ヒッツ ZZ Top's Greatest Hits 1992

アンテナ Antenna 1994 music 

ワン・フット・イン・ザ・ブルース One Foot In The Blues 1994

リズミーン Rhythmeen 1996 music 

XXX-トリプルX XXX 1999 

メスカレロ Mescalero  2003 music 

クローム・スモーク・アンド・バーベキュー Chrome, Smoke & BBQ 2003

グレイテスト・ヒッツ-ビデオ・コレクション Greatest Hits Video Collection 1992

クロスロード・ギター・フェスティバル Eric Clapton Crossroads Guitar Festival 2004

The Complete Studio Albums (1970 - 1990) 2013 music 100曲 6時間10分

The Very Baddest of ZZ Top 2014 music 













The Stooges ザ・ストゥージズ 

 


・The Stooges ザ・ストゥージズ 

 ウィキペディア music 


ストゥージズ(The Stooges)は、アメリカ合衆国出身のロック・バンド。

 1960年代末のガレージロックを代表するグループの一つ。フロントマン イギー・ポップの過激なパフォーマンスが特徴で、後のパンク/ニュー・ウェイヴに大きな影響を与えた。

2010年『ロックの殿堂』入り。ローリング・ストーン誌選出「歴史上最も偉大な100組のアーティスト」第78位。

来歴

デビューからセカンド・アルバムまで(1967年 - 1970年)

1967年、ボーカルのイギー・ポップ(Iggy Pop)、ギタリストのロン・アシュトン(Ron Asheton)およびドラマーのスコット・アシュトン(Scott Asheton、ロン・アシュトンの弟)のアシュトン兄弟、そしてベーシストのデイヴ・アレクサンダー(Dave Alexander)によって結成される。初期はサイケデリック・ストゥージズとして活動していたが、後にザ・ストゥージズに名乗りを変える。"stooge"とは、「ぼけ役」、「まぬけ」といった意味。

 1969年、元ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのジョン・ケイルのプロデュースにより、デビュー・アルバム『イギー・ポップ・アンド・ストゥージズを発表。全米最高106位と商業的には成功しなかったが、同じエレクトラ・レコードに所属するMC5と並んでガレージ・ロック(オリジナル・パンク)の代表的存在と目される。

 フロントマンのイギーは、客の注目を惹くためステージダイブをしたり、ピーナッツバターを体中に塗ったり、ステージに散りばめたガラスの破片の上を転がったりするなど、身体を張ったパフォーマンスを展開した。

 1970年には、セカンド・アルバム『ファン・ハウスを発表。同作では新たにサックスを加え、スティーヴ・マッケイ(Steve MacKay)が参加している。ところが、売上は前作より伸び悩み、チャートインすら果たせず、エレクトラとの契約も打ち切られる。さらに、アルコール中毒になっていたデイヴが解雇され、ベーシストはジーク・ゼトナー(Zeke Zettner)、ジミー・レッカ(Jimmy Recca)と目まぐるしく入れ替わった。また、イギーを筆頭にロンを除くメンバーはヘロインに溺れ、活動休止状態に陥ってしまう。

ボウイとの出会い、ロー・パワー、終焉(1971年 - 1974年)

創設者イギー・ポップ(Vo)1973年

 1971年、イギーはデヴィッド・ボウイに出会い、ボウイの協力の下でアルバムの制作を開始する。当初はギタリストのジェームズ・ウィリアムソン(James Williamson)に新たなリズム隊を加えた編成となる予定だったが、結局アシュトン兄弟を呼び寄せることとなった。ギターはジェームズが弾くことになったため、ロンはベースに転向した。


1973年、『ロー・パワー』(旧邦題は『淫力魔人』)を「イギー・アンド・ザ・ストゥージズ」の名義でコロムビア・レコードから発表。ボウイがミキシングを担当した。しかし、全米182位に留まり、ツアーの途中でコロンビアはレコード契約を解除。ボウイの所属するメインマン・マネージメントからも見放された。

翌1974年2月、イギーのヘロイン中毒、活動の行き詰まりなどが原因でストゥージズは解散した。

解散後の動向

 解散中の1975年、イギーはジェームズとともにレコーディングを行い、1977年に共同名義のイギー・ポップ&ジェームズ・ウィリアムソンとしてアルバム『キル・シティ』を発表。また、ロン・アシュトンは、3代目ベーシストのジミー・レッカ、元MC5のドラマーであるデニス・トンプソンらとザ・ニュー・オーダーを結成し、アルバムを発表した。

 1977年、イギーは再びボウイと組んでソロ・デビュー。バンドでは得られなかった商業的成功を手にする。

 1997年、イギーがミックスをやり直したロー・パワーを新たにリリースした。これはボウイによるミックスに対する不満の声に応えたもので、イギー自身が「どの曲も音が全部振り切れるくらいボリュームを上げて、すごく激しいミックスになった」と語る仕上がりになっている。


影響

「ローリング・ストーン誌の選ぶオールタイム・ベスト・アルバム500」において、『ファン・ハウス』が191位、『ロー・パワー』が128位にランクイン。特に『イギー・ポップ・アンド・ストゥージズ』は、「オールタイム・ベスト・デビュー・アルバム100」と共に、それぞれ185位と66位にランクイン。


 セックス・ピストルズ、ダムド、ピート・ドハーティ、スレイヤー、デフ・レパード、ソニック・ユース、ガンズ・アンド・ローゼズ、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、サウンドガーデン、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンなど、後世の名立たるバンドやミュージシャンに影響を与え、彼らにこぞってカヴァーされている。特にジャック・ホワイトは『ファン・ハウス』、ジョン・ライドンとカート・コバーンは『ロー・パワー』をベスト・アルバムに挙げている。

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アルバム

『イギー・ポップ・アンド・ストゥージズ』 - The Stooges(1969年) music

『ファン・ハウス』 - Fun House(1970年) music

『ロー・パワー』 - Raw Power(1973年)※イギー・アンド・ザ・ストゥージズ名義。旧邦題『淫力魔人』 music

『ザ・ウィヤードネス』 - The Weirdness(2007年) music

『レディ・トゥ・ダイ』 - Ready to Die(2013年) music



The Groundhogs ザ・グラウンドホッグス

 

・The Groundhogs ザ・グラウンドホッグス  music


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 グラウンドホッグスは、1963年後半にロンドンで結成されたイギリスのブルースおよびロックバンドである。ジョン・リー・フッカーの曲「グラウンドホッグ・ブルース」にちなんで名付けられた彼らは、急成長を遂げていたイギリスのリズム&ブルース界の一員であり、フッカーのアルバム...And Seven Nightsのバックコーラスを務めた。彼らは主にトニー・マクフィー(歌手、ギタリスト、作詞家)、ピーター・クルックシャンク(ベース)、ケン・プステルニク(ドラム)のパワートリオであったが、1972年にプステルニクに代わってクライヴ・ブルックスが加入し、 1974年にバンドは解散した。彼らはLiberty / UAから7枚のアルバムをリリースしており、その中にはイギリスのトップ10入りした「Thank Christ for the Bomb」(1970年、第9位)、「Split」(1971年、第5位)、「Who Will Save the World?」(1972年、第8位)が含まれている。

ヴェルヴェット・アンダーグラウンド

 


・The Velvet Underground ヴェルヴェット・アンダーグラウンド

 ウィキペディア music 


 ザ・ヴェルヴェット・アンダーグラウンド(The Velvet Underground)は、1964年に結成されたアメリカのロックバンド。ヴェルヴェッツという略称でも呼ばれる。

 商業的な成功を手にすることなく解散したが、ルー・リードのポップセンスから生まれる美しいメロディライン、文学的素養から生まれた同性愛やSMなどの性におけるタブーや、ドラッグなどについての歌詞、ジョン・ケイルによる前衛的かつ実験的なサウンドを特徴とし、同世代のデヴィッド・ボウイやザ・ストゥージズ、ドアーズや、後進のパティ・スミスやテレヴィジョン、ジーザス&メリーチェインをはじめとする多くのアーティストに影響を与え、ロックの芸術性の向上に大きく貢献した。

1996年にロックの殿堂入りを果たした。

「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第19位。


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スタジオ・アルバム

『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ』 - The Velvet Underground and Nico (1967年3月12日)

 music

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『ホワイト・ライト/ホワイト・ヒート』 - White Light/White Heat (1968年1月30日)

『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド』 - The Velvet Underground (1969年3月)

『ローデッド』 - Loaded (1970年9月)

『スクイーズ』 - Squeeze (1973年2月)


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ライブ・アルバム

『ライヴ・アット・マクシズ・カンサス・シティ』 - Live at Max's Kansas City (1972年)

『1969〜ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・ライヴ』 - 1969: The Velvet Underground Live (1974年)

『ライヴ1993』 - Live MCMXCIII (1993年)

『ラ・ケイヴ 1968』 - La Cave 1968 (Problems In Urban Living) (1996年)

『FINAL V.U 1971-1973』 - Final V.U. 1971–1973 (2001年)

『ブートレグ・シリーズVol.1〜ライヴ1969:ザ・クワイン・テープス』 - The Quine Tapes (2001年)

『ザ・コンプリート・マトリックス・テープズ』 - The Complete Matrix Tapes (2015年)


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コンピレーション・アルバム

Velvet Underground (1970年)

Andy Warhol's Velvet Underground featuring Nico (1971年)

『VU』 - VU (1985年)

『アナザー・ヴュー』 - Another View (1986年)

『ベスト・オブ・ヴェルヴェット・アンダーグラウンド』 - The Best of The Velvet Underground: Words and Music of Lou Reed (1989年)

Chronicles (1991年)

The Best of Lou Reed & The Velvet Underground (1995年)

Fully Loaded (1997年)

20th Century Masters – The Millennium Collection: The Best of The Velvet Underground (2000年)

Rock and Roll: An Introduction to The Velvet Underground (2001年)

The Very Best of the Velvet Underground (2003年)

『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・ゴールド』 - Gold (2005年)

Playlist Plus (2008年)

『アヴァン '58-'67』 - Avant 1958-1967 (2019年)


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2025年4月4日金曜日

みのミュージック アンケート

みのミュージックリスナーが選ぶアーティスト・名盤ランキング投票フォーム【第二回】


 1位(国内)

*SHEENA & THE ROKKETS #1/シーナ&ロケッツ

2位(国内)

*BO&GUMBO/BO GUMBOS

3位(国内)

*夢助/忌野清志郎

4位(国内)

*THE BLUE HEARTS/ザ・ブル―ハーツ

5位(国内)

*POCKET PARK/松原みき


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海外

1.ブロンディ

2.ハノイ・ロックス

3.ジョンレノン

4.ロイ・ブキャナン

5.ダイアー・ストレイツ







ロイ・ブキャナン

 ロイ・ブキャナン Roy Buchanan

music

ウィキペディア

 ロイ・ブキャナン(Roy Buchanan、1939年9月23日 - 1988年8月14日)は、アメリカ合衆国のギタリスト、ブルースミュージシャン。

 テレキャスターサウンドのパイオニアである。ブキャナンは他のアーティストのサイドマンとして活動すると共に、ソロアーティストとしても活動し、その経歴の初期においては2枚のゴールドアルバムを獲得している。また、後期にはアルバムをビルボードにチャートインさせている。スターダムにのし上がることは無かったが、現在でも非常に影響力を持ったギタリストとして見なされている。『ギター・プレイヤー』誌は彼を「50 Greatest Tones of all Time」の一人に選出している。彼はPBSの音楽番組「Austin City Limits」のシーズン2に1977年に出演している。


スタジオアルバム

Buch and the Snakestretchers, 1971, BIOYA (homemade and self-produced)

Roy Buchanan, 1972, Polydor

Second Album, 1973, Polydor

That's What I Am Here For, 1974, Polydor

Rescue Me, 1974, Polydor

In the Beginning (UK title: Rescue Me), 1974, Polydor

A Street Called Straight, 1976, Atlantic

Loading Zone, 1977, Atlantic

You're Not Alone, 1978, Atlantic

My Babe, 1981, AJK

When a Guitar Plays the Blues, 1985, Alligator

Dancing on the Edge, 1986, Alligator

Hot Wires, 1987, Alligator


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ライヴアルバム

Live Stock, 1975, Polydor

Live in Japan - 1977, 1978, Polydor MPF 1105

Live - Charly Blues Legend vol. 9 85-87, 1987, Charly Schallplatten GMBH, CBL 758* (Bootleg)


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コンピレーションおよび死後の作品

The Best of Roy Buchanan, 1982, Polydor

Early Years, 1989, Krazy Kat

Live in U.S.A. & Holland 77-85, 1991, Silver Shadow CD 9104

Sweet Dreams: The Anthology, 1992, Polydor

Guitar on Fire: The Atlantic Sessions, 1993, Rhino

Malaguena, 1997, Annecillo

Charly Blues Masterworks: Roy Buchanan Live, 1999, RedX entertainment

The world's greatest unknown guitarist, 2000, Blues Factory

Deluxe Edition: Roy Buchanan, 2001, Alligator[9]

20th Century Masters: The Millennium Collection: Best Of Roy Buchanan, 2002, Polydor

American Axe: Live In 1974, 2003, Powerhouse Records

The Prophet - The Unreleased First Polydor Album, 2004, Hip-O Select/Polydor

Live, 2006, Charly Records

The Definitive Collection, 2006, Polydor

Rhino Hi-Five: Roy Buchanan, 2007, Rhino Atlantic

Live: Amazing Grace, (rec. 1974–83) 2009, Powerhouse

Live At Rockpalast, (rec. 1985) 2011, MIG Music

Live from Austin, TX, (rec. 1976) 2012, New West

Shredding the Blues: Live at My Father's Place, (rec. 1978 & 1984) 2014, Rockbeat

After Hours: The Early Years, 1957–1962 Recordings, 2016, Soul Jam

Telemaster: Live in '75, 2017, Powerhouse

Live at Town Hall 1974, 2018, Real Gone Music


2025年4月1日火曜日

フェイ・ウォン(王菲)

 フェイ・ウォン(王菲)

music


・The Heart Sutra (by Faye Wong)  YouTube

 まるで観音様!

・王菲-心經 YouTube アメブロ オーケストラ

・チベット仏教の集会にて YouTube


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フェイ・ウォン(王菲)はドリームポップの伝説か──コクトー・ツインズとの蜜月がもたらしたもの

記事

1.胡思亂想(1994)


2.討好自己(1994)

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3.最高傑作『浮躁』(1996)

music

ちなみに、『Milk & Kisses』一部限定盤の「Serpentskirt」ではフェイ・ウォンとエリザベス・フレイザーが録音上で共演している。

 96年発表、通算3枚目の北京語アルバム。フェイ自身の作詩・作曲の楽曲を10曲中8曲と大半を占め、その内4曲はインストゥルメンタル作品という意外なアプローチも展開。それ以外の2曲はコクトー・ツインズが提供。香港のミュージック・シーンで斬新な試みを続け、その独特のスタイルの唱法でシンガーとしてのスティタスを確立したフェイ・ウオンが、世界的を舞台とするアーティストとして大きく前進した重要作。全10曲収録。

【収録内容】

<SIDE A>

A-1 無常

A-2 いらいらする

A-3 想像

A-4 分かれ

A-5 不安


<SIDE B>

B-1 気にしないで

B-2 墜落

B-3 がっかり

B-4 末日

B-5 野原

●歌詞・対訳付

メディア掲載レビューほか

 96年発表、通算3枚目の北京語アルバム。フェイ自身の作詩・作曲の楽曲を10曲中8曲と大半を占め、その内4曲はインストゥルメンタル作品という意外なアプローチも展開。それ以外の2曲はコクトー・ツインズが提供。香港のミュージック・シーンで斬新な試みを続け、その独特のスタイルの唱法でシンガーとしてのスティタスを確立したフェイ・ウオンが、世界的を舞台とするアーティストとして大きく前進した重要作。 (C)RS

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ウィキペディア


Cinepoly Records

1989年『王靖雯』 - 日本盤未発売

1990年『Everything』 - 日本盤未発売

1990年『You're the Only One』 - 日本盤未発売

1992年『Coming Home』

1993年『悔やまぬ心で(原題:執迷不悔)』

1993年『十万回のなぜ(十萬個為什麼)』

1994年『恋のパズル(迷)』

1994年『夢遊(胡思亂想)』

1994年『天空』

1994年『背影(討好自己)』

1995年『マイ・フェイヴァリット(菲靡靡之音)』 - テレサ・テンのトリビュート・アルバム

1995年『Di-Dar』

1996年『アンサイティー(浮躁)』 - 『胡思亂想』にカバー曲を収録したのが縁で、イギリスのロックバンド、コクトー・ツインズから2曲プロデュースを受けている(「分裂」と「掃興」)。