ビージーズ Bee Gees
2025年4月15日 配達中 田無駅 ムサシノコーヒーにて
愛はきらめきの中に How Deep Is Your Love 1977 YouTube を聴く。
歌詞 note
Saturday Night Fever (The Original Movie Soundtrack Deluxe Edition) music
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ビージーズ Bee Gees
ウィキペディア music
ビージーズ(英: Bee Gees)は、英国王室属領マン島生まれのイギリス人のギブ三兄弟を中心に構成された男性ボーカルグループ。1963年にオーストラリアでレコードデビューし、1973年からは米国を中心に活動。1960年代前半から息の長い活動を続け、「ラヴ・サムバディ」、「マサチューセッツ」、「メロディ・フェア」、「若葉のころ」、「イン・ザ・モーニング」、「ホリディ」、「ジョーク」、「傷心の日々」、「ラン・トゥ・ミー」、「ブロードウェイの夜」、「獄中の手紙」、「ステイン・アライヴ」など、数多くの名曲を発表した。ポップなメロディメイカーとしては、レノン=マッカートニー(ビートルズ)やビヨルン&ベニー(ABBA)らと並ぶ名ソングライターチームとして知られている。
ソフト・ロック期:1960年代-1974年
彼らは、1966年にはオーストラリアで最優秀ボーカルグループに選ばれ、翌1967年2月、シングル「スピックス&スペックス」が全豪ナンバーワンヒットしている頃、オーストラリアでの大人気に着目したビートルズのマネージャーであるブライアン・エプスタインは、自らが経営するNEMSエンタープライズに入社したての新人ロバート・スティッグウッド(1934~2016)をオーストラリアへ赴かせ、ギブ兄弟にワールド・デビューの契約を持ち掛ける。
イギリスに帰国したギブ兄弟は、オーストラリア・クイーンズランド州生まれでロンドン育ちのドラマー、コリン・ピーターセン(1948~)、そしてオーストラリア時代から彼らのレコーディングにたびたび参加していたシドニー出身のヴィンス・メロニー(1945~)をリードギターに迎え、5人編成として1967年5月にポリドール・レコード本社より「ニューヨーク炭鉱の悲劇」でレコード・デビュー。アメリカでの発売元であるアトコ・レコード(アトランティック・レコードの子会社)が、新人では前代未聞の25万ドルで契約した。
以後、「ラヴ・サムバディ」[注 1]、「ホリディ」、「マサチューセッツ」(全米11位)、「ワールド」、1968年に「ワーズ」、「ジャンボー」、「獄中の手紙」(初の全米トップ10入り)、「ジョーク」(同じく全米トップ10ヒット)をリリース。同年末にヴィンスがプロデューサー業に転向するため正式に脱退、翌1969年春、4thアルバム『オデッサ』およびシングル「若葉のころ」の発売間もなくロビンがソロ・シンガーになるべく独立(シングル「救いの鐘」は英国のみでヒット)、同年夏にはシングル「トゥモロウ・トゥモロウ」を最後にバリーとモーリスが一方的にコリンを解雇してしまう。 これによって2人となったビージーズは、「想い出を胸に」を全英トップ10に送り込むも、翌1970年春先にシングル「I.O.I.O.」およびアルバム『キューカンバー・キャッスル』発売直後の兄弟喧嘩によって空中分解。その後、それぞれソロ・シングルを発表するも芳しい結果は出せず、同年9月にバリー、ロビン、モーリスの3人は結束の下に改めてビージーズとして再出発することを誓う。
10月に再スタート第一弾アルバム『トゥー・イヤーズ・オン』を発売、翌71年1月にシングルカットされた「ロンリー・デイ」を全米3位(キャッシュボックス誌では1位)とし、続くシングル「傷心の日々」は念願の全米ナンバーワンとなるが、アルバムセールスは低調だった。71年のイギリス映画『小さな恋のメロディ』は、本国では成功しなかったものの、日本では興業的にも大成功となり、サントラ盤に収められた「メロディ・フェア」、「若葉のころ」などは日本人に親しまれた。
コリン解雇後はジェフ・ブリッジフォードがドラムを叩いていたものの1972年春、初の来日公演(アイドル人気だった1969年に予定されていたが、メンバーの脱退などの諸問題で延び延びとなっていた)寸前に解雇される。
1973年に、マネージャー兼プロデューサーでもあったロバート・スティッグウッドが設立したRSOレコードへ移籍し、アメリカでの発売元であるアトコ・レコードでかつてはヤング・ラスカルズなどを手掛けるなど華々しい経歴の持ち主であるアリフ・マーディンのプロデュースを受け、アルバム『ライフ・イン・ア・ティン・キャン』をリリース。マンネリ化した従来のストリングスサウンド(1967年以降ステージではバックに30人編成から成るストリングス・オーケストラをつけていた)からサウンドを変更したが、翌1974年のアルバム『ミスター・ナチュラル』も不発に終わる。マーディンは自信を失って迷いの中にいるメンバーに「課題は自分たちの新しい音楽スタイルの追求と発展とヒットレコードの制作だ。まわりの音楽状況やほかのアーティストのヒット状況に耳を傾けるように。ファンが何を求め、時代や状況に合った音楽は何か、その中の自分たちの可能性は何なのか」と問うてきた[6]。そしてビージーズの大転換がはじまる。
ディスコ期:1975年-1979年
1975年に芸能生活20周年記念アルバムでもある『メイン・コース』からシングルカットされた「ジャイヴ・トーキン」、「ブロードウェイの夜」がディスコブームに乗り、全米大ヒット。これよりディスコ時代の幕開けとなる。リズム主体のディスコなサウンドへと脱皮を図った彼らに対して、旧来のファンからは「売れるためにサウンドを変えた」と猛反発された。しかし以後も、ディスコ・ナンバーを中心とする路線を継続し、「ユー・シュッド・ビー・ダンシング」などの大ヒットを飛ばした。ディスコで大人気を誇っていたビージーズのナンバーを大きく取り入れた映画『サタデー・ナイト・フィーバー』[注 2]が、1977年に公開された。同作品はアメリカだけでなく、海外でも大成功し、アルバムも大ヒットとなった。アルバムからはビージーズの「ステイン・アライヴ」、「ナイト・フィーヴァー」、タバレスの「モア・ザン・ア・ウーマン」、イボンヌ・エリマンの「イフ・アイ・キャント・ハヴ・ユー」などがヒットした[7]。
1980年以後
1981年のアルバム『リヴィング・アイズ』がマイナーヒットに終わって以降は、各自のソロ活動と並行して他アーティストへの楽曲提供が活動の中心となり、数多くの全米ヒットを生み出す。
1987年にワーナー・レコードに移籍し、アルバム『E.S.P.』よりシングル・カットされた「ユー・ウィン・アゲイン」は、全英トップ10ヒット。1989年にはシングル「One」が久しぶりにヒットした。また、アンディ・ギブが早逝する悲劇に見舞われた。
2003年、メンバーのモーリス・ギブが急逝。モーリス死去後にロビンは再結成の意向はないと表明したが、2009年から活動を再開した[8]。
2012年5月20日、ロビン・ギブの死去[9]によりギブ3兄弟によるグループ活動は消滅した。
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1965 The Bee Gees Sing and Play 14 Barry Gibb Songs —
1966 スピックス・アンド・スペックスSpicks and Specks —
1967 ビー・ジーズ・ファースト Bee Gees 1st
1968 ホリゾンタル Horizontal
1968 アイディア Idea
1969 オデッサ Odessa
1970 キューカンバー・キャッスル Cucumber Castle
1970 トゥー・イヤーズ・オン 2 Years On
1971 トラファルガー Trafalgar
1972 トゥ・フーム・イット・メイ・コンサーン To Whom It May Concern
1973 ライフ・イン・ア・ティン・キャン Life in a Tin Can
1974 ミスター・ナチュラル Mr. Natural
1975 メイン・コース Main Course music
1976 チルドレン・オブ・ザ・ワールド Children of the World
1979 失われた愛の世界 Spirits Having Flown
1981 リヴィング・アイズ Living Eyes
1987 E.S.P. E.S.P.
1989 ONE One
1991 ハイ・シヴィライゼーション High Civilization
1993 サイズ・イズント・エヴリシング Size Isn't Everything
1997 スティル・ウォーターズ Still Waters
2001 ディス・イズ・ホエア・アイ・ケイム・イン This Is Where I Came In
『サタデー・ナイト・フィーバー』は、1998年にミュージカル版もロンドンで製作され、翌年にはブロードウェー公演も果たし、日本公演は2003年に新宿コマ劇場で行われた。続編である映画『ステイン・アライブ』も公開された。
参考 映画 グリース フラッシュダンス
愛はきらめきの中に~ナンバー・ワン・ヒット・ソングス Number Ones
内容紹介
【ビー・ジーズ・デビュー40周年記念】
1967年ポリドールよりアルバム『ファースト』にてUKデビューを果すに先んじて、ビー・ジーズの活動基盤であったオーストラリアにて発売された彼らのアーティスト活動開始ファースト・アルバム『The Bee Gees Sing and Play Barry 14 Gibb Songs』がリリースされたのが1965年11月(レーベル:Leedon)。2004年11月に40周年を迎えます。
2003年1月16日に惜しくもモーリス・ギブが他界してしまい、ビー・ジーズ3人の活動は終わってしまいましたが、彼らのヒット曲の数々はさまざまなアーティストにカバーされ、前にもましてエヴァー・グリーンな輝きとともに継承されています。イギリスでは2004年5月に大英帝国勲位を授与されるなど、世界中で再び注目の集まる中、日本でもあの『サタデー・ナイト・フィーヴァー』がリヴァイヴァル・ロードショー。さらに2005年にはモーリスを偲ぶトリビュート・コンサートやトリビュート・アルバムの製作なども予定されており、ますます再評価が高まっています。その40周年の記念に今回はバリーとロビンの選ぶNo.1ヒットばかりを収録した最新のベスト・コレクションをリリース。故モーリス・ギブに追悼の意を表明すべく特別に「マン・イン・ザ・ミドル」(2001年最後のオリジナル・アルバムから)も収録され、彼らの長い活動の全ての時代を網羅したオール・タイム・ベストの内容になっています。
【ビー・ジーズの功績】
63年にオーストラリアでデビューしてから全世界で1億7500万枚以上の売り上げを誇る。
エルヴィス・プレスリー、ジャニス・ジョップリン、アル・グリーン、バーバラ・ストライサンドからデスティニーズ・チャイルド、ハッピー・マンデイズ、オジー・オズボーンまで1000アーティスト以上がビー・ジーズの曲を今までパフォーマンスしている。
60年代から90年代までどの年代においてもNo.1ヒットをもっている。
『サタデー・ナイト・フィーバー』のサントラは全米24週No.1に輝いた。今でもその記録は破られることなく世界で一番今まで売れているサウンドトラック。
曲目リスト
1 Massachusetts(マサチューセッツ)
2 World (ワールド)
3 Words (ワーズ)
4 I've Gotta Get A Message To You (獄中の手紙)
5 I Started A Joke (ジョーク)
6 Don't Forget To Remember (想い出を胸に)
7 How Can You Mend A Broken Heart (傷心の日々)
8 Jive Talkin' (ジャイブ・トーキン)
9 You Should Be Dancing (ユー・シュッド・ビー・ダンシング)
10 How Deep Is Your Love (愛はきらめきの中に)
11 Stayin' Alive (ステイン・アライヴ)
12 Night Fever (恋のナイト・フィーヴァー)
13 Too Much Heaven (失われた愛の世界)
14 Tragedy (哀愁のトラジディ)
15 More Than A Woman (モア・ザン・ア・ウーマン)
16 Love You Inside Out (ラヴ・ユー・インサイド・アウト)
17 You Win Again (ユー・ウィン・アゲイン)
18 Man In The Middle (マン・イン・ザ・ミドル)
19 Islands In The Stream (アイランズ・イン・ザ・ストリーム)
20 Immortality (イモータリティ)
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