2025年2月12日水曜日

☆ロックとは?

 ロックとは?


ウィキペディアより

概要

 ロックンロールは、R&B、ブルースとカントリーなどを融合することで誕生した。その後ビートルズの登場により、ロックンロールは抽象的な要素を含むようになり「ロック」と呼ばれるようになっている。1950年代から1960年代初頭のラブ・ソング主体のポップスやロックンロールとは異なり、「ロック」の歌詞は、体制に対する反乱、政治・社会的問題、芸術、恋愛、哲学など、幅広いテーマを扱っていた。


 音楽のロバート・クリストガウは多くの場合、白人中流階級のミュージシャンが優勢なジャンルであるとも述べているが、実際にはビートルズ、ザ・フー、アニマルズなどイギリスのロッカーには、「白人労働者階級出身者」が多かった。アメリカのブルース・スプリングスティーンも、労働者の一部のアイコンとなっていった。


 社会音楽学者サイモン・フリス(英語版)は、ロックは「どこかポップ以上のもの、どこかロックンロール以上のもの」であり、それは「ミュージシャンが、スキルやテクニックに重点をおき、それをロマンチックなアート表現のコンセプトと組み合わせたからだ」とした。またロックは、ブルース・ギタリストやエレクトリック・ギタリストの強い影響を受けて発展してきた。

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サブジャンル

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初期

 ロックンロールという言葉は、1951年にDJのアラン・フリードによって、ダンス向きの黒人音楽を指す言葉として名付けられたとされる。1954年にはビル・ヘイリーとヒズ・コメッツの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」が発表され、さらに1956年にエルヴィス・プレスリーがロカビリーで成功を収めると、多くのアーティストがロックの演奏をはじめ、ロックは音楽の一大ジャンルとなった。ロックは時を置かずイギリスにも上陸したものの、一方アメリカでは商業化の進展とともに活力が失われていき、1950年代末から1960年代初頭にかけては一時失速した。フォークのプロテスト精神を継承し、ロック・ミュージックは政治行動や人種、性別、セックス、ドラッグに対する社会的態度とも結びついており、旧世代による体制や、消費主義に対する若者による反乱でもあった。

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ブリティッシュ・インヴェイジョンとフォーク・ロックほか


1960年代を象徴するアイドルロックグループとなったビートルズ

1960年代後半の時期は、ロックの「黄金時代 (golden age)」「ルネッサンス」、後にクラシック・ロック(classic rock)とも呼ばれた。


 1964年、ビートルズはロックンロールが誕生した国、アメリカへの上陸を果たし、全米チャートでヒットを連発することになった。ビートルズ以外にも、エリック・バードン率いるアニマルズやローリング・ストーンズ、ザ・フー、キンクス、ゾンビーズ、デイヴ・クラーク5といったイギリスのロック・バンドなどがこの時期にアメリカでヒットを出したことから、これはブリティッシュ・インヴェイジョン (British Invasion: イギリスの侵略)と呼ばれる。アメリカでもブリティッシュ・インヴェイジョンの影響を受けて、後にガレージロックと呼ばれるグループが次々と登場し、一部のバンドは成功を収めた。その中で特に人気を博したのは、カリフォルニア出身のビーチ・ボーイズであった。ニューヨークで結成されたヴェルヴェット・アンダーグラウンドは、商業的な成功を収めることはできなかったが、ルー・リードの実験的音楽性や文学的素養からアート・ロックと呼ばれ、ドアーズやザ・ストゥージズ、後のパンク・ロックやニュー・ウェイヴに影響を与えた。


 また、時を同じくしてブリティッシュ・インヴェイジョンの影響を受けたフォーク・グループも次々と登場した。これらのグループの多くは元々はフォークを演奏していた若者たちによって結成されたものであり、彼らの音楽性もフォークからの影響を受けたものであったため、この動きはフォーク・ロックと呼ばれた。フォーク・ロックの代表的アーティストには、ボブ・ディラン、バーズ、タートルズ、ママス&パパス、ボー・ブラメルズ、グラスルーツ、バッファロー・スプリングフィールドなどがいた。1960年代末からは、サンタナなどのラテン・ロックカントリーロックのニール・ヤングやイーグルスも登場した。


 このころには、1967年にカリフォルニア州のモントレーでモントレー・ポップ・フェスティバルが開催されたのを皮切りに大規模なロック・フェスティバルが各地で開催されるようになり、なかでも1969年に行われたウッドストック・フェスティバルは40万人もの観客が集結した伝説的なイベントとして語り継がれている。

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ハードロックとグラム・ロック

 1960年代末にレッド・ツェッペリン、クリームなどが登場し、ブルースをよりロック的に演奏することに重点を置くようになった。エレクトリックギターのエフェクター類の発展や、大音量の出せるPA等も、これらの新しいサウンドを支えた。そしてビートルズ(曲「ヘルタースケルター」)、ジミ・ヘンドリクス、クリーム、キンクスなどをルーツしたハードロックが登場した。ディープ・パープル、レッド・ツェッペリンは1970年代前半に商業的成功を収めたハード・ロックとなった。グランド・ファンク・レイルロード、フリー、ブラック・サバス、マウンテン、ユーライア・ヒープらが後に続き、1970年代にはその影響を受けたクイーン、キッス、エアロスミスがデビューした。1970年代前半には、派手なメイクのT・レックス、デヴィッド・ボウイ、ロキシー・ミュージック、モット・ザ・フープルやアリス・クーパーらのグラム・ロックも人気を博した。

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プログレッシヴ・ロック


 1960年代末には実験的サウンドへの志向が強まり、長尺の曲や、難解な歌詞、楽器の演奏技術を極限まで極める傾向も出てきた。この傾向はヨーロッパ、特にイギリスにおいて強かった。シンセサイザーやメロトロンなど最新の楽器を使用し、クラシックを背景に高度な技術を駆使したロックはプログレッシブ・ロックと呼ばれた。代表的なバンドにはピンク・フロイド、イエス、キング・クリムゾン、エマーソン・レイク・アンド・パーマー、ジェネシス、ムーディー・ブルースなどがいた。

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パンク/ニューウェイヴ


 1970年代前半のプログレッシブ・ロックやハードロックが隆盛だったが、75年以降は産業ロックがチャートに目立つようになってきた。それに対して「ロックは死んだ」と宣言しストレートでシンプルなロックに回帰したのが、1970年代後半に生まれたパンク・ロックだった。

1973年デビューのニューヨーク・ドールズや、1970年代半ばに登場したパティ・スミスラモーンズ、ディクテイターズなどにより1975年ごろ誕生したといわれるパンク・ロック(いわゆるニューヨーク・パンク)は、ラモーンズのロンドン公演などを機にロンドンでも存在が知られるようになる。

 1976年末にはダムドが活動をはじめ、翌年にはセックス・ピストルズが結成され、ジャム、ザ・クラッシュ、ストラングラーズらが続きロンドン・パンクが興隆、社会現象となった。当時のロンドン・パンクは、1960年代のシンプルなロックンロールの原点に戻った。パンクは、テクニックを気にしないアグレッシヴな演奏、右翼からの襲撃対象となる程、権力や体制に反抗的で過激なロックだった。パンクが短期間で終息した後は、スティッフ、2トーンらのインディー・レーベルによるニュー・ウェイヴが登場した。 ニュー・ヴェイヴの代表的ミュージシャン、バンドとして、エルヴィス・コステロ率いるジ・アトラクションズやポリス、トーキング・ヘッズ、ジョイ・ディヴィジョン、ニュー・オーダー、パブリック・イメージ・リミテッドなどがいる。

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オルタナティブ・ロックとグランジ

 1980年代以降、メインストリームから外れ、パンク・ロックなどの影響を受けたオルタナティヴ・ロックが台頭した。代表的なバンドとして、ザ・ストーン・ローゼズ、プライマル・スクリーム、ザ・スミス、R.E.M.、ソニック・ユース、ピクシーズ、スマッシング・パンプキンズなどがいる。中でも、パンク・ロックとヘヴィメタルの要素を融合したグランジは、ニルヴァーナ、パール・ジャム、サウンドガーデンなどを生み、ロックの潮流を大きく変えた。


 電子音楽やノイズミュージックとハードロックやヘヴィメタルを融合したインダストリアル・ロックも登場した。代表的なバンドとして、ミニストリーやナイン・インチ・ネイルズなどがいる。


また、ヒップホップの台頭を受け、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、コーンなど、ファンクやヘヴィメタルとヒップホップを融合させるバンドも現れた。

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ブリットポップ

 1990年代、ロンドンやマンチェスターを中心に、ブリティッシュ・インヴェイジョン、グラム・ロック、パンク・ロックといったイギリスのロック黄金期の影響を受けたブリットポップと呼ばれるバンドが多くデビューした。代表的なバンドとして、ブラー、オアシス、スウェード、パルプ、ザ・ヴァーヴなどがいる。また、フィードバック・ノイズやディストーションなどを複雑に用いたギターによるミニマルなリフの繰り返し、浮遊感のあるサウンドが特徴のシューゲイザーも登場する。代表的なバンドとして、マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン、ジーザス&メリーチェイン、ライドなどがいる。

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ポストロック

 1990年代以降、ギターをリフやパワーコードではなく音色や響きを重視して演奏するなど、ロックの枠組みにとらわれない新しいサウンドを目指すアーティストが出現する。代表的なミュージシャンとして、シカゴ出身のトータスジム・オルークがいる。


 テクノ・ミュージックの隆盛により、ロックとテクノを融合させたアーティストも多く生まれた。代表的なミュージシャンとして、マッシヴ・アタックプロディジーケミカル・ブラザーズなどがいる。また、ブリットポップ出身のレディオヘッドがエレクトロニカの要素を強め、電子音楽とロックの境界はさらに縮まった。


 2000年代以降は、音楽性の多様化でロックをカテゴライズするのが難しくなっていく。

パンクやニューウェイヴの流れをくむガレージロックでは、ザ・ホワイト・ストライプスザ・ストロークスザ・リバティーンズアークティック・モンキーズなどがいる[45]。

ダンス・ミュージックとパンクを融合したダンス・パンクでは、LCDサウンドシステム、フランツ・フェルディナンド、!!!などがいる。

プログレッシブ・ロックとヘヴィメタルを融合したプログレッシブ・メタルでは、トゥールやアイシスがいる。

インストゥルメンタルを主軸に置くポストロックでは、モグワイやゴッドスピード・ユー!・ブラック・エンペラーがいる。

実験音楽やサイケデリック・ロックなどを融合したドリーム・ポップでは、シガー・ロスやアニマル・コレクティヴがいる。

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プログレッシブ・ロック

ウィキペディア

プログレッシブ・ロック(英: Progressive rock)は、1960年代後半のイギリスに登場したロックのジャンルの1つ。進歩的、革新的なロックを意味する。世界ではプログ・ロック(「prog」または「prog rock」)、日本での一般的な略称は「プログレ」。代表的なグループには、ピンク・フロイド、キング・クリムゾン、イエスなどがある。

 プログレッシブ・ロックは、実験的・革新的なロックとして、それまでのシングル中心のロックから、より進歩的なアルバム志向のロックを目指した。1960年代後半に誕生し、全盛期は1970年代前半である。当初の進歩的・前衛的なロック志向から、一部のクラシック音楽寄りな音楽性が、復古的で古色蒼然としていると見られ、1970年代半ばから後半にかけて衰退したとされている。ピーター・バラカンはプログレッシブ・ロックの全盛期が短かったことを指摘している。後年、マリリオン、アネクドテンなどの登場により、復活してきている。


ぼくが愛するロック名盤240 




 プログレッシブ・ロックとは進歩的ロック、クラシック的ロック、アート・ロック、前衛ロック、実験的ロックなどの概念を包括したジャンルである。プログレッシブ・ロック・バンドはロックに、クラシックやジャズ、フォーク、地域音楽などを融合させた。


ピンク・フロイド

キング・クリムゾン

イエス

マリリオン music

アネクドテン


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ローリング・ストーンが選ぶ史上最高のプログレ・ロック・アルバム50 

サイト

1. ピンク・フロイド『狂気』(1973年) music


2. キング・クリムゾン『クリムゾン・キングの宮殿』(1969年) YouTube

 ※amazon musicなし

3. ラッシュ『ムービング・ピクチャーズ』(1981年) music


4. ピンク・フロイド『炎 あなたがここにいてほしい』(1975年) music


5. イエス『危機』(1972年)


6. ジェネシス『月影の騎士』(1973年) 


7. ジェスロ・タル『ジェラルドの汚れなき世界』(1972年)


8. カン『フューチャー・デイズ』(1973年)


9. ジェネシス『眩惑のブロードウェイ』(1974年)


10. イエス『こわれもの』(1971年)

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ドリーム・ポップ

ウィキペディアより

ドリーム・ポップ (Dream pop) とは1980年代から発展したロックのサブジャンルのひとつ。元来はめまいを誘うような浮遊感のある音世界が特徴で、エコーやリバーブ、ディレイ・エフェクトなどを駆使して演奏される。

起源・特徴

1980年代中盤にコクトー・ツインズやThe PassionsやLowlifeといったポストパンクバンドが、ポップなメロディーを幻想的で官能的なサウンドをもって鳴らしたことがドリーム・ポップの始まりとされている。そういった初期のドリーム・ポップは、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの「日曜の朝」やジョージ・ハリスンの「レット・イット・ダウン」、ジョン・レノンの「夢の夢」といった曲の息遣いの混じったボーカルや雰囲気のあるサウンドに影響を受けていた[1]。特徴としてリフよりも幽玄なムードに焦点を置き、高音域の女性ボーカルや囁くような男性ボーカル、内省的な題材の歌詞などがあり、アルバムジャケットにはぼやけたような淡い色彩のものや飾り気のない殺風景なデザイン、またはこの二つの要素を足したものが好まれた。概して4ADレーベルがこのジャンルのアーティストを最も多く輩出したことで知られており、他にクリエイションやプロジェクト・レコーズなども多くのドリーム・ポップ・ミュージシャンの育成に貢献している。

シューゲイザー

 1980年代後半-1990年代前半にかけてイギリスで流行したシューゲイザーは、ドリームポップの一部として扱われている。マイ・ブラッディ・ヴァレンタインやライド、スロウダイヴ、ラッシュ、チャプターハウスといったバンドは、ドリーミーなメロディーをフィードバック・ノイズを用いて、攻撃的または幻想的に鳴らした。

1990年代~2000年代前半

1990年代~2000年代前半は、シガー・ロス、M83、マーキュリー・レヴ、アソビ・セクス、ミュー、ブロークン・ソーシャル・シーン、シンリシュープリーム、アミューズメント・パークス・オン・ファイアといったバンドが活躍した。この時期はスロウコア、サッドコア、ポストロックといった新たに誕生した音楽ジャンルと混ざり合いながら、シューゲイザー以降の新たな可能性を模索した[2]。


2000年代後半~

2008年頃からインディーミュージックシーンでドリーム・ポップが人気になり始める。ピッチフォークといった音楽メディアの後押しもあり、ビーチ・ハウス、バット・フォー・ラッシーズ、ザ・エックス・エックス、シルバーサン・ピックアップス、アニマル・コレクティヴ、ダイヴ、ザ・レディオ・デプトといったバンドが成功を収めている。


ドリーム・ポップ・バンド リスト

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参考記事

正しいドリーム・ポップ入門 ―進化するネオ・サイケデリアの遺伝子

ドリーム・ポップとは何か?

ドリーム・ポップ(Dream pop)とは何か?と言う疑問に明確に回答出来た記事は未だ見た事が無い。結論から言えば、「サウンド面での定義や規定が無いから」なのだが、それにはいくつかの理由があるので最後まで読んで貰えると嬉しい。


ドリーム・ポップの由来

日本では多くの場合、Cocteau Twins(コクトー・ツインズ)を祖と説明しているが、これは半分正解で半分間違っている。”ドリーム・ポップ”と言う言葉はA.R. KaneのAlex Ayuli(アレックス・アユリ)が自身のバンドのサウンドを表現するために使用した事が由来となっている。さらに、音楽評論家のSimon Reynolds(サイモン・レイノルズ)がこの言葉を採用してシューゲイズの初期段階についての説明を行った事が世に認知されるきっかけとなった。英語版のWikipediaにも明記されている。

因みに日本語版Wikipediaには、残念ながら”功労者”とされているA.R. Kane、Simon Reynoldsの名前は記されていない。

・A.R. KANE - Green Hazed Daze YouTube

・Kevin Shields of My Bloody Valentine - Part 1: Obsession | Jazzmaster 60th Anniversary | Fender YouTube

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再定義のトリガーとなったSlowdive

シューゲイズがそうであったように、新たな世代のアーティストがシーンの中核となると、ジャンルの再定義が必ず起きる。ドリーム・ポップにおいてはSlowdiveが再結成後初となるスタジオアルバム「Slowdive」を発表した2017年以降にそれが起きたように思う。

また、拡大解釈と再定義は似て非なるものだ。例えば、リバーブを多用したスロウコア、サッドコアのバンドに対して、サウンドが近いと言う理由でドリーム・ポップとするのは拡大解釈であり早計である。何故なら、スロウコアはグランジに対するカウンターであり、シューゲイズの系譜では無いからだ。

※理解できない。バンド名なのか、音楽のジャンルなのか、言葉がわからない。

ではトリガーとなったSlowdive以降が再定義されたドリーム・ポップなのかと言うと、そうでも無い。再定義と言うのは再発見でもあるのだ。


・Slowdive 2017 music

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“再定義”以前と以後、全てを含めた20年代の幕あけ

 現代のドリーム・ポップ・バンドの多くがその影響を挙げているのがThe Sundaysである。しかし、彼ら自身はThe Smithsの影響を受けており、デビューアルバムもThe SmithsをリリースしていたRough Tradeから。当時は当然ではあるが、ドリーム・ポップとは紹介されておらず、再定義以前ではイギリスのオルタナティブ・バンドであった。


The Sundays – Here's Where The Story Ends (Official Video) YouTube

1.Reading Writing And Arithmetic 1990 music  好き

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・Kevin Shields ケビン・シールズ

 1.The Death of Patience 2007 music 壊れたラジオみたいな騒音

 2.The Coral Sea 2008 パティ・スミス & Kevin Shields music 騒音はないが詩を朗読しているだけに感じる。

ウィキペディア英語版より

 ケヴィン・パトリック・シールズ(1963年5月21日生まれ)は、アイルランド系アメリカ人のミュージシャン、歌手、ソングライター、音楽プロデューサーであり、オルタナティブロックバンド、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインのリードボーカル兼ギタリストとして世界的に有名になった。彼らのスタジオアルバム『Isn't Anything』(1988年)と『Loveless』 (1991年)は、シールズをシューゲイザーのジャンルの先駆者として確立した。彼のテクスチャーのあるギターサウンドとギターのトレモロシステムの実験は、「グライドギター」テクニックを生み出し、それは彼の細心の注意を払った制作テクニックとともに、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインのサウンドの特徴的な要素となった。

・Isn't Anything music 好きかも

イズント・エニシング マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン 1988

・Loveless 1991 music ギターがすごい


 1990年代後半にマイ・ブラッディ・ヴァレンタインの解散後、シールズはエクスペリメンタル・オーディオ・リサーチ、ヨ・ラ・テンゴ、ダイナソーJr.、モグワイなど、様々なバンドやアーティストのゲストミュージシャン、プロデューサー、エンジニア、リミキサーとして頻繁に参加するようになった。1998年にはプライマル・スクリームのツアーメンバーになった。シールズはソフィア・コッポラの2003年の映画『ロスト・イン・トランスレーション』のサウンドトラックにオリジナル曲を数曲提供し、この作品で英国映画テレビ芸術アカデミー(BAFTA)賞とアイルランド映画テレビアカデミー(IFTA)賞にノミネートされた。[ 3 ] [ 4 ] 2008年、シールズはパティ・スミスとのコラボライブアルバム『The Coral Sea』をリリースした。

・映画 ロスト・イン・トランスレーション prime



マイ・ブラッディ・ヴァレンタインは2007年に再結成し、2013年2月に3枚目のスタジオアルバム『mbv 』をリリースした。このアルバムはシールズが全曲作曲し、シールズが作家のスランプに陥っていたと噂されていた1990年代後半から制作されていた。シールズはそれ以来、ローリング・ストーン誌の「最も偉大な100人のギタリスト」やスピン誌の「歴史上最も偉大な100人のギタリスト」など、いくつかの出版物のベストリストに取り上げられている。ビリー・コーガンやJ・マスシスなど、複数のミュージシャンも彼に影響を与えた人物として挙げている。

・mbv 2013 music ×響かなかった

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