本 黒人音楽史 奇想の宇宙
後藤護
来るべき「アフロ・マニエリスム」に向けての試論――ジェームズ・ブラクストン・ピーターソン『ヒップホップ・アンダーグラウンド』論(連載「音楽批評のアルシーヴ」海外編)
第1章 黒人霊歌という暗号
ミュージック・トリー 音楽の木
ワイヤット・T・ウォーカー Wyatt Tee Walker 作成 ウィキペディア
左側
・リズム&ブルース
・クール・ジャズ
・モダン・ジャズ
・ダンス・ジャズ
・ニューオリンズ・ジャズ
・ジャズ
・ラグタイム
・ブルース
右側
・讃美歌風スピリチュアル
・コンサートスピリチュアル
・モダンゴスペル
・ヒストリックゴスペル
・ソウル風讃美歌
・黒人韻律音楽 ブラック・ミーター・ミュージック
一番下
・奴隷の発声
・うめき、詠唱
・救いへの叫び
ウェルズ 「黒人の霊歌は生きている」
ウィリアム・フランシス・アレン 「合衆国の奴隷歌」1867
信じる者よ、おお死にましょうか。おお、軍隊よ、死にましょうか。
イエス様は死にました。私も死にましょうか。
十字架で死にました。死にましょうか。
M・ラマ―のゴシック霊歌
図1-2 M.Lamar & The Living Earth Show
LORDSHIP AND BONDAGE: THE BIRTH OF THE NEGRO SUPERMAN 2019
図1-3
M.Lamar Negrogothic 2015
music
図1-4
SORROW COME PASS ME AROUND:A Suvery of Rural Black Religious Music 1975
music
南部ブルースマンによる「土着ゴスペル」
1965-1973に教会以外の場所で録音された。
曲目リスト
1 Sorrow Come Pass Me Around
2 Do Remember Me
3 The Ship Is at the Landing
4 You Don't Know What the Lord Has Done for Me
5 Talk About a Child That Do Love Jesus
6 Can't No Grave Hold My Body Down Robert "Nighthawk" Johnson
7 You Got to Give An Account
8 By the Grace of My Lord, I've Come a Long Way
9 My Sun Don't Never Go Down
10 Climbing High Mountains Robert "Nighthawk" Johnson
11 Glory, Glory Hallelujah
12 A Little Talk with Jesus Makes It Right
13 I Heard the Voice of Jesus Say
14 When the Circle Be Unbroken
15 Motherless Children
16 I Shall Not Be Moved
・ロバート・ジョンソンとロバート・ナイトホークが存在する。
Robert "Nighthawk" Johnsonはどちらだろう?
・ロバート・ジョンソン
ウィキペディア
・ロバート・ナイトホーク
ウィキペディア
1949年、ナイトホークはアリストクラットからシングル「アニー・リー・ブルース」/「ブラック・エンジェル・ブルース」をリリースした。このシングルはナイトホーク、ピアニストのアーネスト・レーン、ベーシストのウィリー・ディクソンからなる「ザ・ナイトホークス」名義でリリースされた。「アニー・リー・ブルース」は1949年12月31日にビルボードR&Bチャートで13位に達した。
「ブラック・エンジェル・ブルース」は「スウィート・ブラック・エンジェル」や「スウィート・リトル・エンジェル」としても知られ、数多くのブルースやその他のアーティストによって録音されてきたブルースのスタンダードである。 [ 1 ]この曲は1930年に古典的な女性ブルース歌手の一人であるルシール・ボーガンによって初めて録音された。ボーガンはそれをミッドテンポの12小節ブルースとして録音し、自身のボーカルとピアノ伴奏をフィーチャーした。
1956年、BBキングは「スウィート・リトル・エンジェル」を録音した。キングによると、「私はロバート・ナイトホークの「スウィート・ブラック・エンジェル」から「スウィート・リトル・エンジェル」のアイデアを得たが、後にこの曲はナイトホークより前に誰かが録音していたことを知った。
]1957年、彼は「スウィート・リトル・エンジェル」を最初のアルバム「Singin' the Blues」のために再録音した。どちらのバージョンもBBキングのギターワークが目立っており、彼の音程ベンドは「ところどころラップスティールのように聞こえる」 。
ロバート・ナイトホークの「ブラック・エンジェル・ブルース」は2007年にブルース財団の殿堂「ブルース録音の名曲」部門に選出された。また、BBキングの「スウィート・リトル・エンジェル」はロックの殿堂の「ロックンロールを形作った500曲」のリストに含まれている。
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「ブルース録音の名曲」を検索して発見
・記事「誰が最初にブルース・ソングを書いたのか?」:ブルースと誕生とレコード会社の変遷
1912年、W.C.ハンディは「Memphis Blues」を出版した。しかし皮肉にも、これはブルース・ソングではなく、インストゥルメンタルのケークウォーク(*訳注:黒人の間で発祥したダンスの一種)だった。W.C.ハンディの同曲は、タイトル中に‘ブルース’と言う言葉を使った3番目の曲となった。ハート・ワンドの「Dallas Blues」が最初にブルースという言葉を使った楽曲で、2番目はアーサー・シールズの「Baby Seals’ Blues」だ。3人のうち、アーサー・シールズとW.C.ハンディは黒人、ハート・ワンドは白人で、実際にブルースだったのは、白人のハート・ワンドの楽曲である。
1.Dallas Blues (1918) ハート・ワンド YouTube カバー
2.Baby Seals’ Blues アーサー・シールズ カバー
3.Memphis Blues W.C.ハンデ カバー
ウィキペディア英語版より
「ブルースの父」と呼ばれるWCハンディは、1909年に「メンフィス・ブルース」という曲を出版しました。これは書き留められた最初のブルースでした。歌詞では、このフレーズは憂鬱な気分を表現するために使われてきました。
メンフィス・ブルースは、フランク・ストークス、スリーピー・ジョン・エステス、ファーリー・ルイス、メンフィス・ミニーなどメンフィス地域のミュージシャンによって1910年代から1930年代にかけて生み出されたブルース音楽のスタイルです。
「ダラス・ブルース」(Dallas Blues)は、ハルト・ヴァント Hart A. Wand に書かれた歌であり、今までに出版された最初の本物のブルースの歌である。
オー、ユー・ビューティフル・ドール Oh という、最初のヴァースが12小節のブルースであるティン・パン・アレーの歌は、これより1年早く出版された。
他にも2曲、曲名にブルースと付く歌が1912年に出版された。「ベイビー・シールズ・ブルース」 Baby Seals Blues (1912年8月)というアーサー・“ベイビー”・シールズ Arthur "Baby" Seales 作曲のボードビルの曲と、「メンフィス・ブルース」という W. C. ハンディ W. C. Handy 作曲(1912年9月)の2曲である。しかしながら、どちらも本物のブルースの歌ではなかった。
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「ブルース録音の名曲」を検索して発見
Stories史上最も影響力のあるブルース・ソング10曲
サイト
1.B.B.キング「The Thrill Is Gone」 music
プロデューサーのビル・シムジク(そう、この数年後にイーグルスと一緒に何百万と稼ぎ出すことになるあの人物)は、B.B.キングが60年代にレコーディングした数多くのスムーズ・バラードのひとつだったこの曲に、ストリング・セクションを足したことでちょっとした革命を起こした。このプロデューサーは臆することなくB.B.キングのサウンドに磨きをかけ、彼と一流スタジオ・プレイヤー達を組み合わせ、レコーディングに挑んだ。そうしてこの時、彼の非常に心のこもったヴォーカルを引き出した。「The Thrill Is Gone」はブルースとポップを融合させた初めてのレコーディングではなかったが、今日までで最もスムーズで最も成功した曲であり(ポップ・レコードとして15位を獲得)、その後に誕生する数多くのクロスオーヴァーのお膳立てをした。
2.ハウリン・ウルフ Evil music
へヴィ・メタルを発明したのはレッド・ツェッペリンかブラック・サバスか、そんな無駄な議論に時間を費やすのは止めよう。我々の知る限り、ハウリン・ウルフはこの曲を1954年にプレイしていた。そう、「Evil」は基本的にはスロー・ブルースだが、バンドの非常にがむしゃらな取り組み方が(差し迫っていて、実に快いハウリン・ウルフのヴォーカルは言うまでもなく)、曲に大きな影響を与えている。一方、この曲を作曲したウィリー・ディクソンは、裏切られ、そうして史上最高のメタフォー(“馬房で別のラバが足蹴りしているようだ”)が誕生した。ザ・ドアーズがカヴァーした「Back Door Man」やザ・ヤードバーズがカヴァーした「Smokestack Lightnin’」といった多くのハウリン・ウルフの楽曲とは異なり、「Evil」ではアイコニックなロックン・ロール・カヴァーが生まれることはなかった(カクタスは1971年に本当に素晴らしくもあまり知られていないヴァージョンをやっているが)。しかしヘヴィ・ロックのタフさと、そして言うまでもなくダーク・サイドへの関心は、この曲なくしては行き詰っていただろう。
3.ロバード・ジョンソン Crossroads music
純粋に音楽的レヴェルから言うと、この曲の持つ力は明らかだろう。ロバート・ジョンソンの激しいスライド・ギター・プレイは、デュアン・オールマンやジョニー・ウィンター、ロリー・ギャラガー、そして事実上のブルース・ロック時代の偉大なスライド・プレイヤー達が皆、繰り返し取り上げてきた。またこの曲にはブルースの奇妙なミステリーについての証言もある。ロバート・ジョンソンは本当に悪魔に魂を売っていたのか、それとも単に車をヒッチ・ハイクしようとしていたのか、どう感じようとそれはともかく、彼がどれだけ危うい状況にあったのか納得させられる。またクリームのサード・アルバム『Wheels Of Fire』で、エリック・クラプトンがエレクトリック・ギターでプレイしたヴァージョンも良く知られている。
Wheels Of Fire Cream 1968 music 10曲目 Crossroads
参考 記事 第6回:ロバート・ジョンソン「クロスロード伝説」の真実
・Char Crossroads YouTube
4.マディ・ウォーターズ Got My Mojo Working music
なぜこの名曲が、こうしたリストのトップに君臨することが多いのか? ひとつには、これほどまでにブルースの魅力とミステリアスな雰囲気が盛り込まれた曲は、他にはないからだろう。このシンガーは小さな魔よけのお守りをポケットに忍ばせながら、失恋するのだ。そしてこの曲をプレイすることが最高に心地好いのは、数多くのガレージ・バンドが認めるところだろう。「Louie Louie」と同じ1-4-5進行で、演奏する時は少々良いところを見せようとしてしまうのだ。これは1957年にマディ・ウォーターズがレコーディングしたナンバーであり、ブードゥーがテーマの曲はこれが初めてではなかったものの(彼はこの3年前に「Hoochie Coochie Man」を取り上げている)、以来この曲は彼の代表作となった。興味深いことに、この曲を書いたプレストン・フォスター(ポケットの中に何曲か入れてチェス・レコードにやって来た、温厚な男性だったようだ)は名声を得ることはなく、その著作権を巡ってマディ・ウォーターズと裁判で争うこととなる。でも大丈夫、「Got My Mojo Working」はみんなの曲なのだから。
5.ジュニア・キンブロウ Do The Rump music
1992年に設立されたブルースのインディー・レーベル、ファット・ポッサム・レコードのブルースに精通した人達がミシシッピ・デルタに進出し、夜な夜な酒場で、むき出しで素朴なグルーヴを刻むブルースマンの一群を発見した。一連のレコード、特にジュニア・キンブロウとR.L.バーンサイドによる曲は、一部の若きロッカー達に影響を与えた。彼等はそのむき出しのエネルギーだけでなく、余計なものを取り除いた、ギターとドラムスだけのセットアップを取り入れ、酒場のサウンドをロック・アリーナに持ち込んだ。ザ・ブラック・キーズのファースト・アルバムはファット・ポッサム・レコードから強い影響を受け、R.L.バーンサイドとジュニア・キンブロウの曲がオープニングを飾り、ジャック・ホワイトもまたその信者のひとりだった。また流行に敏感な人々は、ジュニア・キンブロウ・ナンバーのオリジナル・ヴァージョンのプライマル・サウンドに夢中だった。
The Big Come Up ザ・ブラック・キーズ music 2曲目
6.ココ・テイラー Wang Dang Doodle
What It Takes: The Chess Years 1991 music 5曲目
シカゴのブルース・ウーマン、ココ・テイラーは、以前ハウリン・ウルフも取り上げたことのある代表曲をレコーディングする際、周囲に説得されなければならなかった。と言うのもココ・テイラーは、オートマティック・スリムやレイザー・トティング・ジムといった人物達が登場しどんちゃん騒ぎに興じるこの物語に、共感出来るかどうか確信が持てないでいたからだ。しかし、彼女が考えを変えてくれて、世界は幸運になった。これはブルース最高のパーティー・ソングのひとつというだけでなく、この非常に強い歌い方は、ボニー・レイットやジャニス・ジョプリン等に影響を与えることになった。
7.T・ボーン・ウォーカー Stormy Monday 2016 music
「Stormy Monday」は正当な理由により数多くのバンドにカヴァーされてきた、エレキ・ギターの手本となる曲のひとつだ。T・ボーン・ウォーカーの1947年のオリジナル・ヴァージョンは、大きなソロもなく、ヴァースそれぞれのラインの後にプレイされる滑らかな演奏と、“主よ我々を哀れみたまえ”という箇所を強調するコードのかきならしが、不思議な魅力を生み出している。オールマン・ブラザーズ・バンドがこれを上回る為に出来たことと言えば、長さを10分に伸ばすことだけだった。またジミ・ヘンドリックスはこれを怪しいブートレッグで取り上げたが、恐らくこの曲がスロー・ブルースの傑作「Red House」の原型になったと思われる。
カバー music
発見 井の頭ブルースエクスプロージョン music Twitter
活動終了しているみたい残念。
8.アルバート・コリンズ Sno-Cone, Parts 1 And 2
Truckin' With Albert Collins 1969 music 10曲目
素晴らしいギタリストのブルースと言えば、これだ。この画期的なシングル(ふたつのパートはまるで異なる曲だった)のアルバート・コリンズのテレキャスターによる突き刺すような音は、テキサス・ブルースの試金石となり、とりわけジミーとスティーヴィー・レイ・ヴォーンの兄弟の注目を浴びた。J.ガイルズやジョージ・ソログッド等イースト・コーストの人々もこの曲に夢中になり、この“テレキャスターの達人”は1993年に亡くなるまで、相当数のロック・ステージを沸かせた。
9.ルシール・ボーガン Shave ’Em Dry
music 17曲目
このリスト中最も有名と言うわけではないが、ある意味最も画期的な曲がこれだ。南部の女性ボーカリストのルシール・ボーガンは史上最も性表現が露骨な曲のひとつを一気にレコーディングし、女性が歌えるものの境界線を押し広げていった。それも、1935年にやってのけたのだ。ルシール・ボーガンの歌詞はタブーを幾つも破った。「Groceries On The Shelf」では売春をひとつの職業として捉え、「BD Woman Blues」(BDは“ブル・ダイク”〔訳注:男っぽい女〕の略)ではその集団に完全に寄り添っていた。「Shave ’Em Dry」のオリジナル・リリース・ヴァージョンでは単にほのめかしていただけだったが、彼女はそれとは別に“いかがわしい”ヴァ―ジョンもリリース、現在ブルース愛好家達の間ではこちらの方が良く知られている。同ヴァージョンでは彼女の意思が明白であり、“わたしの脚の間には、死者が寄って来るようなモノがついている”という一行が登場する。これが後に誰に影響を与えたかは、みんな容易に想像がつくだろう。
記事 女性ボーカル(その26) いけないルシール
ブルブル ブルース (Blues) より
先にジェリー・ロール・モートンの<Winnin‘ Boy>の歌がかなりお下劣という記事を書いたけど、1935年頃に録音された<Shave 'em Dry>という歌も相当に強烈だ。始まりからして、<私の乳首は親指の先の大きさで、股には死人ですら行かせるモノがあるのよ...>と始まるので、ヤバイなあーと思っていたら、ボーガン女史、明け透けにF系四文字言葉を連発して<空になるまでやってよ>と歌うのです。途中であまりの歌詞に、歌い手の彼女すら笑い出す始末。
10.プロフェッサー・ロングヘア Big Chief
Crawfish Fiesta music
元々は1964年にシングル・カットされ、ニューオーリンズ音楽の礎のひとつになった曲。ピアニストによるカリビアン・ルンバとドラマーのスモーキー・ジョンソンのシンコペーションは、共にファンクとR&Bの土台を作り、町のリズムに対するユニークなアプローチを見事に捉えている。これを書いたのはオリジナル・レコードでも歌っているブルースマンのアール・キングで、「Big Chief」の歌詞にはマルディグラ・インディアンの町の日常が綴られている。プロフェッサー・ロングヘアは1980年に亡くなっているが、今でもニューオーリンズ文化の中に生き続けている。町で最も有名なクラブ“ディピティナス”は彼の曲名から名づけられた。もしマルティグラやジャズ・フェスの頃に町を訪れたら、この曲「Big Chief」は確実に耳にするだろう。
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ロックンロールの殿堂 公式サイト
ロックンロールの殿堂(ロックンロールのでんどう、英: Rock and Roll Hall of Fame, RRHOF)は、アメリカ合衆国のオハイオ州クリーブランドに位置する博物館で、ロックンロールの歴史やその発展に影響を与えたアーティスト、プロデューサー、エンジニアなどの著名人を展示記録している、エリー湖畔にある施設である。
ロックンロールを形作った楽曲
殿堂博物館キュレーターのジェームズ・ヘンケは「博物館のキュレーター職員、多数のロック評論家、音楽の専門家」と共に順不同の「ロックンロールを形作った500曲」をリスト作成した[36]。このリストは同博物館の常設展示の一部で、1995年の開館から博物館の一部として想定されたものだった[37]。そこには1920年代から1990年代にかけて録音された楽曲が含まれている。このリストで最も古い楽曲は、1882年頃に書かれた「ウォーバッシュ・キャノンボール」[注釈 4]で、J・A・ロフの作とされている。しかし、それ以降160曲が追加されて、現在このリストは単に「ロックンロールを形作った楽曲」を指すものとなった。同リストの最新楽曲は、2006年にリリースされたナールズ・バークレイの「クレイジー」とマイ・ケミカル・ロマンスの「ウェルカム・トゥ・ザ・ブラック・パレード」である[38]。 ビートルズとローリングストーンズは、660曲の楽曲リストでそれぞれ8曲と最も多く選ばれている。
著述家のブレット・ミラノによると「ジャンル全体が飛ばされているのは、特にプログレッシブ・ロック、60年代のトップ40、ニューオーリンズのファンク、そして多くのブラックミュージックである」という[55]。
ハードロックとヘビーメタルのウェブサイトBlabbermouth.netは、キッスが殿堂入りまでに15年、ディープ・パープルが23年かかった様子を観測していた[66]。ジューダス・プリーストのイアン・ヒルは自身のバンドが殿堂入りしない点に関して「概ね彼らがヘビーメタルの音楽を好んでいると自分は考えていない」と2019年のインタビューで語っている[66]。
2018年、英国ロックバンドのダイアー・ストレイツが殿堂入りした時、グラミー賞を受賞したバンドリーダーのマーク・ノップラーはこちらの式典に出席せず、公式な説明もなかった[67]。デイヴ・マシューズ・バンドは、ファン投票で1位だったにもかかわらず部門に入っていなかったため、2020年の指名選考を非難した者も幾人かいた[68]。
ウィキペディアより
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1527年 ローマ劫掠 ごうりゃく
1527年5月、神聖ローマ皇帝兼スペイン王カール5世の軍勢がイタリアに侵攻し、教皇領のローマで殺戮、破壊、強奪、強姦などを行った事件を指す。
ローマに集まっていた文化人・芸術家は殺され、あるいは他の都市へ逃れた。文化財は奪われ、教会なども破壊され、ルネサンス文化の中心だったローマは壊滅、停滞の時期を迎えた。これによって1450年代から続いていた盛期ルネサンス時代は終わりを告げた。
マニエリスム
ルネサンス後期の美術で、イタリアを中心にして見られる傾向を指す言葉である。マンネリズムと語源を等しくする。美術史の区分としては、盛期ルネサンスとバロックの合間にあたる。イタリア語の「マニエラ(maniera:手法・様式)」に由来する言葉である。ヴァザーリはこれに「自然を凌駕する行動の芸術的手法」という意味を与えた。
図1-7
Madvillan,Madvillany Stones Throw 2004
music
ラッパーの MF DOOM とプロデューサーの Madlib が Madvillain というグループ名でコラボレーションした作品です。プロデューサーと MC の両者が当時、ごく自然に行っていたことです。当時人気のあったラップのフォーミュラを覆し、ユニークでその影響に忠実なアルバムを制作しました。カバー写真は Eric Coleman、デザインは Jeff Jank です。
図1-8
Michelle Mayne-Graves & Lifeline Quartet
ミッシェル・メイン・グレイブス
Lifeline: Music of the Underground Railroad (Live) 2019
music
Michelle Mayne-Graves(ミシェル・メイン=グレイヴス)、Lifeline Quartet(ライフライン・カルテット)|アメリカの南北戦争時代とそれ以前のスピリチュアル(霊歌)を収録したアルバム『LIFELINE - Music of the Underground Railroad』がアナログ盤で登場
アメリカの南北戦争時代とそれ以前のスピリチュアル(霊歌)を収録したアルバムです。霊歌はしばしば、黒人奴隷を北部の州やカナダへ密かに逃した「地下鉄道」の運動で使われたダブル・ミーニングを持つ“暗号の歌”となっており、地図、逃走方法やタイミングを知らせる秘密のメッセージが込められていました。ミシェルは霊歌を歌うだけでなく、退役軍人の歌のグループの指導や、ホームレスのサポートもしており、アルバムのオープニング曲での深くエモーショナルな歌声は、黒人奴隷解放の女性指導者であったハリエット・タブマンを称えるだけでなく、ミシェル自身の寛大な慈悲深い精神をよく表しています。「水の中を歩け(Wade In The Water)」は、夜中に逃げる奴隷の人々の匂いを犬がかぎ分けるのを防ぐように、河のどこを歩けばよいのかを指示した曲であり、「カナンの地(Canaan's Land)」は、カナダへのルートについて歌われています。信じられないほどの抑圧と苦しみの中で生きた人々が希望を託した力強い音楽は、今という時代に新たな力を持つに違いありません。
タワーレコードより
【収録曲】
SIDE A
1. If I Can Help Somebody
2. Steal Away To Jesus
3. Canaan's Land - Fare Ye Well Medley
4. Wade In The Water
5. Talk About A Child
6. Deep River
【SIDE B
1. Hold On To The Gospel Plow
2. Nobody Knows The Trouble I've Seen
3. Down By The Riverside
4. Motherless Child
5. Ain't Goin' - Joshua Fit De' Battle
6. Saints' Medley
図1-9
Gee's Bend Quilters,Boykin,Alabama:Sacread Spirituals of Gee'sbend
「ボイキン・アラバマ」ジーズ・ベンドの黒人霊歌
music
1 Soundcheck
2 Give Me My Flowers (While I Yet Live)
3 Swing Low, Sweet Chariot
4 Sit at Jesus' Feet
5 Remember
6 Amazing Grace
7 Said I Wouldn't Gonna Tell Nobody
8 Jesus Lifted Me
9 Steal Away
10 Satisfy with Jesus
11 Hallelujah
12 Shine on Me
13 This Little Light of Mine
14 I'll Go
15 Do Lord Remember Me
16 Last Miles
17 Moving By the Power
18 Sit Down Servant
19 Old Landmarks
20 Fix Me Jesus
このアルバムはすべて新しく録音されたもので、ジーズベンドのキルト職人であるメアリー・アン・ペトウェイ、チャイナ・ペトウェイ、ラリーヌ・ペトウェイ、ナンシー・ペトウェイの 4 人が歌う「スウィング・ロウ、スウィート・チャリオット」、「アメイジング・グレイス」、「スティール・アウェイ」など、南部の神聖な霊歌 20 曲を集めたものです。録音セッションは、2015 年 5 月から 2017 年 6 月までの 3 年間にわたり、ジーズベンド キルターズ コレクティブで行われました。これは、この 4 人のキルト職人にとってデビュー レコーディングであり、アラバマ川に 3 方を囲まれた孤立したアフリカ系アメリカ人のコミュニティで、何世紀にもわたってキルト職人が守り続けてきた、ユニークで感情豊かで美しい歌唱スタイルを聴くことができます。チャイナはこう言います。「キルトをしながら歌うのは、神が与えてくれた口笛の音だからです。キルトは、歌うのと同じように癒しになります。キルトと歌は、魂を癒すものだと思います。このレコードは、全世界で聞くべきです。なぜなら、誰かが光を見るからです。詩篇 100 篇 2 節には、私たちは喜びをもって主に仕え、歌いながら主の前に出なさいとあります。」 ジーズ ベンド キルトの伝統は 19 世紀にまで遡ります。このアフリカ系アメリカ人の芸術は、現在、米国で最も重要な黒人文化の 1 つです。「アラバマ州ボイキン - ジーズ ベンドの神聖な霊歌」は、何世代にもわたって受け継がれてきたこの偉大なアフリカ系アメリカ人の伝統のもう 1 つの側面です。
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キルトの暗号
市川紗椰が最近知ってびっくりした、「フリーダムキルトの秘密」はウソだった濃厚説
記事
『週刊プレイボーイ』で連載中の「ライクの森」。人気モデルの市川紗椰(さや)が、自身の特殊なマニアライフを綴るコラムだ。今回は、市川紗椰が最近知ってびっくりした、アメリカ人なら誰でも知っている「地下鉄道」の新事実について語る。
* * *
最近びっくり新事実に遭遇しました。アメリカ史の中でも最もよく知られたテーマのひとつ「underground railroad(地下鉄道)」についてです。このテーマは小学校でも時間を割いて習う上、数多くの映画や小説になっているので、アメリカで育ったなら知らない人がいないくらいメジャーなものです。
背景は南北戦争前。この頃、アメリカの北部は奴隷制度を廃止していた一方、南部は黒人奴隷の労働力に頼っていました。地下鉄道とは、この南部の奴隷たちを北部やカナダに脱出させる手助けをした組織、または逃亡路そのものを指します。
実際は鉄道ではなく、逃亡者=乗客、隠れ家=停車駅、案内人=車掌と、当時最先端だった鉄道用語を隠語として使っていました。
案内人がいない場合も多く、逃亡者は北極星や、木にコケが生えている方角などを頼りに北を目指しました。隠れ家は、暗号入りのキルト毛布で行き方や立ち寄っていいかどうかを伝えたといわれています。柄によって、「左方向」「警察がウロウロしているから気をつけろ」「食料あります」など異なる意味があり、逃亡者は干してある毛布を見て進んだそうです。
「フリーダムキルト」と呼ばれるこの毛布を、小3の頃に授業で作ったのをよく覚えてます。私だったら協力する勇気を持てたのか?と思いながら。
この地下鉄道の力を借りて、3万~10万人が解放されたといわれています。南部では奴隷を手助けしたのがバレたら家族ごと逮捕されかねない時代。逃亡者本人は殺されたり、農場に残った家族や友人も拷問されたりしました。命を張って救出した人々と、人権を求めた奴隷たちの勇気は計り知れません。
勇敢な脱出の物語の数々を語りたいところですが、ここからが本題。暗号入りのフリーダムキルトの話は、「おそらくウソだ」という説が濃厚になったそうです。
元は、キルトフェスティバルなどでマニアたちの間から生まれた毛布神話で、それが広まったものの、最新の研究では地下鉄道の学者やキルト専門家が、どっちも否定しているそうです。当時のものが残ってないどころか、文献の記述も神話が広まってからしかないようで......。
思いをはせながらチクチク毛布を縫った少女市川の時間はなんだったのか。ロマンがあるわかりやすくていい話だったのに......。
でも、このわかりやすさが危ういんだな、と思います。「いい話」は信じたい、しかも「ぽい」話だから疑わない。根拠がなくてもこんなにもひとり歩きする。教科書に載るほど。キルトに暗号がなかったとしても、北部に脱出した人々の勇敢さは何も変わらないし、地下鉄道の事実はもちろん揺るがないけど、不思議な気持ちです。
西郷さんの眉毛は本当は太くなかったことを知ってからも、鹿児島に行くと西郷どんみたいな方を探したことを思い出します。
ちなみに、地下鉄道の象徴的な人物、ハリエット・タブマン(自分の脱出後、13回も南部に戻って仲間の解放を成功させた)は、黒人女性として初めてアメリカの紙幣になります。以前から決まってましたが、トランプ氏に棚上げにされ、バイデン氏が計画の再開を発表しました。わーい。
●市川紗椰(いちかわ・さや)
1987年2月14日生まれ。愛知県名古屋市出身、米デトロイト育ち。父はアメリカ人、母は日本人。モデルとして活動するほか、テレビやラジオにも出演。著書『鉄道について話した。』が好評発売中。恐竜が実はモフモフしてたという研究を、いまだに信じてない。公式Instagram【@sayaichikawa.official】
図1-11
Peter Maag Conducting The Orchestra Of The Vienna Volksoper ,Mozart:Complete Masonic Music
ペーター指揮の「モーツアルト:フリーメーソンのための音楽全集」
music
アレサ・フランクリン アメイジング・グレイス
music
図1-12
フォルメンを描く
フォルメン線描とは何ですか? サイト
「フォルメン線描はシュタイナー教育の一環としてドイツのルドルフ・シュタイナーにより編み出された。 シュタイナーは「1年生の最初の授業に、直線と曲線の勉強をするように助言している」その主な意味づけは、「子どもたちが、それぞれのフォルムを心の中で感じ、体験し、目で見て、自分のからだを動かし、実際に描いていく。
また色とりどりの光輝くフォルメンを、エポックノートや紙の上に描くことによって内面的な体験をも得ることができる。こうしてジグザグや緩やかな曲線の印象を感じることによって、こどもの感情が動き、意思や感情、思考力が営まれ、自分の心がフォルメン線描と一つになること」そこには「内的な器官感情がなんらかのかたちで表現されると思うのです(1920年の講演より)」と述べているところにシュタイナーの理念がみられる。
図1-13
十字架迷宮 画像なし
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第2章 「鳥獣戯画」ブルース
ブルーグラス(Bluegrass music)は、アコースティック音楽のジャンル。アメリカのアパラチア南部に入植したスコッチ・アイリッシュの伝承音楽をベースにして1945年ごろ、ビル・モンロー[1]のブルー・グラス・ボーイズにアール・スクラッグスが加わってから後に発展した。名称はこの地域に植生する牧草「Bluegrass」から来ている。
ロバート・パーマー 「ディープ・ブルース」
服部良一
服部 良一(はっとり りょういち、1907年(明治40年)10月1日 - 1993年(平成5年)1月30日)は、日本の作曲家、編曲家。位階は従四位。
作詞家として村雨 まさを(むらさめ まさお)の名がある。なお、同姓の服部正や服部逸郎との血縁関係はない[注 1]。
大阪府大阪市中央区出身。東成区出生。
ジャズで音楽感性を磨いた和製ポップス史における重要な音楽家の一人である。
代表作に『別れのブルース』『東京ブギウギ』『青い山脈』『銀座カンカン娘』などがあり、いずれも時代を象徴する国民的ヒット曲として知られる。
・カントリー・ブルース
ウィキペディアより
カントリー・ブルース (country blues) は、アメリカ合衆国の田舎で演奏された、主にギターを中心としたブルースの形態の内、アコースティック・ギターを用いるものの総称である。他にフォーク・ブルース (folk blues)、ルーラル・ブルース (rural blues)、ダウンホーム・ブルース (downhome blues) などの呼び方もある。
歴史
戦前、アフロアメリカンの間で人気があったブルース・シンガーとしては、チャーリー・パットン[1][2]、ブラインド・レモン・ジェファーソンらがいた。1960年代に有名になったロバート・ジョンソンは、当時は無名の存在だったという[注 1]。カントリー・ブルースは、田舎のゴスペルや、ラグタイムの要素を取り込み、ときにはヒルビリー(英語版)、ディキシーランド・ジャズなどの要素まで見られる場合もある。アメリカ合衆国南部でブルースが生まれた後、ブルースはカントリー/田舎にも、その他の場所にも広がって行き、各地に独自のスタイルが誕生した。
メンフィス・ブルース(英語版)、
デトロイト・ブルース(英語版)、
シカゴ・ブルース、
テキサス・ブルース(英語版)、
ピードモント・ブルース(英語版)、
ルイジアナ・ブルース(英語版)、
ウェスト・コースト・ブルース(英語版)、
アトランタ・ブルース(英語版)、
セントルイス・ブルース(英語版)、
イースト・コースト・ブルース(英語版)、
スワンプ・ブルース(英語版)、
ニューオリンズ・ブルース(英語版)、
デルタ・ブルース、
ヒル・カントリー・ブルース(英語版)、
カンザスシティ・ブルース(英語版)
などがその例である。
1960年代はじめに、アフリカ系アメリカ人の音楽の嗜好が変化し始め、ソウルミュージックやリズム・アンド・ブルースへと傾斜すると、カントリー・ブルースは、「フォーク・ブルース」として新たな人気を呼ぶようになり、おもに白人の、大学生くらいの年代の聴衆に受け入れられるようになった。ビッグ・ビル・ブルーンジーやサニー・ボーイ・ウィリアムソンIIのような伝統的なアーティストたちが、フォーク・ブルースのアーティストとして装いを新たに再登場し、ソニー・テリー(英語版)やブラウニー・マッギー(英語版)のようなピードモント・ブルースのミュージシャンたちが、アメリカ合衆国のフォーク音楽リバイバル運動(英語版)の中で活躍するようになった[4]。
記事 戦前ブルースマン、カントリーブルースギタリスト、おすすめと名盤
1.悪魔と契約した伝説のブルースマン ロバート・ジョン
2.ヘヴィメタルブルース サン・ハウス
「Best of Son House」
music
ロバート・ジョンソンの師とも言われるミシシッピ・デルタのブルースマン、サン・ハウス。デビュー作となった1930年録音はブルースの絶対的なマスターピースとして語り継がれる。それから30年以上後に吹き込まれた本作は、老ブルースマンの底力が発揮されたブルース名盤となった。スティール・ボディのリゾネイター・ギターをパーカッシヴに打ち鳴らし、乾いたスライド・ギターの音色を響かせる。年輪を重ねた歌声は深い。
3.ブルースはダンスミュージックだぜ ブッカ・ホワイト
パーチマン・ファーム Parchman Farm
music 1970
デルタブルースの真髄とも言える曲を聴かせてくれるのがブッカ・ホワイト。
疾走感のあるビートがブルースはダンスミュージックだと再認識させてくれます。
歌声もワイルドでありながら繊細、ナショナルギターのデカイ音量に負けない声量は圧巻です。
ブッカホワイトの映像も残っていますが、Aberdeen Mississippi Blues(
YouTube)の演奏ではギターのボディをバチバチぶっ叩き、リズムを刻む姿が格好良くて真似したいけどできません。
ギターを寝かせて弾くPoor Boy Long Way From Home(
YouTube)も疾走感とキャッチーなメロディで素晴らしいです。
4.デルタブルースの創始者 チャーリー・パットン
The Best Of Charlie Patton
music
数多くのブルースマンに影響を及ぼし、戦前のスター的存在のチャーリーパットン。
ゴリゴリのデルタブルース満載かと思って聴くとそうでもない。
ブギな曲があるしバラッドもある。もちろんデルタ系の曲もあり、幅が広いんですね。
サンハウスやロバートジョンソンから聴いても、いまいちピンと来なかった人でも比較的に聴きやすいかもしれません。
5.宇宙に旅立った男 ブラインド・ウィリー・ジョンソン
The Complete Blind Willie Johnson 1993
彼が歌うのは全て宗教歌なのだ。
7歳で失明した彼は、ギターの弾き語りで神の教えを説く伝道師になった。
彼の人生そのものがブルースであり、ブルースはただの音楽ジャンルではないことが良く分かる。
1977年、NASAは無人宇宙探査機ボイジャーを打ち上げた。
もしも、地球外生命体と遭遇したときの為にゴールドデンレコードを搭載。
この中には、モーツァルト、バッハ、ベートーベン、ルイ・アームストロング、チャック・ベリー、自然の音、動物の鳴き声等が収録されているが、
ブラインド・ウィリー・ジョンソンのDark Was Night Cold Was The Ground 」も収録されている。
参考
・ヴォードヴィル・ブルース
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図2-1 P61
Harry Smith (ed),Anthology of American Folk Music 1952
アンソロジー・オヴ・アメリカン・フォーク・ミュージック(6CD)
参考
Anthology of American Folk Songs 1966
・・・
本「迷宮としての世界―マニエリスム美術」 G・R・ホッケ 岩波文庫
amazon
・・・
P63
図2-2
John Fahey(ed),American Primitive Vol.Ⅱ:Pre-war Revenats 1897-1939
American Primitive 2
偉大なギタリスト、ジョン・フェイヒーが亡くなる直前に編纂。
ジョン・アロイシャス・フェイヒー(1939年2月28日 - 2001年2月22日)は、アメリカのフィンガースタイル・ギタリスト、作曲家であり、スチール弦のアコースティック・ギターをソロ楽器として演奏した。彼のスタイルは多大な影響力を持ち、アメリカン・プリミティブ・ギターというジャンルの創始者とも言われている。この用語は絵画から借用したもので、主に音楽の独学的な性質とミニマリスト・スタイルを指す。フェイヒーはアメリカのルーツ・ミュージックのフォークとブルースの伝統を借用し、これらのジャンルの忘れられた初期の録音を数多くまとめた。彼は後に、 20世紀のクラシック、ポルトガル、ブラジル、インドの影響を作品に取り入れるようになった。
フェイヒーは晩年の多くを貧困と不健康の中で過ごしたが、1990年代後半に前衛的な方向に転向し、キャリアをわずかに復活させた。また晩年には抽象画のシリーズも制作した。フェイヒーは2001年に心臓手術の合併症で亡くなった。2003年、彼はローリングストーン誌の「史上最も偉大なギタリスト100人」リストで35位にランクされた。2023年、ローリングストーン誌はフェイヒーを史上40番目に偉大なギタリストにランク付けした。
図2-3
Good for What Ails you:Music of the Medicine Shows 1926-1937
曲目はamazonに掲載。音はmusic、YouTubeともに不明。
参考 本
黒い蛇はどこへ 名曲の歌詞から入るブルースの世界 中河伸俊
amazon

目次
はじめに
Part I うちの台所へお入り
第一章〈うちの台所へお入り〉ロバート・ジョンスン
第二章〈ちょっといっしょに散歩しよう〉ロバート・ロックウッド・ジュニア
第三章〈おれのあの娘〉リトル・ウォルター
第四章〈チキン・ヘッズ〉ボビー・ラッシュ
第五章〈小さな青い鳥〉ジョニー・テイラー
Part II おれは大都会のプレイボーイ
第六章〈あの黒い蛇がうめいてる〉ブラインド・レモン・ジェファースン
第七章〈チャボの雄鶏ブルース〉チャーリー・パットン
第八章〈大都会のプレイボーイ〉エディ・テイラー
第九章〈トランプ(放浪者)〉ローウェル・フルスン
第一〇章〈ハウンド・ドッグ(猟犬)〉ビッグ・ママ・ソーントン/エルヴィス・プレスリー
第一一章〈駆動輪のブルース〉ルーズヴェルト・サイクス
Part III 落ち目になったらだれも
第一二章〈落ち目になったらだれも見向きもしない〉ベッシー・スミス
第一三章〈つらい浮き世〉Tボーン・ウォーカー
第一四章〈トラブルのブルース〉チャールズ・ブラウン
第一五章〈悪い運のブルース〉マジック・サム
第一六章〈振り返ってみたら〉オーティス・ラッシュ
Part IV ケイティ・メイのような女
第一七章〈ひとりぼっちの家〉ライトニン・ホプキンズ
第一八章〈おれも苦しいよ〉エルモア・ジェイムズ
第一九章〈フードゥー使いのブルース〉ジュニア・ウェルズ
第二〇章〈おれはあんたの魔法医師〉マディ・ウォーターズ
第二一章〈かわいい一六歳〉B・B・キング
第二二章〈どうかわたしに愛する人をください〉 パーシー・メイフィールド
Part V 土曜の夜と日曜の朝と
第二三章〈マ・レイニーのブラック・ボトム〉マ・レイニー
第二四章〈ブギしなよ、みんな〉ジョン・リー・フッカー
第二五章〈なんてこん畜生だ〉ダーティー・レッド
第二六章〈カルドニア〉ルイ・ジョーダン
第二七章〈パパが最新のスタイルで踊ってる〉ジェイムズ・ブラウン
第二八章〈荒れもようの月曜〉ボビー・ブランド
第二九章〈尊き主よ、わたしの手をとって〉トーマス・A・ドーシー
Part VI そのうちクーンが月に
第三〇章〈初めてブルースに会ったとき〉バディ・ガイ
第三一章〈灯りまぶしい大都会〉ジミー・リード
第三二章〈キャディラックの組立ライン〉アルバート・キング
第三三章〈デコレーション・デイ〉サニー・ボーイ・ウィリアムスンII
第三四章〈おはよう、ちっちゃなスクールガール〉サニー・ボーイ・ウィリアムスンI
第三五章 〈月のクロ助〉ハウリン・ウルフ
あとがき
[付録]黒人英語とライム [Appendix: Black English and Rhyming]
[付録2]掲載曲収録CDガイド
ブルース研究者の中河伸俊を検索して発見。
ブルースの歌詞における動物のモチーフに着目していくことは邪道どころか王道なのかもしれない。
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鯰ブルース
図2-4
◎Simon kinny Lewis , Catfish Self Release 2017
・オーストラリアのブルースシンガー、ギタリスト、サイモン・キニー・ルイスの公式
サイト
図2-5
Catfish Keith, Catfish Blues 1985
キャットフィッシュ・キース(1962年2月9日生まれ)は、アメリカのアコースティック・ブルース・シンガーソングライター、ギタリストである。リゾネーター・ギターの演奏者として最もよく知られている。2001年の『A Fist Full of Riffs』を含む数枚のソロ・アルバムをリリースしている。
ガーディアン紙は彼を「ブルースの新境地を拓く」ソロアーティストと評した。 [ 2 ]ブルース・ミュージック・アワードの「ベスト・アコースティック・ブルース・アルバム」に2度ノミネートされ、インディーズ・ラジオ・チャートで1位を獲得したヒットアルバムを10枚持っている。
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フォークロアと鯰
図2-6
大鯰を懲らしめる民衆を描いた鯰絵
害虫ブルース
図2-7
Boll Weevil Here,Boll Weeevil Everywhere Vol.16 1934-1940
「ボル ウィービル」は伝統的なブルースの曲で、「Boweavil」や「Boll Weevil Blues」など、似たようなタイトルでも知られています。1920年代から 1940 年代にかけて、ブルース ミュージシャンによってボル ウィービルに関する多くの曲が録音されました。しかし、1934 年に民俗学者アラン ロマックスが録音したレッドベリーの演奏によって、この曲は有名になりました。1961 年にブルック ベントンがアレンジした曲はポップ ヒットとなり、ビルボードホット 100で 2 位に達しました。ファッツ ドミノの「Bo Weevil」は別の曲です。
Leadbelly
レッドベリー(英語: Leadbelly または Lead Belly、本名:ハディ・ウィリアム・レッドベター 英語: Huddie William Ledbetter, 1888年1月23日 - 1949年12月6日)は、アメリカ合衆国のフォークとブルース[1] のミュージシャンである。
澄んだ力強い歌声、12弦ギターの技巧、そして彼の導入した豊富なフォークソングのスタンダードの曲集で知られる。
彼はほとんどの場合は12弦ギターを演奏したが、ピアノ、マンドリン、ハーモニカ、ヴァイオリン、コンサーティーナ、そしてアコーディオンも演奏することができた。録音の一部では、フォークバラッド「ジョン・ハーディ」の彼のバージョンの曲などで、ギターの代わりにアコーディオンを弾いた。他のレコーディングでは、ただ手を叩き足を踏みならして歌ったりもした。
レッドベリーの音楽で歌われる内容は、ゴスペルや、女性、酒、そして差別を歌ったブルースと、カウボーイ、刑務所、仕事、船乗り、牛追い、そして踊りを歌ったフォークソングなど、幅広い題材をカバーした。彼はまた、フランクリン・ルーズベルト大統領、アドルフ・ヒトラー、スコッツボロ・ボーイズ、億万長者のハワード・ヒューズなど、当時の時の人に関する曲も書いた。
レッドベリーは、その喧嘩を好む性格によってしばしば問題を引き起こしていた。1918年1月、彼の親戚であるウィル・スタフォードを喧嘩の末に殺害した後、2回目の刑務所での服役を受けた。彼はテキサス州シュガーランドで投獄され、楽曲「
Midnight Special」の原案を練った。彼の釈放を懇願するために書いた曲が、パット・モリス・ネフ州知事の好みに合ったため、35年の刑罰から2年で釈放されたと言われている。レッドベリーは彼の強い宗教的な価値観をアピールする事でネフ知事を揺るがせた。刑務所内でのよい振る舞い[注 4] と組み合わせて釈放された。
・メキシコワタノミゾウムシ ゾウムシ(weevil)
boll weevil とは
1 《昆虫》メキシコワタノミゾウムシ(◇綿の実を食害する)
2 ((米俗))南部の民主党員の保守派
ブラックスパイダーマン
参考
・マディ・ウォーターズ ミーン・レッド・スパイダー music あり
Mean Red Spider Muddy Waters
図2-8
本 From Trickster to Badman: The Black Folk Hero in Slavery and Freedom
John W. Roberts
図2-9
本 the trickster comes west
ババカ・ムバイエ
Catfishは自由、Boll Weevileは忍耐、Black Spiderは淫欲が象徴とされていた。
レヴィ・ストロースのトーテム理論によれば、取り扱われる動物は食用に適しているからではなく、思考するのに適しているから。
ロイ・ウイリアムス:
牛は思考に適している以上に、感性に訴えかけ想像力を掻き立てる。
ブルースがドアのところに立っている
図2-10
Jimmy Reed , I'm jimmy Reed 1958
(Jimmy Reed, 1925年9月6日 - 1976年8月29日)は、アメリカ合衆国のブルース・シンガー。本名はマティス・ジェイムズ・リード。南部出身らしい力の抜けた緩いサウンドが特徴的だが、R&B、ポップ色を織り込み、1950年代から1960年代にかけてヴィージェイ・レコードより数多くのヒットを生み出した。また、ハーモニカホルダーを使用し、1stポジションによる高音部のブロウベンドを駆使した特徴的なハーモニカ演奏は、個性的なものとしてよく知られている。
その影響はブルースの枠にとどまることなく、ローリング・ストーンズ、エルヴィス・プレスリーなどのロック・アーティストなどにも広がっている。代表曲は、「Ain't That Lovin' You Baby」、「Honest I Do」、「Bright Lights, Big City」など。
図2-11
Hoqlin'Wolf , Howlin'Wolf Chess 1962
ハウリン・ウルフ
(Howlin' Wolf、1910年6月10日 - 1976年1月10日)は、アメリカ合衆国ミシシッピ州ウェストポイント生まれの黒人ブルース歌手。本名はチェスター・アーサー・バーネット(Chester Arthur Burnett)。芸名が物語るように、強烈なダミ声で鮮烈な印象を残した。没後の1991年、ロックの殿堂の「アーリー・インフルエンス」部門入りを果たした[2]。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第31位[3]。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第54位。「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第46位。
ハウリン・ウルフは1960年代以降、英米のロッカーたちに大きな影響を与えており、これまで多くのミュージシャンにより、ウルフの曲(またはウィリー・ディクスン作曲の曲)がカバーされてきた。ロンドンでレコーディングされた『ザ・ロンドン・ハウリン・ウルフ・セッションズ』には、多数のイギリス人ロック・ミュージシャンが参加。エリック・クラプトン、ローリング・ストーンズのビル・ワイマンとチャーリー・ワッツ、ローリング・ストーンズのサポート・メンバーだったイアン・スチュアートを中心に、一部の曲には元プラスティック・オノ・バンドのクラウス・フォアマンや元ビートルズのリンゴ・スターが参加し、更にスティーヴ・ウィンウッドもオーバー・ダビングで参加した。
また、レッド・ツェッペリンの「レモン・ソング」は、ウルフの「キリング・フロア」がオリジナルであり、後にウルフの名前も共作者としてクレジットに追加された。 デビュー・アルバム収録の「ハウ・メニー・モア・タイムズ」の歌詞の一部がウルフの「ハウ・メニー・モア・イヤーズ」からの引用とされている。
俳句ブルース―小宇宙から大宇宙へ
山崎まさよし ミシシッピーへ行く~ブルースの伝説を訪ねて NHK
YouTube
・マーシー・ディー ピアノ・ブルース
Mercy Dee Walton One Room Country Shack 1952
テキサス・ジャンプ系の歌手/ピアノ奏者/作詞・作曲家で、1915年8月3日(諸説あり)にテキサス州ウェイコで生まれ、1962年12月2日にカリフォルニア州ストックトンで脳溢血のため去しました。本名はマーシー・ディ・ウォルトン( Mercy Dee Walton )です。1938年にカリフォルニアに移り、故郷のバレルハウス仕込みのピアノとヴォーカルでサンフランシスコ郊外のブラック・コミュニティで人気を博しました。1949年にフレスノの小レーベルであるスパイア・レコードへ「Lonesome Cabin Blues」を初吹き込みしました。1952年にスペシャルティへ吹き込んだ「One Room Country Shack」が全米で大ヒットし古典曲となりました。1949年から1955年にかけてインペリアル、コロニー、スペシャルティほかに15枚のシングルを録音しました。アルバムはスペシャルティから1952年の「One Room Country Shack」、アーフリーから1961年の「Mercy Dee Walton & His Piano」、キャピトルから「The Complete Imperial Recordings」などがあります。ドラマーのカーリー・ハムナーの1959年録音でヴォーカルをとり、シドニー・メイデンの1961年の録音で伴奏しました。
p88
One Room Country Shack
毎晩真夜中に目を覚ます
ああ、もう眠れやしない
コオロギと蛙だけが仲間さ
風は家の中の入り口でうなり立つ
「HAIKU(俳句) この別世界」 ライト
A lone crikert's dry ただ一匹のコオロギの鳴き声は
Slick a silver of moon 一片の月を薄く切り
And scatters stars. 星をまき散らす
注釈
「孤独なコオロギの鳴き声と、月と星の静寂との対比が、視覚と聴覚との間の転移と同様に、無限の空間と静けさの感覚を作り出す」
図2-14
ブラインド・レモン・ジェファーソン
music 3曲目にMatch Box Bluesがある。
「マッチ箱のブルース」
Match Box Blues
How far to the river, mama, walk down by the sea
How far to the river, walk down by the sea
I got those tadpoles and minnows all in over me
Standing here wonderin′ will a matchbox hold my clothes
I'se sittin here wonderin′ will a matchbox hold my clothes
I ain't got so many matches but I got so far to go
Lord, Lord, who may your manager be?
Hey, mama, who may your manager be?
Reason I ask so many questions, can't you make arrangements for me?
I got a girl cross town she crochet all the time
I got a girl cross town crochet all the time
Mama if you don′t quit crochet-in you gunna lose your mind.
I wouldn′y mind marryin', but I can′t stand settlin' down
I don′t mind marryin', but Lord, settlin′ down
I'm gonna act like a preacher so I can ride from town to town
Well, I'm leavin′ town, but that won′t make me stay
I leavin' town, cryin′ won't make me stay
Baby, the more you cry, the farther you drive me away
川までどれくらいかかるの、ママ、海沿いを歩いて
川までどれくらいかかるの、海沿いを歩いて
オタマジャクシや小魚が私の上に群がってる
マッチ箱に服が入るかなと思ってここに立ってる
マッチ箱に服が入るかなと思ってここに座ってる
マッチはそんなにたくさんないけど、まだ先が長い
神様、神様、あなたのマネージャーは誰なの?
ねえママ、あなたのマネージャーは誰なの?
私がこんなに質問するから、手配してくれないの?
町の向こうにいつもかぎ針編みをしている女の子がいる
町の向こうにいつもかぎ針編みをしている女の子がいる
ママ、かぎ針編みをやめないと気が狂っちゃうよ。
結婚するのは構わないけど、落ち着くのは耐えられない
結婚するのは構わないけど、落ち着くのは嫌だ
町から町へと馬で渡れるように、牧師のように振舞うつもりだ
そうだ、町を出るけど、それで留まるわけにはいかない
町を出て、泣いても留まるわけにはいかない
ベイビー、君が泣けば泣くほど、僕は遠ざかってしまう
・・・
模倣(ミメーシス)
図2-16
Harmonica Bluese
1 FREEMAN STOWERS,Railroad Blues (1929)
2 STATE STREET BOYS,Crazy About You (1935)
3 CARVER BOYS,Wang Wang Harmonica Blues (1929)
4 LEE BROWN,My Driving Wheel (1939)
5 ASHLEY & FOSTER,Bay Rum Blues (1933)
6 ROBERT HILL,I'm Going To Write And Tell Mother (1936)
7 CHUCK DARLING,Blowin' The Blues (1930)
8 CHUCK DARLING,Harmonica Rag (1930)
9 JAYBIRD COLEMAN,Man Trouble Blues (1930)
10 JAZZ GILLUM,I Want You By My Side (1936)
11 ALFRED LEWIS,Friday Moan Blues (1930)
12 CHICKEN WILSON & SKEETER HINTON,House Snake Blues (1928)
13 BOBBY LEECAN & ROBERT COOKSEY,Need More Blues (1926)
14 DE FORD BAILEY,Davidson County Blues (1928)
存在の大いなる連鎖
本 存在の大いなる連鎖
アーサー・O・ラヴジョイ 著
内藤健二 訳
無意識が織りなす観念の歴史 記念碑的著作、待望の文庫化!
西洋人が無意識裡に抱き続けてきた「存在の大いなる連鎖」という観念。その痕跡をあらゆる学問分野に探り「観念史」研究を確立した名著。 【解説: 高山宏 】
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第3章 ジャズとアウトサイダー―アルバート・アイラ―の霊性
ひき裂かれ、色あせた、希薄な個人主義を、神秘主義的なアウトサイダーが、治癒し、統合し、抱擁する。失われた表彰、イメージ、アイデンティティが、さまよう分裂体を経て、うあがて恍惚的な調和、瞑想に誘われる。
宇野邦一 「風のアポカリプス」
(軍隊の)同じバンドの仲間はその頃の私の演奏を聴いて、「常軌を逸している。奴に話しかけるな。近寄ってはいけない。」と言ってました。
アルバート・アイラー
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目次
第3章 ジャズとアウトサイダー―アルバート・アイラ―の霊性
・ニューオリンズ・ジャズ
・スウィングからビバップへ
・モード・ジャズ
・フリー・ジャズ
・アウトサイダーとスピリチュアル
・繋がりがすべて
・スピリチュアルなジャズとは
・チャイルド・アート
・泥んこ遊びとしてのジャズ
・素朴の大砲
・コ(ズ)ミック・ジャズ
・エクスタシーとしてのジャズ
・愚者が聖者になる「さかさまの世界」
・パンク・ジャズの始祖
・≪ゴーイン・ホーム≫と『オズの魔法使い』
・偽民謡
・神秘の虹
・蒐集と暗号
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―ジャズ史概略
フリー・ジャズの天才アルパート・アイラーを主人公として論じたいと思う。
・ニューオリンズ・ジャズ―ジャズ史概略①
1718年 フランス人のラ・ヌーヴェル・オルレアンによってニュー・オリンズが建設される
1763年 パリ条約によってスペインに支配権が移る
1791年 ハイチ革命 黒人指揮官トゥサン・ルベルチュール(黒いジャコバン、黒いナポレオン)
1800年 再びフランスの統治に入る
1803年 ハイチ革命を恐れてニュー・オリンズを含むルイジアナ一帯をアメリカに安値で売る
・ラグタイム 初期のニュー・オリンズジャズ
・ブラス・バンドのマーチ → ジャズ発祥
ルイ・アームストロングが生まれた
ルイ・アームストロング(英語: Louis Armstrong、1901年8月4日 - 1971年7月6日)は、アメリカ合衆国のトランペット奏者・作曲家・歌手。愛称はサッチマ (英語: Satchmo)[2]、ポップス (英語: Pops)、ディッパー・マウス (英語: Dipper Mouth)。口が大きいのでSatchel Mouth(小型カバン口つまり大口)略してSatchmo(サッチマ)[2][3]と呼ばれた。
アームストロングは明朗な性格と高い音楽的技術をあわせ持つカリスマ的かつ独創的な演奏者であり、洗練されていない地方的なダンスミュージックをポピュラーな音楽形態であるジャズへ発展させた。トランペット奏者、歌手としても有名。ジャズ界でも稀であるほどの天才トランペット奏者と言われ、ウィントン・マルサリスは「色々なトランペット奏者の良い所を盗もうとしたけど、アームストロングだけは盗めなかった。とにかく凄すぎるからさ」と賞賛[11]。歌の方でもスキャットという手法を広めたことで知られ、「サンセット・カフェ」で出会ったキャブ・キャロウェイにスキャットを教えた。マイルス・デイヴィスは「アームストロングは喋りまでジャズになっている」と語っている。
ルイ・アームストロングと彼のホット・ファイブ(Louis Armstrong and His Hot Five)による「ウェスト・エンド・ブルース」(1928年6月28日録音)について、当時、ボルチモアの女郎屋で下働きをしていた少女ビリー・ホリデイは、「この歌声は、私にとって実に多くの意味を持つ歌に聞こえた。ある時は私をさめざめと泣かせたし、ある時はこの上なく幸福な気分にさせた」と述べている[13]。
・・キッス・オブ・ファイア
・・バラ色の人生 1950年代
・・この素晴らしき世界 1967
・・ハロー・ドーリー! 1964
・・愛はすべてを越えて 1969
・・
・スウィングからビバップへ―ジャズ史概略②
スィング・ジャズ
・ベニー・グッドマン
・フレッチャー・ヘンダーソン
映画 スィングガールズ
1929 大恐慌
ニュー・オリンズ・ジャズ:ローカルな民族音楽
↓
スウィング・ジャズ :全国規模の大衆音楽
↓
バップ 少数精鋭の芸術音楽
チャーリー・パーカー、マイルス・デイヴィス、セロニアス・モンク
ミンストレル的な道化師の役割を担わされていた先達の黒人のエンターテイナーに対する反発からバップが生まれたのだろう。
ミンストレル・ショー(英: minstrel show)とは、顔を黒く塗った(ブラックフェイス)白人(特に南北戦争後には黒人)によって演じられた、踊りや音楽、寸劇などを交えた、アメリカ合衆国のエンターテインメントのこと。ミンストレルとは、原義では中世ヨーロッパの宮廷にいた吟遊詩人や宮廷道化師たちを指すが、アメリカではミンストレル・ショーに出演する芸人たちのことをミンストレルと呼んだ。
人種差別の産物
ミンストレル・ショーは、そのステレオタイプ的でしばしば見くびったやり方で黒人を風刺した。ミンストレル・ショーは1830年代に簡単な幕間の茶番劇 (Entr'acte) として始まり、次の10年には完全な形を成した。19世紀の終わりまでには人気に陰りが出て、ヴォードヴィル・ショーに取って替わられた。職業的なエンターテインメントとしては1910年頃まで生き残り、アマチュアのものとしては地方の高校や仲間内や劇場などで1950年代まで存続した。
独立以来、アメリカでは黒人やインディアンをはじめとする有色人種に対する人種差別が合法なものとされていたが、人種差別との長い戦いの末に1964年に公民権法が施行され、有色人種が法的にも社会的にも人種差別に勝利し、政治的な影響を持つようになった結果、ミンストレルは人種差別を助長するものとして大衆性を失った。
劇構成
典型的なミンストレル・ショーは以下の3つの劇構成で成り立っている。最初に、一座は舞台上で踊り、気の利いた冗談を言い合って、歌を歌った。二番目には駄洒落だらけの街頭演説コメディ(Stump Speech, 後のスタンダップ・コメディの先駆となる)を含むさまざまなエンターテインメントが行われ、そして最後には、音楽付きのどたばたした農園の寸劇(スラップスティック)、または人気のある演劇のパロディで締められた。ミンストレルの歌と寸劇には、いくつかのストックキャラクターが登場した。最もポピュラーなのは、奴隷役と、色男役のダンディ(dandy)であった。
これらはさらにサブキャラクターに分類された。例えばそれは母ちゃん役のマミー(mammy)で、彼女の対になるキャラクターには黒人の老人(old darky)、挑発的なムラート娘(mulatto wench)、あるいは黒人兵士などがいた。ミンストレル(ショーの出演者)たちは、彼らの歌と踊りは黒人のそれに由来していると主張したが、黒人からの影響の程度については議論の余地がある。ジュビリー(jubilee)と呼ばれた霊歌は、1870年代にはレパートリーとして加わり、ミンストレル・ショーで使われたまぎれもない最初の黒人音楽となった。
ミンストレル・ショーは、明白なアメリカ演劇の形式の最初のものである。1830年代と1840年代には、それはアメリカの音楽産業の出現の核であり、数十年の間、白人の黒人に対する見方を提供した。一方では、それは人種差別の側面を強く持ち、また他方では、初めて黒人の民俗文化の側面をはっきりと自覚させたのである。
・モード・ジャズ―ジャズ史概略③
モード・ジャズの傑作
1959 マイルス・デイヴィス 「カインド・オブ・ブルー」
西洋的なコード進行に制限されていたバップが、モード(音階、旋法)を中心とすることでその重力から逃れることが可能となった。
大和田
「通常、モードとはイオニアン、ドリアン、フリジアン、リディアンなどと呼ばれるスケールのことを指す。そしてモードを中心にフレーズを組み立てるということは、そのスケール特有のイメージや雰囲気を楽曲に導入することにほかならない。」
ペンタトニック(五音)・スケールがブルースを連想させる音階であるように、スパニッシュ・スケールはフラメンコを連想させ、琉球音階は沖縄音楽を連想させる。
五音?? ちょうど今日映画「未知との遭遇」を見た。
・フリー・ジャズ―ジャズ史概略④
本 「芸術の中の霊性―1890年から1985年までの抽象絵画」
The Spiritual in Art: Abstract Painting, 1890-1985
モーリス・タックマン Maurice Tuchman
本3-2
「パラレル・ヴィジョン: 20世紀美術とアウトサイダー・アート」
モーリス・タックマン
アイラー音楽の、アウトサイダー性とスピリチュアル性。
アウトサイダーとスピリチュアルは並行的(パラレル)である。
アイラー的霊性
スピリチュアル・ジャズとは p114
①ジョン・コルトレー・スタイルの管楽器
②マッコイ・タイナー系のモーダルなピアノ
③エルヴィン・ジョーンズ的なアメリカっぽいリズム/ポリリズム
④ジョン・コルトレーンやファラオ・サンダースの曲に象徴される印象的に繰り返されるベースのリフ
⑤ジョン・コルトレーン経由ファラオ・サンダース
or
アリス・コルトレーン的な原初的なアフリカの情景を想起させる壮大的な曲想やプリミティブなサウンド=アフロセントリックさ
アイラー自ら「父はコルトレーン、子がファラオ、精霊がわたし」と語った。
スピリチュアルジャズの「ジャンル」なるものは、あくまで聞いていて宇宙的情緒に浸れるかどうかという雰囲気の問題であろう。
目を向けるべきは、音楽のジャンル論ではなく、幻視者アイラーの霊性(スピリチュアル)そのものである。
チャイルド・アート
アウトサイダーアートには、チャイルド・アートも含まれる。
統合失調者と、文明に染まる前の子供の描いた絵が、ともに「野生」に触れているからだ。
子供―アリストテレスいわく「火」そのもの―は大人ンお人間社会のコードから見れば、すべからく統合失調状態である。
デヴィッド・キーナンが1960年代半ば以降のフリー・ジャズを「原初の官能的解放状態へと踏み込み、知性が介入しない、素のままの音楽」と形容し、「ファイアー・ミュージック」と名付けたことも、ともに「火」を象(かたど)るフリー・ジャズと子供の親近性を物語っている。
ギャリー・ギデンス、スコット・デヴォー編 「Jazz」
「音楽的なだまし絵」と卓抜なパラレル・ヴィジョンを示した
「ゴースツ」を以下のように聖地に分析。
威厳あるオープニングの後に楽器が分裂していく結果は、音楽的なだまし絵、つまりメロディの錯覚の一例と考えてよいだろう。個々の貢献と演奏は支離滅裂で一貫性を欠き、単発的な音が散在したままm曲を伝えようとしているようにみえる。しかし、絵画を鑑賞するように一歩下がって全体を見ると、すべて完璧に論理的であると気づく。音楽家たちは、それぞれがキャンバスを圧倒することなく、互いに最小限の量で塗る方法を知っているかのように、密接に連帯して仕事をしているのだ。(大西譲 訳)
※大西穣ではないか?
参考 ジョン・ケージはなぜ《4分33秒》を創ったのか——クラシックのバックグラウンドからの変遷をたどる 記事 面白い!
アルバート・アイラーのライブ盤 レラッハ、パリ1966
Lörrach, Paris 1966
amazonレビューより
1.Bells
2.Prophet
3.Our Prayer-Spirits Rejoice
4.Ghost
5.Truth is Marching In
6.Ghost
7.Spiritual Rebirth-Light in Darkness-Infinite Spirit
8.All-Our Prayer-Holy Family
演奏は絶好調と言って良いだろう。以前私もレビューを書いた「Albert Ayler Stockholm Berlin 1966(hatOLOGY717)」とほぼ同時期で曲目もほぼ同じだが、曲のアプローチやアレンジが全然異なっていたり、有名曲をくっつけてメドレーにしたりと、ガッチガチの固定されたレパートリーも聴いていて飽きない工夫がされているのはプロとしては当然のワザであろうか。ファンは必携の良好発掘ライヴ盤であります。
1966年11月、アルバート・アイラーは、自己のグループを率いて何とノーマン・グランツ主宰のJ.A.T.P.ヨーロッパ・ツアーに参加します。参加したアイラーはともかく、アイラーをJ.A.T.P.に加えてしまうというグランツの発想が柔軟かつ大胆で素晴らしい! そのツアーからは、これまでにベルリン、ストックホルムでの演奏を収めたhatOLOGY盤をはじめ、ロッテルダムやコペンハーゲンでのコンサートを収めた CDなどが世に出ていますが、これもその1枚。2002年に3,000枚限定でリリースされたものの、しばらく在庫がなく廃盤扱い。新装のパッケージになっての貴重な再登場になります。
ここには11月7日にドイツのレラッハで開催されたコンサートでの5曲と、13日にパリのサル・プレイエルで行われたパリ・ジャズ・フェスティヴァルでの3曲が収録されています。どちらも放送局が録音したテープから起こされているので音質的にも良好で、同年5月のスラッグズ・サルーンでの録音と12月のヴィレッジ・ヴァンガードでの録音の間を埋める貴重な記録。
ミシェル・サムソンやドナルド・アイラーを含む後期のグループによる歓喜の雄叫び、テンションに満ちた演奏が圧巻です。
参考 Albert Ayler – Stockholm, Berlin (1966)
YouTube
Stockholm, November 10, 1966
1 Truth Is Marching In 9:15
2 Omega (Is The Alpha) 10:36
3 Our Prayer - Bells
Composed By [Our Prayer] – Donald Ayler
Composed By [Our Prayer] – Donald Ayler
7:51
4 Infinite Spirit - Japan
Composed By [Japan] – Pharoah Sanders
Composed By [Japan] – Pharoah Sanders
3:53
Berlin, November 3, 1966
5 Truth Is Marching In 7:25
6 Omega (Is The Alpha) 3:36
7 Our Prayer - Truth Is Marching In
Composed By [Our Prayer] – Donald Ayler
Composed By [Our Prayer] – Donald Ayler
5:06
8 Ghosts - Bells 11:29 ここで聴ける!
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本 フリー・ジャズ エッケハルト・ヨースト
Free Jazz (The Roots of Jazz) Ekkehard Jost
泥んこ遊びとしてのジャズ
・清水俊彦 「アルバート・アイラーの想像の博物館とブラックユーモア」
無脊椎の肉体としての単純なテーマは、音楽に溶け込んでいる否定形のものや無名なものに、それだけますます自由に近づいてゆく。
・アイラーの「発狂の喜び」(菊池成孔)
「宗達の絵からは、物質的に現象する以前の、何ものにも歪められていない、自然の生(き)のエネルギーが放出している。
・山下洋輔 もけら もけら
・オズヴァルト・チルトナーのデューラー「メランコリア」模写
・オズヴァルト・チルトナーの模写 不明
「アウトサイダー・アート芸術の始まる場所」デイヴィド・マクラガン (著), 松田和也 訳
コ(ズ)ミック・ジャズ―宇宙と漫画を架橋する
図3-5
杉浦茂の融通無碍(ゆうずうむげ)の宇宙
※行動や考えが何の障害もなく、自由で伸び伸びしていること。 ▽「融通」は滞りなく通ること。
杉浦茂マンガ館
図3-6 New Grass Albert Ayler 1969
アイラーが魂を売ったとして総じて酷評された。
「どうせ皆さんこんなのお好きでしょう?」アイラー・アイロニー
山口昌男に代表される道化学
山口昌男
1969年より「文化と狂気」を『中央公論』に、「道化の民族学」を『文学』1~8月号(岩波書店発行)に連載[3]。また、「王権の象徴性」(『伝統と現代』)、「失われた世界の復権」(『現代人の思想 第15巻 未開と文明』解説)を執筆して注目された。
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パンク・ジャズの始祖
ドキュメンタリー映画 「スピーキング・イン・タングス」1982年公開 不明
フリージャズ・ミュージシャン ミルフォード・グレイヴス出演
ミルフォード・グレイヴス(Milford Graves、1941年8月20日 - 2021年2月12日)は、アメリカのジャズ・ドラマー、パーカッショニスト、音楽名誉教授、研究者/発明家、ビジュアル・アーティスト/彫刻家、庭師/薬草家、武道家。グレイヴスは、1960年代のポール・ブレイ、アルバート・アイラー、ニューヨーク・アート・カルテットらとの初期のアヴァンギャルド・ジャズにおける貢献で注目に値し、パーカッションをタイムキープする役割から解放したフリー・ジャズの先駆者とみなされている。作曲家でサックス奏者のジョン・ゾーンはグレイヴスを「基本的に20世紀のシャーマン」と呼んだ。
『スピーキング・イン・タングズ』(Speaking in Tongues)は、アメリカのロックバンド、トーキング・ヘッズの第5作スタジオ・アルバム。前作からおよそ2年振りの作品である。
LP初回版のジャケットはロバート・ラウシェンバーグが手がけたもので、透明ジャケットに透明なアナログ盤が封入されていた。そのアナログ盤は、コラージュ写真をそれぞれ異なる色で印刷した3枚のプラスチック製の円盤で挟まれていた。ラウシェンバーグはこのジャケットデザインによりグラミー賞を受賞した。通常版およびCD版のジャケットはデヴィッド・バーンが制作したものである。
グロッソラリア
舌・言語に精霊が宿って神がかりの言語を発する状態。
・セックスピストルズのアナーキ・イン・ザ・UK music
・リトル・リチャードのトゥッティ・フルッティ
music
種村李弘
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いわば、「従来のジャズ=言語」に対して、「フリージャズ=異言」という認識がある。
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牧師兼ミュージシャン ヴァーナード・ジョンソン
ゴスペル・サクソフォンと呼ばれ、死刑囚さえも涙させた。
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・生まれつきのフリーメーソン Masonic Inborn
music
セシル・レヴォジェ Cécile Révauger
「ブラック・フリーメイソンリー プリンス・ホールからジャズの巨人まで」
Black Freemasonry: From Prince Hall to the Giants of Jazz
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第4章 詩人ジャズマン ―土星人サン・ラーの「無」
図4-1 Sun Ra Nothing is ... 1966
music
サン・ラーの出演した映画「スペース・イズ・ザ・プレイス」
私は全にして無
4-3 My Brother the Wind
music
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第5章 Pファンクの宇宙―道化としてジョージ・クリントン
フレイヴァー・フレヴ 進化の黒人を演じる
ウィキペディアより
パブリック・エナミー(Public Enemy、PEとしても知られる)は、ニューヨークのロングアイランド出身の社会派ヒップホップ・グループである。政府などの権威を批判する歌詞や、アメリカの政治・社会問題に言及することでも知られている。
メンバー
チャックD
フレイヴァー・フレイヴ
DJロード
サミー・サム
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において、第44位にランクされた。
1987年、デビュー・アルバム『YO!BUM ラッシュ・ザ・ショウ』を発表した。
さらに1988年、シングル「Don't Believe the Hype」を含むセカンド・アルバム『パブリック・エナミーII (It Takes a Nation of Millions to Hold Us Back)』を発表し、前作より好調なアルバム・チャート・アクションを獲得した。またPEは「ザ・グラント」「ブロウ・ユア・ヘッド」などJBsの曲を元ネタに使用している。
彼らはさらに、1990年にサード・アルバム『フィアー・オブ・ア・ブラック・プラネット』をリリース。このアルバムは、2008年現在、彼らのアルバムの中で最も売れたアルバムであり、アメリカ国会図書館の重要保存録音物として永久保存されている。収録されているシングル曲には、救急車が黒人地区においては、白人地区よりも遅く到着することを批判した「911 is a Joke」や、PE自身のことを歌ったと考えられている「Fight the Power」がある。この曲はスパイク・リーが監督した映画『ドゥ・ザ・ライト・シング (Do the right thing) 』のテーマ曲でもあった。
フィアー・オブ・ア・ブラック・プラネット 1990
music
パブリック・エナミーはニュースクール・ラップのルーツだった。例えばターミネーターXは、「Rebel Without A Pause」で聴くことができるように、スクラッチをより洗練されたテクニックに昇華させたし、プロデューサーユニットのボム・スクワッド(The Bomb Squad)は斬新なサンプリングやビートを提示した。批評家のスティーヴン・トーマスは「(PEは)プロデューサーチームのボム・スクワッドを通じてフリー・ジャズやハードファンク、さらにはミュジーク・コンクレートの要素さえも取り込んで、前例のないようなぎっしりとした凶暴なサウンドを作り上げた」と評した。また、ラップの面においても、PEは政治的・社会的あるいは文化的な意識を、歌詞にのせた。
PEは、世界ツアーを敢行した最初のラップ・グループでもあり、その結果、ヨーロッパやアジアのヒップホップ・コミュニティーの中で大きな人気と影響力を持つようになった。また、アルバムをMP3フォーマットで(この形式がほとんど知られていなかった頃に)リリースした最初のミュージシャンであり、インターネット経由の音楽配信の可能性を切り開いた。
1991年、PEはニューヨークのスラッシュメタル・バンド、アンスラックスとの競演によって、メタルとヒップホップを融合させた。このコラボレーションによって、ラップとロックの融合が進んだ。また、人種が異なる2つのグループは共同ツアーも行った。フレイヴァー・フレイヴは、「奴らはこのツアーが実現することはないだろうと言ったんだ」(アンスラックスのアルバム『ライヴ!!〜アイランド・イヤーズ』で確認可能)と発言した。
パブリック・エナミーが結成される前、チャックDは当時働いていたラジオ局WBAUの宣伝と、彼にバトルを挑んできたラッパーを受け流すためのテープを作った。彼は地元のシーンの人々に虐げられているように感じていたので、そのテープを「パブリック・エナミー #1」と名づけた。これが、チャックDの曲の中において「パブリック・エナミー」についての最初の言及である。このシングルは、PE結成前にもかかわらず、ファレイヴァー・フレイヴの協力を得て制作されている。
人気は落ちたが、PEはパフォーマンスや創作を続けている。ターミネーターXは早めの引退をして、アトランタ出身のDJロードがグループのメインDJになった。チャックDとプロフェッサー・グリフはファンク・ロックバンド、コンフロンテーション・キャンプ (Confrontation Camp)のメンバーも務めている。チャックDの講義「ラップ、人種、現実と技術」は彼が参加しているグループ、ファイン・アーツ・ミリティア(Fine Arts Militia)のアルバム『Fine Arts Militia』(別名『We Are Gathered Here』)の歌詞のもとになった。
2004年にフレイヴァー・フレイヴはリアリティショー『The Surreal Life』と『Strange Love』に出演したが、彼の描写はファンや他のバンド・メンバーの間で大きな議論の的になった。多くのファンやチャックD自身がフレイヴァーの子供たちや前妻に対する不当な行動についておおっぴらに批判した。
フレイヴァーは、イギリスのリアリティショー『The Farm』にも出演し、その後、VH1の番組『Flavor of Love』にも出演している。奇妙なことだが、(おそらく、すべての種類の音楽に対するリスペクトの証として)PEは結局のところ中止になったハードコアとヘヴィメタルのロック・フェス「ヘルフェスト'05」に出演し、ビトウィーン・ザ・ベリード・アンド・ミー、エド・ゲイン、フロム・ア・セカンド・ストーリー・ウインドウ、アイオン・ディソナンス、ピッグ・デストロイヤー、サフォケイションらと共演する予定だった。
2005年9月にフレイヴァーはPEに戻り、ハリケーン・カトリーナに対する政治的な(特にブッシュ政権の)問題を批判した「Hell No We Ain't All Right」を録音した。2006年年頭には、パリスによってプロデュースされた15曲を含む最新作『リバース・オブ・ア・ネイション』がリリースされた。2013年には、PEはロックの殿堂入りを果たした。
論争
PEは、戦闘的なブラックパワー運動のS1W(Security of the First World)と連携していることでも有名である。また、メンバーのプロフェッサー・グリフは反ユダヤ発言(世界の邪悪な出来事は全てユダヤ人が起こしている)などの発言をおこなった。彼は反ユダヤ主義を否定し発言を謝罪したが、批判はやまずグループから追放された。PE自体もFBIによる議会へのレポート「ラップミュージックとその国家安全保障への影響」に挙げられることになった。こういった出来事やシングル曲「Swindler's Lust」の内容が原因で、PEは反中傷連盟(Anti-Defamation League)から批判されることになる。しかし、PEやファンの大部分はホロコーストを矮小化する意図はなく、奴隷制度がホロコーストに比肩するものであることを主張しただけだと弁護している。
さらに、あまり批判の的にはなっていないが、リーダーのチャックDはファイル共有ソフトの積極的な支持者であり、それによって音楽は生き続け、最終的にはより多くのアーティストを助けることになるだろう、と主張している。
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Pファンク
Pファンク (英語:P-Funk) は、ジョージ・クリントンが、1970年代に率いた2組のバンド、パーラメントとファンカデリック、及びその構成メンバーによるファンクミュージックを指す音楽ジャンルであり、またこの音楽集団のことである。パーラメント・ファンカデリック以外に、Pファンク・オール・スターズ、ブーツィーズ・ラバー・バンド、パーレット、ブライズ・オブ・ファンケンスタイン他のグループや、メンバーのソロ等も含む。なお、2組は揃って「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第58位に選ばれている。"P-Funk"の頭文字であるPの由来は、サイケデリック・ファンク、ピュア・ファンク、プレインフィールドの頭文字Pとされている。
ウィキペディアより
ジョージ・クリントン(George Clinton、1941年7月22日 - )は、アメリカのミュージシャンである。ジェームス・ブラウンのファンク・ミュージックの継承者とされている。
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フリーク・ショー
オムツを履いたギタリスト、ゲイリー・シャイダー
Pファンク
・Funkadelic - Cosmic Slop 1973
YouTube
P・T・バーナム
フィニアス・テイラー・バーナム(Phineas Taylor Barnum、1810年7月5日 - 1891年4月7日)は、アメリカ合衆国の興行師。その愉快な「ホラ話」(hoax)と、サーカス(後のリングリング・ブラザーズ・アンド・バーナム・アンド・ベイリー・サーカス)を設立したことで知られる。
1834年にニューヨーク市へ移り住み、1835年にジョージ・ワシントンの元乳母で160歳を超えているとの評判があった黒人奴隷の女性、ジョイス・ヘスを買い取って見世物にすることで、興行師としての人生を始めた。このヘスの存在とちょっとした付け足しをもとに非常に巧妙な宣伝を行い、1836年に彼女の死亡(その際、入場料を取って彼女の遺体の公開解剖を行い、実際の年齢は80歳以下であることが分かった)後の1839年までアメリカにおける巡業を成功させた。
その後は一時期不振だったが、1841年にニューヨーク市にあった「スカダーのアメリカ博物館」を買い取り、これに相当の補強をして「バーナムのアメリカ博物館(英語版)」 (Barnum's American Museum) と名付け、ここを拠点に国内で最も人気がある興行の一つにした。
1842年には、「親指トム将軍(英語版)」 (General Tom Thumb) ことチャールズ・ストラットンの見世物で大当たりをとった。インディアンのダンス団「フー・フム・ミー」を作って彼らに伝統的なダンスを踊らせ、これも評判となった。
1844年から1845年にかけては「親指トム将軍」を連れてヨーロッパ巡業を行ない、ヴィクトリア女王にも面会した。
霊と交信できるというフォックス姉妹の交霊会の興行を担当し、心霊主義の爆発的ブームの端緒となった[1]。
スウェーデンの女性歌手・ジェニー・リンドと、米国において一晩1000ドルで150公演行う(費用は全額興行主もち)という契約をし、1850年から巡業した。
1855年にはいったん興行界から引退したが、債権支払いを迫られたため、1857年に興行師・展示館経営者としての以前の人生を再開した。
1871年には、ニューヨーク市ブルックリンの「バーナムのアメリカ博物館」で、サーカス・動物園・フリークス・蝋人形展示をない交ぜにしたものを巡業させる「地上最大のショー」を設立した。
1872年には、サーカス業界初の興業列車(サーカス列車)を立ち上げる。サーカス団の規模拡大に伴い、馬車での移動では全米中の興行が困難となり、その解決策として発案。それ以来、このサーカス列車は他のサーカス団でも採用された。
1881年には、ジェームズ・アンソニー・ベイリー(英語版)が経営していた「クーパー・アンド・ベイリー・サーカス」と合併して「バーナム・アンド・ベイリー・サーカス」とし、世界中を巡業した。このサーカスの一番の呼び物は、バーナムがロンドン動物園から買い取ったアフリカ象のジャンボだった。
・リングリングBros&バーナム&ベイリー・サーカス列車 ニコニコ動画
死後、1907年にサーカスはリングリング兄弟(英語版)に売却され、リングリング・ブラザーズ・アンド・バーナム・アンド・ベイリー・サーカスとなり、2017年まで興行を続けた。
LIFE誌が1999年に選んだ「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」でアメリカ人とされている人物22人の中に選ばれている。
グロテスク・リアリズム
グロテスク・リアリズムとは、異様で滑稽なテーマを扱った文学のスタイルです
グロテスク(grotesque)はフランス語で「異様で滑稽な」「ばかげた」「珍奇な」という意味です。リアリズム(realism)は、虚飾を排した平明な文体で、出来事や人物、日常生活の細部を事細かに描出する文学のスタイルです。
グロテスク・リアリズムの例としては、中国明末の馮夢龍が編んだ短篇小説集「三言」などがあります。この作品には、猥褻でグロテスクな殺人や不倫、おかしな恋、字謎(ヅーミー)の言語遊戯、異界仙界の話などが描かれています。
中国のグロテスク・リアリズム (中公文庫 い 93-1)
フランソワ・ラブレー 「ガルガンチュアとパンタグリュエル」
フランソワ・ラブレー(フランス語: François Rabelais フランス語: [fʁɑ̃swa ʁablɛ]、 1483年? - 1553年4月9日[1])は、フランス・ルネサンスを代表する人文主義者、作家、医師。ヒポクラテスの医書を研究したことで著名となり、次いで中世の巨人伝説に題材を取った騎士道物語のパロディー『ガルガンチュワ物語』と『パンタグリュエル物語』(『ガルガンチュワとパンタグリュエル』)で知られる。これらは糞尿譚から古典の膨大な知識までを散りばめ、ソルボンヌや教会など既成の権威を風刺した内容を含んでいたため禁書とされた。
「ガルガンチュアとパンタグリュエル」
『ガルガンチュアとパンタグリュエル』は,16世紀のフランスで,作家フランソワ・ラブレーによって書かれた物語である。
この『ガルガンチュアとパンタグリュエルの物語』は,巨人族のガルガンチュアとその息子パンタグリュエルの親子2代にわたる物語である。
世界の文学史上でも,これほど荒唐無稽で型破りな作品はめったにないだろう。風紀上,高校世界史の教科書にはとても引用できないような代物である。この物語では,ヨーロッパの騎士道物語の体裁にしたがって,ガルガンチュアたちが生まれ,育ち,活躍する姿が描かれているが,問題はその内容である。
アリストテレス「畸形は笑わせる存在である」
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5-3 The Temptations
ザ・テンプテーションズの統一感
メンバー全員が細身で高身長
5-4
THE PARLIAMENTS Testify prime、このアーティストはご利用できません
ザ・パーラメンツの不統一感
小柄、がっしり、長身と多種多様
・The Parliaments...I Wanna Testify...Extended Mix...
YouTube
・パラーメンとの最高傑作
Parliament - P-Funk (Wants to Get Funked Up) (1975)
YouTube
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水の道化
5-5
パーラメント Motor-Booty Affair
music
5-6
Motor-Booty Affairの裏側
レコードのジャケットの裏に描かれたPファンク版イエロー・サブマリン

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犬の道化
ドープ・ドッグス 2005
Dope Dogs George Clinton & The P-Funk Allstars
music
・・The Dog
・・Walking the Dog
・・Can Your Monkey Do the Dog
・・Somebody Stole My Dog
低さにより賢者になる
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5-8
本 MUMBO JUMBO 1972 Ishmael Reed
マンボ・ジャンボ イシュメ−ル・リ−ド
1920年代のニューオーリンズ、ジャズを媒介とした奇病「ジェス・グルー」を巡って、秘密結社とヴードゥー探偵とが繰り広げる大活劇。オカルトを背景に黒人作家が描く、スチャラカでごきげんなジャズ小説。
amazonレビュー
アメリカン・クラーヴェ好きな人は是非
アメリカの黒人作家イシュメール・リード…キップ・ハンラハンの名盤「CONJURE」は、この作家の詩や小説にジャズ、R&B、ラテン音楽などの超一流ミュージシャンが曲をつけて演奏した作品でした。
今回小説そのものを初めて読んでみましたが、予想以上にぶっ飛んだ内容でビックリ。
舞台は1920年、ニューヨークのハーレム。歴史的に「ジャズ・エイジ」と呼ばれ黒人文化が大きく花開いた時代。ジャズやラグタイムによるダンスの流行に危機感を抱いた闇のキリスト教団が、1000年以上生き続ける第2次十字軍のテンプル騎士団団長(今は出版社の編集長をやってる)に指令を出してこの動きを撲滅せんとする。一方でこの動きを永続させるためにフードゥー教の司教が古代エジプトから伝わるという聖典(「トトの書」)を探し求める。。というお話。おそらく要約しても何のこっちゃ解らないと思います。
現代~中世~古代の神話、伝説、歴史的事件、博学ネタがこれでもかと過剰にブチ込まれる様はホルヘ・ルイス・ボルヘスやジョン・バースなどの衒学趣味的な現代文学の読書体験に近い。その黒人文化版(チャーリー・パーカーやコルトレーンのウンチクが、オサレな小道具でなく血肉たる構成要素となっている)という感じ。でも主訴は現代社会の風刺であるからベクトルが少し違うかな。
本書の説によると、あらゆる宗教は古代エジプトが発祥であり、その中の「太陽神信仰」が禁欲的な唯一神信仰(ユダヤ教、イスラム教、キリスト教)に継続され、一方の「オシリス(冥界神)信仰」が享楽的な多神教として、一方は欧州に渡りバッカス信仰に、一方ではブラック・アフリカに渡り奴隷貿易を経て今のブードゥー教(アメリカではフードゥー教)に継続されている…だそうな。(これらが作家の個人的アイデアなのか、学究的に根拠のあるものかはよく判らない。)
「アフリカ」をテーマにしながら内容は古代エジプト…というのは、ジャズのマイルス・デイビスやファラオ・サンダースの作品によく見かけます。エジプトは確かにアフリカ大陸の一端にはあるけど、文化圏的には中東・地中海であって、サハラ砂漠以南のブラック・アフリカとは全然別物やん…と個人的には長い間違和感感じてましたが、実はそれなりに確信を持って演っていたんだな…というのを初めて知りました。
考えてみると、我が日本の仏教は多神教でありながら禁欲的だ。「多神教は奔放で淫猥なんじゃよ」とは宗派が禅宗の身としては何か聞き捨てならない。また日本は世界史上初めて白人文化と正面切って戦った国。こういう人々に日本という国はどう映っているのかな…と思っていたら、リード氏の最近作のテーマは何と日本だとか(「Japanese by Spring」)。果たして邦訳されてお目にかかれる日が来るのかしら。
・キップ・ハンラハン CONJURE
参考 CONJUREをmusicで検索して見つけた
非常に独立心が強く、努力家なヘビーバンドの残骸から生まれた Hoof のメンバーは、オーストラリアのメタル界の鋭い槍の先端に身を置いている。
現在流行しているほぼすべてのヘビー ジャンルの要素を組み合わせたこのバンドを聴くには、誰もが心構えが必要です。彼らは、猛烈なデス メタルの猛攻からヨーテボリの最高のメロデスまで、あらゆる影響を受け、あらゆる「コア」の金床で形作りました。
最新シングルと「Be Eating You」のビデオがすでにメタル界で大ヒットしており、今後もさらなるリリースが予定されている。近い将来、あなたのドアを叩き壊そうと躍起になっているメルボルンの4人組にとって、長く騒々しい道のりとなるだろう。
CONJUREとは、呪文(じゆもん)を唱えて呼ぶ、魔法を使って(…を)取り出す、魔法で追い払う、祈願する、おりいって頼む。(魔物を召喚する)
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参考 amazonレビューを読んで見つけた
本 Japanese by Spring
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参考 Hoofを検索して見つけた1
・Beyond Zade 2007 Chrome Hoof
music
ウィキペディア 英語版より
クローム・フーフは、イギリスのロンドンを拠点とする実験的な 室内ロックオーケストラです。このグループは、2000年にカテドラルのベーシストであるレオ・スミーと彼の兄弟であるミロ・スミーによって結成されました。当初はデュオとして活動し、彼らの音楽は主にエレクトロニックでした。しかし、結成以来、グループは様々な楽器を演奏する新しいメンバーを継続的に募集してきました。2007年現在、グループには約10人のメンバーがおり、サックス、トランペット、ファゴット、バイオリン、ギター、ベース、ドラムなどの楽器を演奏しています。
大規模なオーケストラである Chrome Hoof の音楽は、メタル、エレクトロ、ファンク、ジャズ、ディスコ、室内楽など、さまざまなジャンルにまたがっています。彼らの音楽は、プログレッシブ、未来的、サイケデリックと評されています。
Albums
2004 – Chrome Hoof
2007 – Pre-Emptive False Rapture
2010 – Crush Depth
2013 – Chrome Black Gold
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・・・・
参考 Hoofを検索して見つけた2
Cloven Hoof クローヴン・フーフ
music
Heathen Cross 2024
music ヘビメタ
クローヴン・フーフは、1979年から1990年まで、そして2000年頃から活動していた、ウルヴァーハンプトン出身のイギリスのヘビーメタルバンドです。アイアン・メイデン、サクソン、ダイアモンド・ヘッドなどのバンドと並んで、イギリスのヘビーメタルムーブメントのニューウェーブと関連づけられました。メンバーは何度も入れ替わりましたが、創設メンバーのベーシストのリー・ペインだけが何十年もの間ずっとメンバーであり続けています。
初期: 1979–1987
Cloven Hoof は初期のメンバー構成を何度か変更した後、最初の数枚のレコーディングで安定したメンバー構成に落ち着きました。当初から演劇的なバンドで、4 人のメンバーは4 つの要素に基づいたペンネームを使いました。David "Water" Potter、Steve "Fire" Rounds、Lee "Air" Payne、Kevin "Earth" Poutney です。[ 1 ]このメンバー構成で 1982 年にデモ テープを録音し、The Opening Ritual EPとデビューアルバムCloven Hoof (1984 年) をリリースしました。[ 2 ]
デビューアルバムのリリース後、デヴィッド・ポッターがバンドを脱退し、代わりにロブ・ケンドリックが加入。彼は「ウォーター」という別名義を名乗った。このメンバー構成で1987年にリリースされたライブアルバム『ファイティング・バック』[ 2 ]を録音しただけで解散し、バンドメンバーはリー・ペインのみとなった。
1988–1990
リー・ペインは1988年にバンドを再結成し、トレデガーからボーカリストのラス・ノースとギタリストのアンディ・ウッド、そしてドラマーのジョン・ブラウンを雇った。
まったく新しいミュージシャンが揃ったバンドは芸名を捨て、さらに2枚のアルバムをレコーディングした。1988年の『Dominator』と1989年の『A Sultan's Ransom』である。[ 2 ]トレデガーの元メンバー、リー・ジョーンズは、この2枚のアルバムのリリース直後に2人目のギタリストとしてバンドに加わったが、契約上の問題によりバンドは1990年に再び解散した。[ 2 ]
2001–2007
2001 年の夏、リー・ペインは、バンドの 10 年にわたる解散の原因となった契約上の困難についてアンディ・ウッドと電話で話し合った後、クローヴン・フーフの次の姿に向けて新しいメンバー構成を組み始めました。
バンドは2004年4月10日 、ドイツのラウダ=ケーニヒスホーフェンにあるタウバーフランケンハレで開催されたKeep It True II Festivalにライブ出演した。
Eye of the Sun は、ヴォーカルの Matt Moreton、ギターの Andy Shortland、ドラムの Lynch Radinsky といったミュージシャンの協力を得て、2006 年に録音、リリースされました。アルバムのプロデューサーは Tom Galley です。バンドのメンバーの何人かが仕事の都合でライブを行うことが不可能になったため、Lee Payne は再び新しいメンバーを募集する必要がありました。
ボーカルのラス・ノースは、スペインでしばらく暮らした後、イギリスに戻り、バンドに復帰した。最終的に、ギターのミック・パウエルとベン・リード、ドラムのジョン・ブラウンが加わり、バンドのメンバーは完成した。
2008年~現在
再録音された曲集『The Definitive Part One』は2008年初頭にリリースされ、[ 3 ]『Throne of Damnation』と題された新しいEPは2010年にリリースされる予定であった。
2008年、クローヴン・フーフはミル・ヒルで開催されたメタル・ブリュー・フェスティバルでペイガン・アルターと共同ヘッドライナーを務めた。[ 4 ]両バンドは2009年にカムデン・アンダーワールドで開催されたブリティッシュ・スティールIVフェスティバルにも出演した。[ 5 ]
2009年6月27日、クローヴン・フーフはドイツのバーリンゲンで開催されたBang Your Head!!!フェスティバルに出演した。彼らはWASP、UDO、ブラインド・ガーディアン、ジャーニーなどのバンドと並んで出演し、激しい雨の中で演奏した。
バンドのデビューアルバムからの曲「Nightstalker」は、コンピューターゲーム「Brütal Legend」のサウンドトラックに使用されました。
2010年初頭、ラス・ノースの脱退に続いて、マット・モートンがEP『Throne of Damnation』 のボーカルを録音するために雇われた。モートンはその後すぐに健康上の理由でバンドを脱退した。[ 6 ] 2010年12月13日、クローヴン・フーフは初のDVD『A Sultan's Ransom - Video Archive 』をリリースした。これには1989年のリッチフィールド・アート・センターでのコンサートの映像が含まれ、また『A Sultan's Ransom』に収録されている「Mad, Mad World」と「Highlander」の2つのミュージック・ビデオも収録されている。
2011年、リー・ペインはバンドを再結成し、バンド「ディメンティア」のギタリスト、ジョー・ウェランとUK/DCのギタリスト、クリス・コスを招聘し、ドラマーのマーク・グールドとボーカルのアッシュ・クーパーも迎えた。このメンバーで「I'm Your Nemesis 」というミュージックビデオと「Nightstalker」の最新版をリリースした。ラス・ノースはキプロスでの物議を醸したパフォーマンスの後、2012年7月にクローヴン・フーフを最後に脱退した。マーク・グールドは2012年8月にバンドを脱退し、2013年の一連のライブに合わせてジェイク・オズランドがドラムを担当した。2013年のクローヴン・フーフのラインナップは、2013年3月30日にウォルヴァーハンプトン・シビック・ホールでジェイムソン・レイドとホロウ・グラウンドと共にイギリスデビューコンサートを行う予定だった。 [ 7 ] 2013年4月27日、クローヴン・フーフはオーストリア・チロルのパークホテル・ホールでコンサートを行った。このショーはプロデューサーのパトリック・エンゲルによって録音され、将来のライブアルバムリリースに備えた。仮に『Resist or Serve 』と題されたスタジオアルバムがハイ・ローラー・レコードからリリースされる予定だった。
2013年6月23日、クローヴン・フーフはベルギーのR-Mineフェスティバルに出演し、ヘル、タイガース・オブ・パンタン、タンクらと共演した。その後、 2013年9月21日にはイタリアのヘビーメタルナイト6フェスティバルに出演した。2014年、クローヴン・フーフはブラック・サバスやアリス・クーパーと共にスウェーデン・ロック・フェスティバルの出演者リストに追加された。ハットフィールドのパワー・アンド・グローリー・フェスティバルへの出演は2014年8月23日に予定されており、さらに年間を通じてヨーロッパツアーの日程が予定されている。
2023年、ハリー・コンクリン(以前はサタンズ・ホスト、スリー・トレマーズ、ジャグ・パンツァーに所属)がバンドの新シンガーとして発表された。[ 8 ] 9枚目のスタジオアルバム『ヒーザン・クロス』は2024年5月31日にリリースされた。[ 9 ]
元歌手ラス・ノースが2025年1月1日に亡くなった。死因は明らかにされていない。
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参考 Hoof のWe Hope You Dieを検索して発見
・Hooray For Boobies 1999 ブラッドハウンド・ギャング
music 面白い動画
ウィキペディアより
ブラッドハウンド・ギャング(Bloodhound Gang)は、アメリカのオルタナティヴ・ロック・バンド。ペンシルベニア州カレッジヴィル出身。
エピソード
2013年7月にウクライナで行った公演では、ロシア国旗の扱いを巡り、国旗の侮辱だとして、予定の公演が中止となる騒ぎとなった。
スタジオ・アルバム
Use Your Fingers (1995年)
『ワン・フィアス・ビア・コースター』 - One Fierce Beer Coaster (1996年)
『フレー・フォー・ブービーズ』 - Hooray for Boobies (1999年)
『ヘフティー・ファイン』 - Hefty Fine (2005年)
Hard-Off (2015年)
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参考 Hoofのアルバムより
Hi-Techno 9 2021
music テクノ、ハウス、クラブ
2曲目Highway Lights (Original Mix) がHoof
Christina Marakov, Hoof, Emanuele Vernarelli, Qazer, Techno Red, 21 ROOM, Andrew Fontana, Techno Mama, Kugatery, Olsen Clay, Kolesnikov, D-Source, DJ Fields, BADHABBIT, Viboz , Ironpaul, Gigi De Martino, E G, Dataura, Skaki, Big Bunny, Lunatic Caricature, Zadig, Seon & Neurodriver
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サー・ノーズという「影」の重要性 p206
記事 Pファンク徹底解説5 パーラメント「ファンケンテレキーVSプラシーボ・シンドローム」①
ファンケンシュタイン、スターチャイルドの前に最大の敵「サー・ノウズ」が立ちはだかる。
エンテレキーとは。プラシーボ・シンドロームとは。そして「サー・ノウズ」と、あの国民的漫画作品との関係とは。
サー・ノウズ・ディヴォイドオブファンク
最大の敵が現れた。
1975年の『マザーシップ・コネクション』では、ファンクの伝道者スターチャイルドが地球のラジオ放送を電波ジャックし、翌76年の『ドクターファンケンシュタイン』では、クローン技術でファンク人間を量産する黒幕、ドクター・ファンケンシュタインが登場。そしてスターチャイルドまでもがこの男のクローンであると判明。
そして1977年、ライブアルバム『ライヴ!! Pファンク・アース・ツアー』を経てリリースされたのが今作、『ファンケンテレキーVSプラシーボ・シンドローム』です。
本作には、ドクター・ファンケンシュタインとスターチャイルドにとって、最大の敵が登場します。それが「サー・ノウズ・ディヴォイドオブファンク」。彼はとても特徴的な外見をしています。鼻が長いのです。
・マザーシップ・コネクション 1975 パーラメント music
Mothership Connection
・ドクターファンケンシュタイン 1976 パーラメント music
Clones Of Dr. Funkenstein
・ライヴ!! Pファンク・アース・ツアー 1977 パーラメント music
Live: P Funk Earth Tour
・ファンケンテレキーVSプラシーボ・シンドローム 1977 パーラメント music
Funkentelechy Vs. The Placebo Syndrome
・・サー・ノウズ・ディヴォイドオブファンク
「紹介しなくてはならない小説」とは、ジョージ・クリントンが「あれこそファンクだ」と絶賛する作品、『
マンボ・ジャンボ』です。『マンボ・ジャンボ』は、日本を代表するPファンカーである
丸屋九兵衛氏が、自著のなかで「私の本を質に入れてでも入手して読め」とまで断言する、Pファンカー必読の作品なのです。
・・マンボ・ジャンボ イシュメール・リード 2/17小平図書館で予約
さて、ジョージ・クリントンがこの『マンボ・ジャンボ』に大きな影響を受けていたことは先に述べました。というより、当サイトでずっと紹介してきた 「Pファンク神話」がほぼ、この小説の丸パク・・・いや、サンプリングなのです。
そして今回のアルバムで登場した敵役、サー・ノウズ・ディヴォイドオブファンクをマンボ・ジャンボの登場人物に置き換えると、その立ち位置はヒンクル・フォン・ファンプトンにあたります。この二人の名前の「長ったらしさ」に似た印象を感じたならば、あなたの勘はとても鋭いといえましょう。
ワンピースでは今のところ(2019年3月現在)、「D」の秘密は伏せられたままですが、なんにせよ、これがテンプル騎士団へのオマージュであることはおそらく間違いないでしょう。つまり、こう言い切ってしまっていいのではないでしょうか。Pファンクとワンピースは、テンプル騎士団を親にもつ兄弟であると(断言)。
記事 Pファンク徹底解説2 パーラメント「マザーシップ・コネクション②」
記事 Pファンク徹底解説3 パーラメント「マザーシップ・コネクション③」
記事 Pファンク徹底解説4 パーラメント「ザ・クローンズ・オブ・ドクターファンケンシュタイン」
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フランケンシュタイン神話 p214
・ジェームズ・ホエール監督の名作 フランケンシュタインの花嫁 1935
prime
5-11
Live At The Howard Theatre 1978 The Brides Dr.Funken-stein music不明
参考 ファンク・オア・ウォーク 1978 ブライズ・オブ・ファンケンシュタイン
5-12
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Connections and Disconnections 1981 Funkadelic
music
・・・
ワン・ネイション・アンダー・ア・グルーヴ―国家の四肢切断と魔術的治療 p216
クリス・ボルディック
アメリカ自体、そもそも継ぎ接ぎだらけの怪物のような構成州から成り立った移民国家であった。
5-13
四肢切断されたブリタニアを示す戯画 1767
切り離された手足が反乱する植民地を示す
Library of Congress Prints and Photographs Division Washington,D.C.20540 USA
https://www.loc.gov/resource/ppmsca/31019/
→ Sorry! We can't find what you're looking for. 不明
参考 フランケンシュタインの影の下に (異貌の19世紀) クリス・ボルディック
amazon
メアリー・シェリーが描いた世界とは amazonレビューより
メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』に関わる西欧の政治、経済、宗教、文学、哲学全般に関わる分析。
イメージが浮かびづらいと思いますので、少し長くなりますが各章の簡単な紹介と感想です。
「第1章 イントロダクション」
本書の中で検討するのは、“現代の神話”としての『フランケンシュタイン』を取り上げる事であり、
・単なる人間の根源的な恐怖ではなく
・単なる科学小説ではなく
もっと大きな多様な問題に言及すること、としている。神話についての定義も簡単に再確認している。
「第2章 怪物の政治学」
神話における怪物の特徴は不適切に集められた部分の集合であり、それが当時の政治・国家・大衆を含んだ社会のイメージに反映され、メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』に影響を与えていったであろうことが説明される。
「第3章 怪物は語る」
『フランケンシュタイン』の怪物が生み出した意味について検討している。怪物が様々な部分から組み立てられたことと絡めて、当時の哲学、政治学、美学の議論にとっての中心的問題、つまり部分と全体の関係を説明している。またフランケンシュタインと怪物との関係、無神論的に創造するもの創造されるものの葛藤、怪物の持つ無名性や言語能力を含めた人間的特徴の意味、フロイト的解釈にも言及し、さらには社会と個人の関係性、正義の問題にまで及ぶ。
怪物だけに限っても極めて多様に解釈されうることを示している。
「第4章 侵犯の物語、産業の神話」
ホフマン、ホーソン、メルヴィル、ギャスケルの作品を『フランケンシュタイン』と重ねながら、物語が語ろうとする意味を補足し強化していく。それと同時に19世紀という時代におけるアメリカ・ヨーロッパの複雑さを、当時の人達は小説という手段によってしか、さらに言えばリアルでない形式でしか捉えられなかった状況についても考察している。
「第5章 ガルヴァーニ電気の世界」
当時のドイツにおける社会の断片化という認識と、米英における産業に関係した問題との仲介者としてカーライルを出し、様々な彼の著作をとりあげ、ガルヴァーニ電気的な力が、精神が欠けた状態にあるヨーロッパの政治、宗教を動かしていたとする。さらにカーライルから多大な影響を受けたディケンズを挙げ、生と死の境界の曖昧さ、形あるものをバラバラに切断し、その分離可能な幾つもの部分から成り立つ世界の意味するものが何であるのかを説明しようとする。
「第6章 カール・マルクスの吸血鬼と墓堀人」
マルクスはその著書の中で神話の中の登場人物を多数引用している。彼は資本主義が成し遂げたものが神話になりかねないという危惧をもち、そのため逆にそれを利用するために、制御不能な生産物に対する資本家たちの不安をフランケンシュタインの不安に結び付けていった。
資本、労働者、機械、生産物が二重、三重に『フランケンシュタイン』のイメージに重なっていく。
マルクスを文学として読むと意外と面白い。
「第7章 危険な発見とマッド・サイエンティストたち」
『フランケンシュタイン』の様々な改作が紹介され、沢山のマッドサイエンティストが登場する。そして、その中で最も成功した作品が『ジキルとハイド』であり、その中では孤独と罪深き私生活という著しく男性的な世界を舞台として、一人の人間の中にフランケンシュタインと怪物が同居することになる。
「第8章 帝国の怪物たち」
コンラッドの作品群における、操り人形、自動人形、案山子のような人間がその内面を映し出すものとして描かれたこと。つまり彼にとって人間とは怪物そのものであり、それが作り出すものは、人間より優れたものなのである。
第7章では一人の人間の中にフランケンシュタインと怪物が同居し、第8章では人間は怪物に過ぎなく、その人間が作り出す怪物は自分より優れたものであるという流れが面白い。第6章との対比も可能。
「第9章 リアリズムと野心的な解剖学者」
『フランケンシュタイン』がそれ以降のイギリス文学におけるロマン主義、象徴主義の先駆者としてだけでなく、リアリズムの先駆者でもあるというレヴィンの考えを紹介している。同時にいわゆるリアリズムの作家と呼ばれる人達の作品を紹介し、彼等がメアリー・シェリーのゴシック的な部分を取り除き、よりリアルな形で彼女の描こうとした世界を描いたことを示している。
膨大な量の情報に基づいた傑作。訳もわかりやすいです。
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第6章 ホラーコアの解剖学 ― フランケンシュタインの黒い怪物たち
・「ヒップ・ホップ家系図で最も黒い羊」(チャズ・カンガス)
・「ラップの最も恐怖を煽るサブジャンル」(ノア・ハベル)
参考
ヒップホップ家系図( 1970s~1985) 2色版 コミック
amazon
6-1
Fat Boys Are You Ready For Freddy 1988
YouTube いまいち
エルム街の悪魔4のテーマ
プロト・ホラーコア
Adventuress of Super Rythme 1980 ジミー・スパイサー
music 聴きやすい
Jimmy Spicer - Adventures Of Super Rhyme
YouTube
スパイサーがドラキュラに出会ったことの顛末を語る曲がある
1981年 ドクター・ジギル&スター・ハイド 不明
映画 ギャング・オブ・ホラー 2006年
6-2
Boomin Words from Hell 1989 エシャム Esham music
本人はアシッド・ラップをやっていると言っている。
6-3
Dr.Octagonecologyst 1996 Dr Octagon ドクター・オクタゴン
music
映画 ザ・フィアー rimeなし
6-5
アントロ・シングルトン 別名 ビッグ・ラーチ(Big Lurch)
It's All Bad 2004
参考 ・Big Lurch • Hell On Earth
YouTube
ウィキペディアより
アントロン・シングルトン(1976年9月15日生まれ)は、ビッグ・ラーチという芸名で知られる、アメリカのラッパー、詩人、有罪判決を受けた殺人犯である。2002年4月に21歳のルームメイト、ティニシャ・イサイスを殺害し、彼女の体の一部を食べた罪で終身刑に服している。彼はコズミック・スロップ・ショップというグループのメンバーだった。
被害者は友人によって夜中にアパートで発見された。胸部は引き裂かれ、肩甲骨からは3インチの刃が折れていた。顔と胸部から引き裂かれた肺には歯形が残っていた。友人は、シングルトンが全裸で血まみれで、路上に立って空を見つめていたと証言した。逮捕直後に行われた医療検査で、彼の胃の中から自分のものではない人肉が見つかった。被害者のボーイフレンドは、彼とこのラッパー志望の男性は殺人事件の前日にPCPを使用したと述べた。
ドキュメンタリー映画 韻と罰 2011 ビッグ・ラーチへのインタビュー 検索なし
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P234
・残虐行為展覧会 Atrocity Exhibition 2016 ダニー・ブラウン
music デトロイト出身のラッパー
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タイラー・ザ・クリエイター Tyler The Creator
ウィキペディアより
タイラー・ザ・クリエイター(Tyler, The Creator、1991年3月6日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ラデラハイツ出身のラッパー、ソングライター、音楽プロデューサー、デザイナー、映像作家[2]。本名はタイラー・グレゴリー・オコンマ(Tyler Gregory Okonma)。2010年代初頭に活躍したオルタナティブヒップホップグループOdd Future(オッド・フューチャー)の創設者でリーダーであり、ほぼすべての作品でラップとプロデュースを担当している。ソロアーティストとしては、6つのスタジオアルバムをリリースしており、ほとんどの楽曲で自身がプロデュースを行っている[3]。
Odd Futureの初期の作品を発表した後、2009年にソロ・ミックステープ『Bastard』をリリース。2011年にXL Recordingsからソロ・デビューアルバム『Goblin』をリリースした後、RED DistributionとSony Music Entertainmentとのジョイント・ベンチャー契約を結び、自身のレーベルであるOdd Future Recordsを立ち上げる。その後、2作目のアルバム『Wolf』(2013年)と3作目『Cherry Bomb』(2015年)をリリース。4枚目のアルバム『Flower Boy』(2017年)は広く賞賛され、よりメロディに焦点を当てたジャズを多用したサウンドを実験的に取り入れたことで、それまでの作品とは対照的なものとなった。5枚目のアルバム『IGOR』(2019年)はBillboard 200で初の全米ナンバーワンデビューを果たし、第62回グラミー賞で最優秀ラップアルバムを受賞した。2021年には6枚目のアルバム『CALL ME IF YOU GET LOST』をリリース。
タイラー・ザ・クリエイターはこれまでにグラミー賞、ブリット・アワード、MTVビデオ・ミュージック・アワード、ウォール・ストリート・ジャーナル・アワードを受賞している。また、Odd Futureのリリース作品のカバーアートをすべて手がけており、グループの衣装やその他のグッズのデザインもタイラーが制作し、2011年には自身のファッションブランドGolf Wangを立ち上げた。2012年からはCamp Flog Gnaw Carnivalという毎年開催される音楽フェスティバルを主催している。
Flower Boy 2017
IGOR 2019
参考
・アルバム The Atrocity Exhibition - Exhibit A Exodus 2007
music
・アルバム Slatanic Slaughter, Vol. 2
music 2曲目 Luciferion Chemical Warfare
・アルバム AZTEC SPELL 2023 Bagha
music
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タイラー ヨンカーズ
・【和訳】Tyler, The Creator - Yonkers (Lyric Video)
YouTube PV・・アルバム ゴブリン Goblin 2011 music 不明
リード・トラック “Yonkers”のMVで、ゴキブリを食べ、嘔吐し、最後に首を吊るといった、過激なパフォーマンスを披露
図6-6
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和製ホラーコアのトラックメイカー、氏の参加作品 ホーリー・マウンテン
・・Lord KaliBhava a.k.a. Damien Collaona
Holy Mountarain 2020
music
参考 ホーリー・マウンテン 1973 映画
ウィキペディアより
『ホーリー・マウンテン』(英: The Holy Mountain)は、1973年に公開されたメキシコのシュールレアリスム的なファンタジー映画。原作はルネ・ドーマルの『類推の山(英語版)』。アレハンドロ・ホドロフスキーが自ら出演しながら脚本、監督、製作、セット及び衣装のデザイン、さらに共同で音楽制作や編集を行っている[1]。また、ビートルズのマネージャーであるアブコ・レコードのアラン・クレインも制作に協力した。この映画の後にホドロフスキーは『エル・トポ』と合わせて「アングラ映画」現象を引き起こし、ジョン・レノンやジョージ・ハリスンらから支持され、ジョン・レノンとオノ・ヨーコは制作資金を援助していた。1973年に第26回カンヌ国際映画祭を含むさまざまな国際映画祭で上映され[2]、ニューヨークとサンフランシスコでは限定上映も行われた。
・・
著者
本章で考えたいのは、果たしてこのジャンルが単に同時代ホラー映画のチープで悪趣味な恐怖感覚を、ヒップホップに移植しただけのものなのかという点である。
結論から申せば、奴隷制時代以来の黒人差別に根差したホラーの感覚が、このジャンルでは戯画化されたかたちで増幅されている気がする。
6-7 ブラザー・リンチ・ハング
・・Brotha Lynch Hung - Da Siccness (Official Music Video)
YouTube
・Season of Da Siccness: The Resurrection 1995
music
RIAAによってホラーコア―のマスターピースとされている。
6-8 Esham イーシャム
KKKill The Fetus 1993
music
P237
・デカダンスと胎内回帰
高山宏 「ふたつの世紀末」
18世紀末と20世紀末
前者をゴシック・リヴァイヴァル、後者を悪趣味と呼ばれる文化が
猖獗(しょうけつ)を極めた。
種村季弘が月岡芳年を論じた「デカダンスの論理」
N・N・ドラクリーデス 「芸術家と作品の精神分析」
・・・
p239
・アブジェクシオンから大海的退行へ
フランスの思想家ジュリア・クリスティヴァのアブジェクシオン理論
・恐怖の権力: アブジェクシオン試論
ジュリア・クリステヴァ(ユリア・クリステヴァ、Julia Kristeva / Юлия Кръстева、1941年6月24日[1] - )は、ブルガリア出身のフランスの文学理論家で、著述家、哲学者、精神分析家[1]。ユダヤ系の家庭に生まれた。
ブルガリア出身の思想家ジュリア・クリステヴァ(1941-)が著書『恐怖の権力──〈アブジェクシオン〉試論』(1980)のなかで用いた概念。
一般的に、対象に関わる場合は「おぞましいもの」、行為に関わる場合は「棄却」と訳されるが、原語のabjection(仏:アブジェクシオン、英:アブジェクション)にはこの対象、行為双方のニュアンスが含まれる。
「アブジェクション」とはもともと精神分析の用語であり、主客未分化の状態にある幼児が、自身と融合した状態にある母親を「おぞましいもの」として「棄却」することを意味する。
クリステヴァは、『恐怖の権力』以後の著作でもこの言葉をたびたび用いているが、特筆すべきはそのイメージ論や芸術論への応用である。
その代表例が、クリステヴァ自身が企画した展覧会「斬首の光景」(ルーヴル美術館、1998)に合わせて刊行された展覧会カタログである。同カタログのなかで、クリステヴァは「アブジェクション」をキーワードのひとつとして用いながら、デッサンを中心とする同展の出品作品を大胆な仕方で論じている。
他方、クリステヴァの「アブジェクション」という概念は、ロザリンド・クラウス、イヴ=アラン・ボワの企画による展覧会「アンフォルム」(ポンピドゥ・センター、1996)のカタログのなかで強く批判された。クラウスとボワによる批判の背後には、クリステヴァによる「アブジェクション」(およびそれに影響を受けたアブジェクト・アート)と、彼らの提唱する「アンフォルム」をそれぞれ実体的、操作的なものとして差別化せんとする批評的戦略が読み取れる。
著者 星野太
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フロイトの弟で子ハンガリー人の精神分析家 サンドール・フィレンツィは、子宮回帰願望、羊水へのノスタルジックな退行願望を「大海(タラッサ)的退行」と名付けた。
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p242
・孤独な手
6-9
ブラザー・リンチ・ハング
Brotha Lynch Hung
Coathanga Strangla 2011
music
6-10 ホラーコア、ダーティーラップ
Necro
Gory Days (Instrumentals) 2001
music
2013年、コンプレックス誌は「Dead Body Disposal」を「史上最も暴力的なラップソング25選」の第4位にランク付けした。 2019年、XXL誌は「Dead Body Disposal」を「最も不穏なヒップホップソング25選」の1つに選んだ。
6-11
Necro
Know Con-Science 2018
music
英語版ウィキペディアより
ロン・ラファエル・ブラウンスタイン(Ron Raphael Braunstein、1976年6月7日生まれ)は、ニューヨーク市出身のアメリカ人ラッパー、音楽プロデューサーで、芸名ネクロで 知られている。彼は1999年11月に自身のレコードレーベルPsycho+Logical-Recordsを設立した。彼は兄のイル・ビルと共にヒップホップグループのCircle of TyrantsとSecret Societyのメンバーであり、クール・G・ラップと共にゴッドファーザーズを組んでいる。
彼は11歳でデスメタルバンドInjusticeで演奏し、音楽のキャリアをスタートさせた。彼はヘビーメタルからヒップホップに転向した。1988年、兄でラッパーのイル・ビルの影響を受けてラップを始めた。ネクロはスレイヤーの曲「ネクロフィリアック」から芸名を取った。それ以前は、クライヴ・バーカーの本の登場人物である「マッド・ムーニー」と名乗っていた。彼は1990年頃に最初のデモを作り、 WKCR-FMのストレッチ・アームストロングとボビットのショーでデモバトルコンテストで優勝した。1993年頃、ネクロはフルタイムでラップを始め、「Do The Charles Manson」というデモを作った。1995年、ワイルドマン・スティーブとDJ・リズのショーWBAU 90.3FMでラップを始めた。
音楽スタイル
ネクロはホラーコアと呼ばれるヒップホップのサブジャンルでラップする。
彼はラップメタルをやっており、ラップとデスメタル音楽を組み合わせている。ネクロは、彼の超暴力的なヒップホップスタイルを表現し、メディアによって作られた他のジャンルのラベルと区別するために、彼の音楽を「デスラップ」と呼んでいる。彼の音楽は、デスメタルのビートと、暴力、死、オカルト、ドラッグ、セックスについての明確なラップを組み合わせている。
ネクロは1983年の映画『スカーフェイス』の熱狂的なファンである。ネクロは「Cockroaches」でスカーフェイスの主人公トニー・モンタナをサンプリングしている。また、「Gory Days」では「俺はスカーフェイスのシーンが大好きだ」とラップし、 [ 37 ]モンタナの悪名高いセリフ「お前は俺とヤる、お前は最高だ」をラップし、[要出典]「asBESTos」では同時にこのセリフをサンプリングしている。ネクロはまた、映画のサウンドトラックに登場した「 Push It to the Limit 」からタイトルを取り、自身の曲「Push it to the Limit」のタイトルにしている。スカーフェイス以外のアル・パチーノの作品は、ネクロの作品全体で繰り返しテーマとなっている。ネクロとクール・G・ラップの新しいコラボレーションは、アル・パチーノをスターにした映画「ゴッドファーザー」と同じタイトルの「 The Godfathers」である。 「asBESTos」でネクロは「完全に更生した、元気を取り戻した、再び同化した」とラップしている[ 38 ]が、これは映画「カリートの道」でのアル・パチーノのセリフから直接引用したものである。
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P245
・マヌスとマニエラ
ラテン語でマヌスとは何ですか?
ラテン語で「手」を意味するmanusがmanageの語源だそうです。 「手で馬を巧みにあやつる」からきたとのこと。 マネジメントするとは、思い通りにいかないことを上手くハンドリングしていくということですね。
マニエラ(〈イタリア〉maniera)
《手法の意》芸術家の手法。
衒奇性 マニリールハイト
「衒奇症」の読み方は?
AI による概要
衒奇症(げんきしょう)は、わざとらしい不自然な表情や態度、行為をする症状です。統合失調症の症状の一つで、芝居がかった話し方や身振り、奇抜な服装などがみられることもあります
古典主義もマニエリスムも絶対(神的なもの)を明るみにだそうとする.マニエリスムは神をその力,働き,意志として描き,さまざまな寓意や象徴,夢の世界や綺想とされるもの,あるいは抽象図形が現われる.古典主義は神を本質において描き,マニエリスムは実存において描くのである.マニエリスムの変奏の諸相を詳述する.
・迷宮としての世界 マニエリスム美術 グスタフ・ルネ・ホッケ 訳:種村季弘、矢川澄子 美術出版社
〈マニエリスム〉とは、珍奇なもの、魔術的なもの、自然な現実の彼方、内部に隠されたもの、社会的隔離、貴族的特殊地位への衝動、これら異常なもののなかの自己主張を鋭い才能によって正当化し、創造した西欧文化の反性たる産物である。
それらは嵐を告げる発作を伴いつつ、血の気の乏しさという激しい苛酷さ、不毛のメランコリー、死の不安の無意識のフォルム、震撼させられた生命力の不確定性をもって、たえず見る者たちを襲う。
ここでは〈マニエリスム〉を、後期ルネッサンスと初期バロックの間に位する狭義の時代様式とせず、西欧文化全域に拡大。〈マニエリスム〉を、いわば魔術的に喚起される、古典様式への〈相補概念〉とみる。
その殆んどが本邦未紹介の254図という膨大な図版を裏付けに〈マニエリスム〉全史を走査してユニークな芸術史を形成。その驚くべき博引旁証や、統一ヨーロッパ文化を呼びかける一種秘教的な文明観の魅力は類を見ない。
伝統という見えない中心が刻々にくりひろげる〈迷宮〉のなかで、現代芸術がアリアドネの糸をどのように見出し、どのように見失うかについての批評は、優にわたしたちにとっても、危機意識の開示となるであろう。”(函裏紹介文)
声と手の交流
黒人共同体の集合記憶
良質な恐怖表現の例
・スリー・6・マフィア 「ミスティック・スタイルズ」10曲目 Fuckin’ Wit Dis Click

?悲鳴? 創造をコントロールすることすらできない
神をどうして信じられる?
どうして救いに導ける?
混沌の中に希望はない 現実の向こう側へようこそ そしてこれが君の永遠(永遠)だ
(ジューシー・J) 世界の終わりが来るのが 目に見えている
だから俺は9ミリの銃を詰めて 狩りを始める
くだらない ことを言う黒人野郎 どもを 木から吊るすか 溝に捨てる まで、
このビッチどもは絶対にやめない
お前ら黒人野郎 のうち誰が 本当にあいつらの根性があると思ってる?
彼の家まで歩いて行ってドアをノックして
AKでバックアップされた 12ゲージのバックショットを感じさせてやろう
夜寝る前に、ビッチども 、ひざまずいて祈ったほうがいい
なぜって、ビジネスに なったら、俺たちは自分のビジネスに取り組むんだ
証人なら誰でも 、参加したい人 でも、誰でも拍手するよ
これは本当だ お前ら がラップに盛り込んだ話じゃない
お前らが陰で語ってるデタラメでさえもじゃない
ニガーが帰ってきた 単純明快に言おう 駆け寄れば 脳ミソが吹き飛ぶぞ
縁石の脇にプラスチックのタンタンニナグロック19
20口径のクリップで こんなのと関わりたくないだろ
こんなのと関わりたくないだろ
コーラス×4
だからお前らクリック、お前らクラン お前らクルー全員
このクリックでファック、ファック 俺らは それをお前らのケツにぶち込んでやる
(クープスタ・ニッカ) 男はどんな罪であれ、俺は死ぬと誓う
いつか刑期を 務める前に クープスタの巨漢をビッチにする
俺が殺人をしたら クソッタレなプラスチック9で シボレーで拷問した死体 声が俺を休ませてくれない
これはまだ終わりなのか それとも悪魔からのメッセージなのか
(ニガーの前兆) 彼らは恐怖の門を開く
恐怖の王たちのために 逮捕した事件を拷問した トリプルシックスの顔
それは魔術師だ (あのビッチを殺せ、あのビッチを切り刻め 、
さもないと十字架にかけられるかもしれない
ゆりかご の中で燃えているのにうんざりしている
彼がただ来てくれたらいいのにと思っている
でもこのニナには引き金がないので 、
連続殺人犯のようにすぐに クリックするんだ
本当にあの独房から出てきたんだ お前を殺してやるよ、
ニガ 、俺が彼らを降ろしたときは残念だった
ブレイク・メイン
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6-13
ビリー・ホリデー 奇妙な果実
Strange Fruit 1956 Billie holiday music
6-14
バーベキュー・ブルース
1 Down at Jasper's Bar-B-Que
2 Who Did You Give My Barbecue To?, Pt. 1
3 Pig Meat on the Line
4 Pork Chop Blues
5 Barbecue Bust
6 I Crave My Pig Meat
7 Barbecue Blues
8 Pepper Sauce Mama
9 Pigmeat Blues
10 Gimme a Pig's Foot and a Bottle of Beer
11 Pigs' Feet and Slaw
12 Ham Bone Am Sweet
13 Meat Cuttin' Blues
14 Barbecue Any Old Time
15 Come on Down
16 Barbecue Bess
17 I Heard the Voice of a Pork Chop
18 Pig Meat Is What I Crave
19 Fat Meat Is Good Meat
20 Smoked Meat Blues
21 Meat Man Pete
22 Barbecue Blues
23 Who Did You Give My Barbecue To?, Pt. 2
24 Alabama Barbecue
・Barbecue Bob Hicks - Motherless Chile Blues (1927)
YouTube
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映画 バース・オブ・ネイション 2016 アメリカ史上最大の黒人奴隷反乱
prime
ナット・ターナーの反乱
『バース・オブ・ネイション』(The Birth of a Nation(国民の創生))は、2016年のアメリカ合衆国の歴史ドラマ映画。
1831年にバージニア州サウサンプトン郡で奴隷反乱(英語版)を起こしたことで知られるアフリカ系アメリカ人奴隷のナット・ターナーを描いている。脚本、製作、監督はナット・ターナー役のネイト・パーカーが務めた。パーカーは脚本を書いて投資家たちに出資を呼びかけ、2015年5月より850万ドルの予算でジョージア州で撮影が行われた。パーカーの他、アーミー・ハマー、アヤ・ナオミ・キング(英語版)、ジャッキー・アール・ヘイリー、ペネロープ・アン・ミラー、ガブリエル・ユニオンらが出演した。
映画は2016年1月25日にサンダンス映画祭で披露され、フォックス・サーチライト・ピクチャーズが同映画祭史上最高の1750万ドルで世界配給権を獲得した。同映画祭では米劇作品コンペティション部門で観客賞と審査員賞を受賞し、演出、演技、音楽、映像に関して高い評価を受けた。2016年10月7日に北米で公開され、1586万ドルを売り上げた。
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6-16
リバース・オブ・ア・ネイション DJスプーキー クロノス・クァルテット
musicRebirth of a Nation: DJ Spooky performed by the Kronos Quartet [CD + DVD] by DJ Spooky
国民の再創生
KKKの恐怖の核(ホラーコア)たる映画「国民の創生」に向き合ってこそ、新たな黒人の歴史は紡がれるのだ。
南北戦争とその後の連邦三編時代のアメリカが舞台。北部と南部、それぞれの一家庭の家族史とともに、黒人奴隷解放やリンカーン大統領暗殺が併せて語られる。白人の視点にたった歴史ドキュメンタリータッチの作品。 1915
6-17
リバース・オブ・ア・ネイション パブリック・エナミー
Rebirth Of A Nation 2006 Public Enemy
music
パブリック・エナミー(Public Enemy、PEとしても知られる)は、ニューヨークのロングアイランド出身の社会派ヒップホップ・グループである。政府などの権威を批判する歌詞や、アメリカの政治・社会問題に言及することでも知られている。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において、第44位にランクされた。
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第7章 テクノロジーとしてのヒップホップ
はじまりのヒップホップ
ヒップヒップ・アンダーグラウンド ジェームズ・ブラクストン・ピーターソン
来るべき「アフロ・マニエリスム」に向けての試論――ジェームズ・ブラクストン・ピーターソン『ヒップホップ・アンダーグラウンド』論(連載「音楽批評のアルシーヴ」海外編)
天才ロイ・クリストファーの慧眼
「初期の頃のヒップホップのイメージを見てみると、未来を覗き込んだ感じがする。」と言って、ヒップホップというジャンルそのものをアフロ・フューチャリズムとして読み換えた。
1982年
サイバーパンク映画 ブレードランナー
サイバーパンク漫画 AKIRA
ウィキペディアより
サイバーパンク(英: cyberpunk)は、近未来のディストピアを舞台としたサイエンス・フィクション(SF)のサブジャンルである。人工知能やサイバーウェア(英語版)などのテクノロジーが高度に発達した社会で、抑圧的な支配や腐敗した体制などのディストピアに反抗する姿勢が描かれる。
サイバーパンクの多くは、1960年代から1970年代のニュー・ウェーブ運動に根ざしている。この用語は、ブルース・ベスキ(英語版)の短編小説『サイバーパンク(英語版)』(1983年)が初出である。ウィリアム・ギブスンの小説『ニューロマンサー』(1984年)は、サイバーパンクをジャンルとして確立することに大きく貢献した。その他の影響力が大きいサイバーパンク作家として、ブルース・スターリングやルーディ・ラッカーなどがいる。
代表的なサイバーパンク映画として、フィリップ・K・ディックの小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を原作としたリドリー・スコット監督の映画『ブレードランナー』(1982年)がある。日本のサイバーパンクのサブジャンルは、1982年に大友克洋の漫画『AKIRA』の連載開始と共に始まり、1988年のアニメ映画化を経て普及した。サイバーパンクはゲーム、音楽、ファッションなどにも影響を与えている。
①3大DJの一人アフリカ・バンバータ―奇想のヒップホップ
クール・ハーク
グランドマスター・フラッシュ
アフリカ・バンバータ プラネット・ロック 1982
アフリカ・バンバータ(Afrika Bambaataa、本名:ランス・テイラー(Lance Taylor) 1957年4月17日 - )はアメリカ合衆国ニューヨーク州ブロンクス区リバーサイド出身のミュージシャン、DJ。
ヒップホップの黎明期である70年代から活動しているベテランである。1982年の曲『プラネット・ロック』(Planet Rock)でも知られている。
アフロ・フューチャリズムとは、抑圧された黒人の負の歴史を未来的イメージでポジティヴに書き換えるムーヴメント。
例
・サン・ラー
・奴隷貿易という忌々(いまいま)しい「歴史」をエイリアンによる誘拐という「神話」に置き換える類。
・ジョージ・クリントン
・シャバズ・パレセズ(ヒップホップ)
ヒップホップのサンプリング技術とハッキングの融合
・本「エスケープ・ヴェロシティ」 批評家マーク・デリー
・本 サイバーパンク小説「ニューロマンサー」 ウィリアム・ギブスン
・本「デッド・プレジデンツ」
②ラメルジー―奇想のヒップホップ
Rammellzee RAMM:ΣLL:ZΣΣ
謎につつまれたヒップホップアーティスト、ラメルジー。遺産はジェフリー・ダイチの手に
ヒップホップの歴史の中で、いや、ほかのどんなカルチャーの歴史においても、ラメルジーほど長く大きな影を落とした人物はいないだろう。グラフィティアーティスト、ミュージシャン、そして多才な神秘主義者で周囲にインスピレーションを与える存在でもあったラメルジー。彼は、1970年代から2010年に亡くなるまで、ニューヨークのダウンタウンで活動するさまざまな人の輪の中を駆け抜けた。
ウィキペディア英語版
ラメルジー(RAMM:ΣLL:ZΣΣと表記、「ラム:エル:ジー」と発音、1960年12月15日 - 2010年6月28日)は、ニューヨーク市出身のビジュアルアーティスト、ゴシックフューチャリストのグラフィティライター、画家、パフォーマンスアーティスト、芸術理論家、彫刻家、ヒップホップミュージシャンであり、「ヒップホップ文化に前衛的な要素を導入した立役者」と評されている。
キャリア
1982年のカルト映画『ワイルド・スタイル』でチャーリー・エイハーン監督によってより多くの観客に発見されたラメルジーは、ニューヨークの地下鉄A線、CC線、2線、5線に、別名Hyte、Hytestyr、EG(Evolution Griller the Master Killer)、Sharissk Boo、Razz、MaestroでDONDI、OU3、Ink 76、doctor Revoltと描いたことで、グラフィティ界で早くから名声を博しました。
ワイルド・スタイル Wild Style
公式サイト
まだ「HIPHOP」という言葉も存在していなかった当時、Fab 5 Freddyがハブになり人と人とがつながって、地下鉄やアンダーグラウンドで活動していたグラフィティのカルチャーと、パーティで活動していたDJやMC、ダンサーのカルチャーが融合した映画『ワイルド・スタイル』は出来上がったのだ。
ラメルジーは、スチュアート・アーガブライト、マイケル・ディークマン、下川真一とともにデス・コメット・クルーに時々参加していた。 また、 A-ワン、デルタ2、クール・クール、トキシックからなるタグ・マスター・キラーズというクルーを結成した
ラメルジーは芸術家ジャン=ミシェル・バスキアの友人であり協力者となった。1982年、ラメルジーとトキシックはバスキアがガゴシアンギャラリーでの展覧会の準備をしているロサンゼルスに同行した。彼らはハリウッドにおけるアフリカ系アメリカ人のステレオタイプ的な描写に対抗するため、社会的、政治的な声明として自分たちをハリウッド・アフリカンズと呼んだ。
この3人はバスキアの絵画『チャイニーズ・シアターの前のハリウッドのアフリカ人と映画スターの足跡』(1983年)と『ハリウッドのアフリカ人』(1983年)に描かれている。[ 13 ]ラメルジーは1980年代初頭にまで遡る独特のボーカルスタイルを導入したオリジナルのヒップホップアーティストであった。[ 1 ]
ラッパーのK-ロブとコラボレーションし、バスキアがカバーアートを手掛けた12インチシングル「Beat Bop」は、史上最も価値のある(つまり収集価値のある)ヒップホップレコードだと考える人もいる。[ 14 ] [ 15 ]「Beat Bop」は映画『スタイルウォーズ』にも登場した。
・バスキアとは何者か? 「黒人アーティスト」というレッテルを嫌った男
美術手帳《無題》1982年。前澤友作所蔵作品。
バスキア
サイト Artpedia 近現代美術百科事典
RAMMELLZEE VS K-ROB / Beat Bop 1983
YouTube シングルレコード
「ビート・バップ」は、アメリカのヒップホップアーティスト、ラメルジーとK-ロブの曲です。プロデュースと編曲はジャン=ミシェル・バスキアが担当しました。当初は1983年にタータウン社によってテストプレスとして制作されました。同年、この曲はプロファイルレコードからシングルとしてリリースされ、ヒップホップドキュメンタリー映画『スタイルウォーズ』(1983年)で取り上げられました。
オリジナル盤の希少性とバスキアによるカバーアートにより、「ビート・バップ」は史上最も価値のあるラップレコードの一つとなっている。2017年、ローリング・ストーン誌はこれを「史上最高のヒップホップソング100選」に選出した。
ラメルジーは、ジム・ジャームッシュ監督の1984年の映画『ストレンジャー・ザン・パラダイス』の終盤にカメオ出演している。ラメルジーの影響は、ビースティ・ボーイズやサイプレス・ヒルなどのアーティストにも見られる。
1988年、ラメルジーと彼のバンドGettovettsは、彼の頻繁なコラボレーターであるプロデューサーのビル・ラズウェルと共にアルバム『Missionaries Moving』をレコーディングした。ラズウェルはまた、 1989年のアルバム『Seven Souls 』で作家のウィリアム・バロウズとラメルジーをペアにし、彼のスーパーグループであるPraxisのいくつかのアルバムに彼をフィーチャーした。
ラメルジーは1985年にオペラ『ゴシック未来派のレクイエム』も作曲し、「国防のために収集した情報の一部を米軍に送ることを申し出た」。また、「漫画本やボードゲームを制作して自分のアイデアを広めようとし、ストリートウェアブランドのシュプリームとコラボレーションした最初のアーティストでもあり、1994年に彼らの最初の店で手描きのトラッカーハットを制作した」。
2003年、ラメルジーはデビューアルバム『This Is What You Made Me 』をリリースし、ニューヨークのニッティングファクトリーで、新たに再結成したデス・コメット・クルーと共に演奏した。その後、トラブルマン・アンリミテッドは、 1982年から1984年の間に DCCが制作したレコーディングを再リリースした。
彼らの『Exterior St』からのシングルは、アイク・ヤード、セクシャル・ハラスメント、ヴィヴィアン・ゴールドマンらが参加したコンピレーションアルバム『Anti-NY』に収録された。2004年、ラメルジーはガンマ・レコードのプロデュースによる 2枚目のアルバム『Bi-Conicals of the Rammellzee』をリリースした。
2009年、ラメルゼーはパリのグラン・パレで開催された展覧会で、彼の最後の作品となる『Atomic Note Maestro Atmosferic』を展示した。
2018年、ラメルジーはニューヨーク市のレッドブル・アーツでマックスウェル・ウルフが主任キュレーターを務めた回顧展の対象となった。
2024年にリッツォーリ・エレクタ社は、マクスウェル・ウルフとジェフ・マオが編集した384ページの書籍「RAMM:ΣLL:ZΣΣ: Racing for Thunder」を出版した。
ラメルジー邸はジェフリー・ダイチ・ギャラリーによって代表されています。
アフロフューチャリズム
ラメルジーの作品は、主に言語をテクノロジーとして繰り返し使用することで、アフロフューチャリズムの規範に貢献していると考えられています。アフロフューチャリズムのコンテンツの中心的なテーマの1つは、デジタルデバイドを克服するために言語をテクノロジーとして使用することです。逆に、ラメルジーは「アフロフューチャリズムなど存在しない」と述べ、彼の作品はアフロフューチャリズムの伝統の一部というよりも、より大きなヨーロッパの修道院の伝統の一部であると考えていました。
ゴシック未来派の理論は、現在考えられている英語を解体しようとするものです。イオニアの論文に見られる文字同士の戦いは、言語をアルファベットの抑圧的な性質と戦うための技術として展開しています。この論文で導入された新しい神話は、ラメルジーの言語が解放の力として機能し、デジタル デバイドを軽減できることを示唆しています。
さらに、Rammellzee のLetter Racers は、各文字を銀河の戦いで互いに競わせ、26 文字のアルファベットの受け入れられた標準と機能に象徴的に挑戦することを目的としています。
Rammellzee 氏によるLetter Racersの説明は次のとおりです。
「人類...14世紀には修道士が文字の写本を装飾し、イラストを描いていました。21世紀と22世紀には、アルファベットの文字は競争を通じて、文字の競争や銀河の戦いのために武装されています。これは、THE RAMM:ELL:ZEEと呼ばれる秘密の方程式によって可能になりました。」
ラメルジーはビッグ・オーディオ・ダイナマイトの曲「C'mon Every Beatbox」で称賛されている。
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ラメルジーのグラフィティは「ゴシック・フューチャリング」や「アイコノクラスト・パンツァーリズム」といった難解な造語でブリコラージュされた、独自の宇宙神話のようなものを背景に成り立っている。
美術家の大山エンリコ
「ラメルジーのコンセプトは、協会による編纂とコントロールが文字というメディアの本来の力を奪い、アルファベットという均質体に規格化してしまったという洞察に基づいている。その規格化に抗(あらが)うため、レター・レイサーズ(Letter Racers)と呼ばれる武装した文字たちが、トランスヴァーサス・ウォム(Transversus Womb)というSF的宇宙空間で戦争を繰り広げるというのが物語のあらすじである。
・サン・ラーの神話
・Pファンクの神話
・デトロイト・テクノのドレクシアが作り上げた海中神話
中間航路で奴隷船から海に捨てられた黒人奴隷の妊婦の胎児たちが、海に捨てられたガラクタを拾い集めて海底で独自の黒人技術文明を築き上げたという神話。
地下鉄によって加速された文字のメタモルフォーゼに着目するラメルジーの眼は、パンパータの装着したミラーシェード越しに見た電子化されたサーバーパンク的ニューヨーク像であろう。
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アフロ・フューチャリズム
ヒップホップそのものがアフロ・フューチャリズムである。
7-2
パブリック・エネミー2 パブリック・エネミー
It Takes A Nation Of Millions To Hold Us Back 1988
music
『気狂いピエロ』(きちがいピエロ、フランス語: Pierrot Le Fou)[注 1]は、1965年のフランス・イタリア合作映画。ジャン=ポール・ベルモンド主演、ジャン=リュック・ゴダール監督。ヌーヴェルヴァーグを代表する作品の一つ。
ライオネル・ホワイトの小説『Obsession』(1962年)を原作とする。しかし他の多くのゴダールの作品と同じく脚本と呼べるものはなく、ほとんどのシーンは即興で撮影された。訳書に『気狂いピエロ』(矢口誠訳、新潮文庫、2022年)がある。
『アンダルシアの犬』(フランス語: Un Chien Andalou)は、ルイス・ブニュエルとサルバドール・ダリによる1928年に製作され1929年に公開されたフランスの映画である。
シュルレアリスムの傑作と評される、実験的ショート・フィルム。アナキズムに心酔していたブニュエルによる、「映画の機能を否定した映画」。大筋で男性と女性の情のもつれを描くものの明快なストーリーはなく、冒頭の女性が剃刀で眼球を真二つにされるシーンに始まり、切断され路上に転がった右腕を杖でつつく淑女、手のひらに群がる蟻など、脈絡のない、だが衝撃的な謎めいたイメージ映像が断片的に描かれる。それらはブニュエルとダリが互いに出し合ったイメージ群であり、観客はそれらのイメージから、何かしらを感じ取る事を要求される。
初めて上映された時、ブニュエルは観客の抗議を予想してポケットに投石用の小石を詰め込んでいた。しかし、パブロ・ピカソ、アンドレ・ブルトン、ジャン・コクトー、マックス・エルンスト、ル・コルビュジエ、ルネ・マグリット、ポール・エリュアール、ルイ・アラゴン、マン・レイ、トリスタン・ツァラらを含む観客は拍手喝采で映画を迎え、ブニュエルはシュルレアリスト・グループへの参加が許された[1]。
前述の女性が目を剃刀で切られるシーンでは、ブニュエルによれば死んだ子牛の目を用いたそうである。その事実が世間に広まるまでは、豚や馬の目、もしくは死体やスタッフの手作りによるものなど様々な憶測が飛び交っていた。
楽曲を切り刻む
DJプレミア 代表曲 ゼイ・レミニス・オーヴァー・ユー
DJプレミア(DJ Premier、本名: Christopher Martin、1966年3月21日 - )は、アメリカ合衆国テキサス州ヒューストン生まれのDJ、ミュージシャン、音楽プロデューサー。通称プリモ(Preemo、発音はプリーモに近い)。ヒップホップ・デュオ、ギャング・スターの一人。アメリカのヒップホップ界を代表するプロデューサー(トラックメーカー)である。
・They Reminisce Over You (T.R.O.Y.)
YouTube
「They Reminisce Over You (TROY) 」は、ピート・ロックとCLスムースによる曲で、 1990年に親友のトロイ・ディクソン(ヘビーD&ザ・ボーイズの「トラブル」・T・ロイとしてよく知られている)が亡くなったことにインスピレーションを受けて作られた。この曲は、1992年にリリースされたデビューアルバム「Mecca and the Soul Brother」からのリードシングルであり、後に1990年代初期のヒップホップの定番となった。この曲は、ビルボードホット100で58位、ホットラップトラックチャートで1位を獲得した。この曲には、トム・スコット・アンド・ザ・カリフォルニア・ドリーマーズ のアルバム「The Honeysuckle Breeze」の一部である「Today」からのサンプルが含まれている。
ピート・ロックは原曲の一番美しい部分を中心にトラックを再構成する。
しかし、ころとは違ってプレミアは「誰もが使う定番のサンプルを避け、素材を切り刻んで並べ替えたり、短いサンプルを並べることでミニマルなビートを構築し」た。
ヒップホップのビートメイカーたちはサンプリング・ソースを基本容易に明かさない秘密主義(ヘルメス主義)者が多い。
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P285
ファイブ・パーセンターズ
マルコムXが所属したことで名高いネイション・オブ・イスラムから分派する形で、クランス13Xなる謎多き人物によって創始された秘密結社がファイブ・パーセンターズである。
・本 フェリシア・ミヤカワ 「ファイヴ・パーセンターズ・ラップ」 インディアナ大学出版局 の裏表紙
ファイヴ・パーセンターズは物議をかもした組織で、本質的かつ文化的な勢力である。ネイション・オブ・イスラムで¥の分派で、グループはその信仰の基礎を、ブラック・ムスリムの伝統、ブラック・ナショナリズム、ケメディズム(古代エジプト)のシンボリズム、フリーメイソンの神秘主義、グノーシス主義の精神性に置いている。高セインはしばしば刑務所で勧誘され、非アフリカ系アメリカ人は三五年間の修行期間を終えたあとでのみ、第二構成員として加入を許される。ファイブ・パーセンターズは商業的なラップ、すなわち「ゴッド・ホップ」の力を借りて、人々を改宗させ、関連のある問題を批評し、新たな構成員を勧誘する。
要するにヨーロッパのバラ十字団やフリーメイソンの黒人版のようなもので、アフロ・アメリカン達の「啓蒙」を秘密裏に行っている組織である。(筆者)
フェリシア・M・ミヤカワは、ミドルテネシー州立大学音楽学部の音楽学准教授および大学院研究科長で、2004年より同大学で芸術とポピュラー音楽の伝統の両方のコースを教えています。インディアナ大学で音楽学の博士号と修士号を取得し、リンフィールド大学(オレゴン州マクミンビル)で音楽とフランス語の学士号を取得しました。ミヤカワの研究分野には、ヒップホップ音楽と文化、黒人ナショナリズム、アメリカのポピュラー音楽、アフリカ系アメリカ人の音楽と文学、スピリチュアルと民俗伝統、ジェンダーと教育学、クィア研究などがあります。アメリカ音楽学会や民族音楽学会などの地域および全国会議で論文を発表しており、現在は2冊目の著書であるスピリチュアル「Sometimes I Feel Like a Motherless Child」の伝記を執筆中です。
講演タイトル: すべての人々のためのスピリチュアル: 「時々私は母親のいない子供のように感じる」のディアスポラ的流用
晩年、作曲家のハリー・T・バーレイは、霊歌は「有色人種だけではなく、すべての人々」のためのものだという信念を表明しました。このプレゼンテーションでは、霊歌の 1 つである「Sometimes I Feel Like a Motherless Child」が、さまざまなディアスポラの文脈でバーレイのビジョンをどのように実現しているかを探ります。
・Sometimes I Feel Like a Motherless Child
YouTube
2つのパフォーマンスがケース スタディとして役立ちます。1 つ目は、ドイツ生まれでシリア育ちのニューヨーク移民の演奏家 Gaida によるものです。彼女は、シリア内戦が始まってからわずか数か月後の 2011 年 9 月、ワールド ミュージック セレブレーションで (ジャズ コンボとウードのアンサンブルと共に) マカーム風のジャズ バージョンである学「Motherless Child」を演奏しました。2 つ目は、イスラエルのアーティスト Shlomo Gronich によるもので、彼が 1993 年にエチオピア系ユダヤ人の若者で構成された Sheba 青年合唱団と録音したアルバムに収録されています。これらの例の演奏家は、「Motherless Child」を、離散状態特有の喪失、自由、闘争の表現であると主張しています。
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p286
数におぼれて
1=Knowledge 知識
2=Wisdom 智慧
3=Understanding 理解
4=Culture or Freedom 文化、自由
5=Power or Refinement 力、洗練
6=Equality 平等
7=God 神
8=Build-Destroy 建築-破壊
9=Born 誕生
0=Cipher(サイファー) 暗号
参考
レベル1
グランド・ブパ 「ソウル・コントローラー」 歌詞
レベル2
ブランド・ヌビアン「ウェイク・アップ」 歌詞
レベル3
ラキム クラッシック曲「イン・ザ・ゲットー」
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p288
啓蒙と陰謀
7-7
プア・ライチャス・ティーチャーズ
Poor Righteous Teachers
パパ・ブッシュの新世界秩序
1.大統領を撃ったのは誰だ? (イントロ)
2.ミス・ゲットー
3.言葉は人生
4.同盟国
5.ニューワールドニュース(インタールード)
6.神々、地球、そして85人
7.私の3人の妻たち(シャキラ パート3)
8.いつでも邪悪
9.NATO(グローバルコップス)(インタールード
10.コンシャススタイ
11.カルチャーフリースタイル(インタールード)
12.彼らはギャングスタになった
13.私たちは素敵よ
14.聞いてよ(間奏)
15.この愛のために
16.恐ろしい日
17.シスター
18.アウトロ
英語版ウィキペディアより
『ザ・ニュー・ワールド・オーダー』は、ヒップホップグループ、プア・ライチャス・ティーチャーズが1996年にリリースした4枚目のアルバムで最後のアルバムである。 [ 6 ] [ 7 ]この作品は過去の作品ほどは売れなかったが、高い評価を得た。『ザ・ニュー・ワールド・オーダー』は、PRTのメンバーであるファーザー・シャヒードとカルチャー・フリーダム、エゾ・ブラウン、KRSワン、 DJクラーク・ケントがプロデュースを担当しており、グループの常連であるトニー・Dがプロデュースしていない唯一のアルバムである。ゲスト出演にはフージーズ、 KRSワン、ナイン、ブラザー・J・オブ・Xクラン、ジュニア・リードらがいる。アルバムにはシングル「Word Iz Life」b/w「Dreadful Day」と「Conscious Style」が収録されている。
ライナーノーツにはファイブ・パーセント・ネイションの教えに関する情報が含まれていた。
宮川、フェリシア・M.(2005年4月8日)。ファイブ・パーセンター・ラップ:ゴッド・ホップの音楽、メッセージ、そしてブラック・ムスリム・ミッション。インディアナ大学出版局。ISBN 9780253345745– Google ブックス経由。
Miyakawa, Felicia M. (April 8, 2005). Five Percenter Rap: God Hop's Music, Message, and Black Muslim Mission. Indiana University Press. ISBN 9780253345745 – via
Google Books.
p289
ライナーノーズの最後の二ページには以下のような恐るべきテクストが含まれている。
世界は六千年ものあいだ罪の支配のもとにある。
(中略)
今日世界全体が罪の軛(くびき)の下にあり、ひどく有害な西洋社会の力によって導かれている。
(中略)
神の力のみが、サタンの地上に及ぼす強い影響力を終わらせることができる。
それには神の力(中略)、神の掟のもとにある規律正しい男と女の王国が必要となるであろう。
この王国は艱難辛苦の時と呼ばれる時代の終わりに、神の言葉を通じて裁きを下すであろう。そして、神の力が罪の支配に終止符を打つであろう。
・本 ミルトン・ウィリアム・クーパー 「青白い馬を見よ」Behold a Pale Hors
パンパンに膨らんだ書類挟みのようだった。
身の上話、新聞の切り抜き、そして同書は、謎に包まれた邪悪な世界政府の形成と、世界政府が大衆を奴隷化する取り組みを記録しようとしていた。
世界最終戦争(ハルマゲドン)はすでに始まっている。と語るクーパー。
Behold a Pale Horsは遅ればせながらこの事実を知る人々を啓蒙する書籍だった。
陰謀論ばやりの時代は、そこから抜け出すためのダークな「啓蒙」の表現を見出すものだ。
トランプ政権の時代にニック・ランド「暗黒啓蒙」があったごとく。
「俺たち貧困層の黒人は、見えない勢力に操作され搾取される存在にすぎないのではないか?」
映画 ムーンライト 2016 1:51
prime
マイアミを舞台に自分の居場所とアイデンティティを模索する少年の成長を、少年期、ティーンエイジャー期、成人期の3つの時代構成で描き、第89回アカデミー賞で作品賞ほか、脚色賞、助演男優賞の3部門を受賞したヒューマンドラマ。
『ムーンライト』(英: Moonlight)は、2016年に公開されたアメリカ合衆国のドラマ映画。タレル・アルヴィン・マクレイニー(英語版)による "In Moonlight Black Boys Look Blue" を原案としており、監督はバリー・ジェンキンスが務め、脚本はマクレイニーとジェンキンスの共作で執筆された。出演者は、トレヴァンテ・ローズ、アンドレ・ホランド、ジャネール・モネイ、アシュトン・サンダース、ナオミ・ハリス、マハーシャラ・アリほか。
作品は2015年からフロリダ州マイアミで撮影され、2016年9月2日のテルライド映画祭でワールド・プレミアを迎えた。A24配給の元、同年10月21日にアメリカ合衆国で公開され、世界で2,300万ドルの興行収入を得ている。日本公開は2017年3月31日(配給はファントム・フィルム)。
DJプレミア ギャングスタの名曲 ストリートの暗号 Code Of The Streets
YouTube
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黒人伝統を意識した知性偏重のヒップホップは「意識高い系(コンシャス)ラップ」と呼ばれた。
・ ファイブ・パーセンターズ
・ネイティヴ・タン
コンシャスとは対蹠的に、西海岸ではドクター・ドレのサウンドに代表されるギャング・スタ・ラップが隆盛を極めた。
たいせき‐てき【対蹠的】
〘 形容動詞ナリ活用 〙 正反対の位置関係にあるさま。 正反対であるさま。 たいしょてき。
ダイダロス的(コンシャス)とディオニュソス的(ギャングスタ)という分裂を高いレベルで融合させたのがケンドリック・ラマー。
最高傑作 トゥ・ピンプ・ア・バタフライ 2015
To Pimp A Butterfly
music・BLM運動のアンセムとなった「オールライト」も収録
筆者はラマ―をヒップホップ史の最終到達地点に据える議論に違和感を覚える。
ラマ―の音楽絵巻には、がらくたひしめくマニエリスムの象徴たる驚異博物館(ワンダーカンマー)の猥雑さが感じられない。そこには無駄なもの、くだらないものが入る余地がない。
ヒップホップが本来的にもっていたはずのわけのわからなさ、雑多さ、抑えきれない欲望、収拾のつかなさという、予測不可能な混沌が、らまーの作品から消え失せているのだ。
その「猥雑美学」を実現させ、真の意味でヒップホップのアフロ・マニエシスムを実現したのがNYのスタッテン島から出現したウータン・クランではなかったか?
ケンドリック・ラマー・ダックワーズ(Kendrick Lamar Duckworth、1987年6月17日 - )は、アメリカ合衆国のラッパー、ソングライター、音楽プロデューサーである。度々「ヒップホップの新王者」と称される。
ラマーは12個のグラミー賞受賞を含む、多くの称賛を受けている。2013年初めに、MTVによって「最もホットなラッパー」に選出された[5]。2016年にはタイムの世界で最も影響力のある100人に選ばれた[6]。2018年、アルバム『DAMN.』によってピューリッツァー賞の音楽部門を受賞した初の非クラシック音楽、非ジャズ音楽家となった[7]。
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p296
①ウータンとカンフー映画―ウータン・クラン
ウータン・クランの代名詞といえばカンフーである。
歴史的傑作の誉れ高いファースト・アルバム
萌えよウータン 燃えよウータン
Enter The Wu-Tang 1993
music
映画 少林寺三十六房
Netflix

カンフー映画、また少林寺を題材にした作品の代表作であり、映画マニアでもあるクエンティン・タランティーノは本作を「カンフー映画史上最高の3本に入る」と評している。これによってタランティーノは、自身の監督作品である『キル・ビル』にリュー・チャーフィーをオファーし、それぞれ別役ながら2作品どちらにも出演している。
日本では1983年に東映系列で劇場公開され、1985年1月12日にフジテレビ「ゴールデン洋画劇場」でテレビ初放映されている。日本版ではオープニングおよびエンディング部分に山崎アキラが唄う日本版オリジナル主題歌『Shaolin Fighter(ショウリン・ファイター)』が挿入されている(エンディングはフルコーラス。作詞:Greg Starr 作曲:Max Montgomery)。
2004年にDVD化[2]、2013年には続編2作『続・少林寺三十六房』『新・少林寺三十六房』を含めたBlu-rayBOXがリリースされた。
将軍がある家族を裏切り、父親は殺され、八人の子供は六人殺され残り一人は発狂し、一人は僧侶になる。
黒人ゲットーでは血で血を洗う抗争は日常茶飯事。
「棍」は「こん」と読みます。「棍」の意味は次のとおりです。棒、杖、棍棒、根、条、ばくち打ち、悪党、 訴訟ごろ。
RAZによれば
「その映画はリアルだったからだ―それは俺たちが生きている現実の反映なんだ」
②数秘術―ウータン・クラン
RZAは中国の軍略書「兵法三十六計」の愛読者でもある。
チェス盤 64マス。64は創造の基本数である。
7-7
リキッド・ソーズ
LIQUID SWORDS 1995 THE CHESS BOX
music
RZA(リッザ、本名 ロバート・ディグス(Robert Diggs)、1969年7月5日 - )は、アメリカ合衆国のニューヨーク市ブルックリン区ブラウンズヴィル出身のヒップホップ・アーティスト、プロデューサー、ラッパー、俳優、映画監督。
人物
名前は、本名の頭文字と、「カミソリ」を意味する「Razor」をもじったもので、曲中では「レザ」と発音されることが多い(ときに「Razor Sharp」と自称する)。ウータン・クランの事実上のリーダーであり、またグレイブディガズの一員でもある。
ウータン・クラン(Wu-Tang Clan)は、アメリカのヒップホップグループ。
概要
Wu Tang Clan & Cilvaringz(2004年)
1992年頃にRZAの実質的な主導の下でメンバーが集結し結成された。「ウータン」という名前はカンフー映画「少林寺武者房」(少林與武當 / Shaolin and Wu Tang)に登場する武当派から取られた。クランは 氏族という意味の英語。 1993年にデビュー作『燃えよウータン』"Enter the Wu-Tang (36 Chambers)" を発表。
その後メンバーのソロ活動が活発化し、グループとしての活動は行われなかったが、5年の空白を経て1997年にセカンドアルバムを発表。 再びソロ活動の期間をはさんだ後、2000年、2001年と連続してアルバムを発表。2004年にはオール・ダーティ・バスタードが急死する悲劇があったが、それを乗り越えて2007年には新作を発表した。
③蛇行・カオス・ポリフォニー―ウータン・クラン
サイボーグ・ラキムの「正確という病」のひたすら直線的・流線形・機械的なフローに対し、ウータンは「至高の数学」という幾何学に敬意を表しつつも、そこに、曲線、混沌、グロテスク、ディオニソス的なもの、ポリフォニー、予測不可能性をぶつけた。
④博識家としてのRZA―ウータン・クラン
予測不可能な知の雑食性
アフロ・マニエリスムの極北
真の意味でダイダロスとディオニソスの「対立物の一致」を果たし、なおかつハリー・スミスの部屋のような驚異的不潔を保ったのはウータン・クランであった。
あたまでっかちな「至高の数学」は少林寺拳法に出会い、機械は猥雑なる受肉を果たしたのだ!
筆者の考えるアフロ・マニエリスムの現時点の最高到達地点は、ウータンである。
2025年2月24日 14:05 完了
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参考
・ウータン・クランの魅力を学ぼう!芸人引退…さようならパーティ内山【音楽シリーズ特別編
YouTube ・ランディーエムシー Run-D.M.C. music
Run-D.M.C.(ラン・ディーエムシー)は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市出身のヒップホップ・グループ。ラップとロックを融合した先駆け的存在として知られている。2002年に活動休止。
ローリング・ストーン誌の「オールタイム・グレイテスト・アーティスト100」において第48位[1]。
1984年のファースト・アルバム「Run-D.M.C.」は、ミリオン・ヒットを記録し、ヒップ・ホップのアルバムとして、初のゴールド・ディスクを獲得。1985年の主演映画「クラッシュ・グルーブ」は、全米週末興行収入成績第2位を記録するヒットとなった。
8-1
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・ニルヴァーナ Nirvana
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