2025年4月5日土曜日

AC/DC エーシー・ディーシー

 

・AC/DC エーシー・ディーシー

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AC/DC(エーシー・ディーシー)は、オーストラリア出身のロックバンド。1973年結成。

スコットランド人のアンガス、マルコムのヤング兄弟を中心に1973年、シドニーにて結成。同国を代表するグループとして世界的知名度を獲得。1980年発売の『バック・イン・ブラック』は5000万枚以上の売り上げを記録し、世界史上3番目に売れたアルバムである。2003年『ロックの殿堂』入り[7]。ローリング・ストーン誌選定「歴史上最も偉大な100組」第72位。ウォール・ストリート・ジャーナルの「史上最も人気のある100のロックバンド」6位[8]。 全てのオリジナル・アルバムがマルチ・ミリオン・セラー(200万枚以上の売り上げ)を達成している。全世界累計(レコードも含む)アルバムセールスは2億4000万枚以上を記録しており、70年代結成のロックバンドでは最も多い売り上げである[9][10]。また、全米ではロックバンドとしてのアメリカ音楽史上5位となる、7500万枚以上のセールスを記録している。

バンド名の由来は、ミシンに書かれていた「AC/DC」から名付けたものといわれる。地元オーストラリアでは愛着を込めて "Acca Dacca" (アカ・ダカ)と呼ばれている。

「AC/DC」とは、本来は「交直両用」の意であるが、バイセクシュアル(両性愛)を表す隠語(日本語の「両刀使い」に近いニュアンス)でもあったため、バンド初期には勘違いしたゲイバーからの出演依頼がたびたびあった。

音楽プロデューサーのリック・ルービンは、先述のローリング・ストーン誌選定「歴史上最も偉大な100組」に寄せたエッセイでAC/DCを「史上最高のロックンロールバンド」と明言した。MTVはAC/DCを「史上最高のヘヴィメタルバンド」の7位に選んだ。


音楽的特徴、エピソードなど

 60年代末から70年代にかけて隆盛を誇ったハードロック、ことに「ブルースを基調とした骨太でソリッドなロックンロール」の部分をよりプリミティヴに抽出し徹底させた音楽を志向し、デビューから現在に至るまで硬質かつ武骨にしてシンプルなロックンロールを中心に演奏し続けてきた。いわゆるハードロックバンドには珍しく、極めてタイトなミッド〜スロー・テンポの楽曲が非常に多く、なおかつそうしたリズムでありながらもその高揚感はいささかも減じられない。長きにわたって変節のない質実剛健な音楽性が特徴で、時にブルース調の曲を演奏するものの、モーターヘッドと同様に昔も今もほとんど変わっていない。


 70年代末、パンク・ロックブームに沸くイギリスでは、それ以前に活躍したハードロックバンドがオールドウェイヴと揶揄され消えていく中、AC/DCは生き残ることに成功する。それは、バンドが熱狂的なファンをイギリス全土で獲得していたためだが、ファンや音楽誌などからオリジナル・パンクと同一視されたという側面もあった。特に、ライヴでのパフォーマンスはパンク的な印象が強く、ボン・スコットのパフォーマンスはセックス・ピストルズのジョニー・ロットンを強くイメージさせた。一方で、アンガス・ヤングは観客に向かって尻をさらすパフォーマンスで悪名高かった。また、高い演奏技術や凝った楽曲への志向をことさらに露にすることよりも、創成期のロックンロールのワイルドさに忠実であろうとするAC/DCの音楽性は、パンクロックと相性が良かった。ラモーンズのジョーイ・ラモーンをはじめとして、AC/DCを敬愛するパンクロッカーも多い。


1980年前後には「世界で最もコンサートで死者を出しているバンド」とギネスブックに認定されていた。

 1973年にデビューして以来、楽曲やライヴでのパフォーマンスなどによって欧米にも人気を広げていったが、1980年に、ヴォーカルのボン・スコットが急死し、危機に立たされる。しかし、新ヴォーカリスト、ブライアン・ジョンソンを迎えて発表した『バック・イン・ブラック』は、世界的に空前の大ヒットを記録し(前述の通り、結果世界でのセールスは、バンド/グループのフルアルバムとしては歴代2位、全体ではマイケル・ジャクソンの『スリラー』に次いで3位、アメリカだけでもそのセールスは2500万枚を超えて歴代第5位)、次作『悪魔の招待状』 では初のビルボード1位を獲得するといった活躍を見せる。だが、今日でも全米チャートの上位常連であるが、日本での人気は欧米ほど高くなく、また、彼らの全盛期であった1980年前後、日本ではクイーンのような、ルックス的にも音楽的にも華やかなバンドが人気で、AC/DCのような武骨なバンドは人気がないというバンド側の先入観もあり、2001年の来日公演は実に19年ぶりであった。マーティー・フリードマンは、来日した際にAC/DCの評価が低いことに驚いたと語っている。


アンガス、マルコム、ブライアン以外は幾度かメンバーチェンジが行われたが、90年代に初期メンバーに戻った。


 多くの同業者から尊敬を集めるバンドであり、キース・リチャーズやピート・タウンゼント、スティーヴン・タイラー、オジー・オズボーン、ニッキー・シックス、リッチー・サンボラ、スラッシュ、カート・コバーン、ジョーイ・ラモーン、デイブ・グロール、ブライアン・メイほか、日本では草野マサムネ、トータス松本、甲本ヒロト、斉藤和義など世界中のアーティストが影響を受けているが、一方でAC/DCのメンバーは、他のバンドやアーティストについて、殆ど関心が無く、交流も皆無に近いことで知られてもいる[36]。


 日本のバンドではLOUDNESSが1986年のUSツアーの前座を18日間で15公演務めている。二井原実によると、AC/DCのファンは前座のバンドに関心がなく、酷い公演になると客席から唾が飛んでくるなど散々な目に遭ったという。一方で高崎晃は、アンガスが各会場でギリギリのポイントでハウリングを起こさない様に入念なリハーサルを行っていることに驚かされ、それに対しブライアンは毎回本番ギリギリまで会場に現れなかったことも明かしている。


初来日公演の前座にKODOMO BANDが期用される予定があったが、アンガスの体調不良により話が流れてしまったというエピソードがある。


映画『スクール・オブ・ロック』では、エンディングが「It's a Long Way to the Top」のカヴァー(演奏したのは同映画のキャスト)、劇中で「バック・イン・ブラック」が使われた他、主人公のステージ衣装やギターがアンガスを意識したものであった。「It's a Long Way to the Top」はドロップキック・マーフィーズやレミー・キルミスターにもカバーされているが、ボーカルがブライアンに交代してからはライブでは演奏されていない。

数年前から世界的なムーヴメントとなっている、ガレージロックの音楽的なルーツの1つでもある[要出典]。

ヤング兄弟が使用するギターは、アンガスはギブソンのSG、マルコムはグレッチと、デビューしてから一筋である。

バンドのロゴマークなどは、Tシャツなどに多用されており、テレビ番組の衣装などでも度々見られる。






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