シュープリームス The Supremes
ウィキペディアより
ザ・スプリームス(The Supremes)は、アメリカ合衆国の4人組ガールズ・グループ。1959年結成、1977年解散。長い活動期間の中で所属レコード会社や音楽性は何度か変わっているが、その全盛期は1964年ごろから1969年までである。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第96位。
日本では従来、supreme(「最高位の、最大級の」の意)の英音 [s(j)ʊpɹíːmz, s(j)uː-] から“シュープリームス”と表記されていた。21世紀に入り、米音 [səpɹíːmz, sʊ-] に近づけて“スプリームス”と表記する例が多いが、より原音に近い発音は「ザ・スプリームズ」であるものの、依然として作品には“シュープリームス”の表記が用いられる。
歴史
1959年、ザ・プライメッツ(The Primettes)として結成。オリジナルメンバーは、ダイアナ・ロスとメアリー・ウィルソン、フローレンス・バラードにベティ・マグロウンの4人。ベディはすぐバーバラ・マーティンに替わり、そのバーバラも抜けて1961年、ザ・スプリームスと改名してモータウンと契約した頃には3人組となっていた。
スプリームスは、モータウンの社長ベリー・ゴーディ・ジュニアの強力なプッシュを受け、ホーランド=ドジャー=ホーランドの作曲・プロデュースの下でヒットを連発した。1963年10月の「恋のキラキラ星」で初めてビルボードTop40内にチャートイン。そして、1964年6月の「愛はどこへ行ったの」が、初の全米No.1となったのを皮切りに、シングルが5作連続全米No.1を記録、スプリームスは一躍全米のアイドルグループとなる。その他の60年代の代表的なヒット曲には「ストップ・イン・ザ・ネイム・オブ・ラヴ」「恋はあせらず」「恋ははかなく」「ベイビー・ラブ」「ラブ・チャイルド」などがある。66年のアルバム『シュープリームス・ウイスキー・ア・ゴーゴー』はガール・グループのアルバムが、アルバムチャート1位になった最初の例だという。
その後、1969年のダイアナ脱退前の最後のシングルとなった「またいつの日にか(Someday We'll Be Together)」まで、合計「12作の全米No.1ヒット」を生み出した。
1967年、ダイアナだけを前面に押し出したベリーの売り方に不満を募らせ、アルコール中毒に陥ったフローレンスが解雇され、シンディ・バードソングが加入。グループ名も、ダイアナ・ロス&ザ・スプリームス(Diana Ross & the Supremes)となった。1969年には、ダイアナ・ロスが独立しソロに転向[注 1]。替わりのリード歌手としてジーン・テレルが加わる。
ダイアナの抜けた70年代以後のザ・スプリームスは、ベリーの強力な後ろ盾を失ったことで次第にヒット・チャートからは遠ざかったものの、メアリーをリーダーとしてメンバーを入れ替えながら活動を続けた。1972年には、シンディの代わりにリンダ・ロウレンスが参加。1973年、ジーンとリンダが脱退し、再参加となるシンディとシェリー・ペインが加入。1976年には、再びシンディが抜け、代わりにスーゼイ・グリーンが参加した。フローレンスは、その後ソロ歌手として2枚のシングルを出したがヒットせず、1976年に32歳で死去している(この悲劇を脚色して描いたのが、ミュージカル『ドリームガールズ』である)。
1977年、最後のオリジナルメンバーであったメアリーが独立を決意し、ロンドンでフェアウェル・コンサートが行われた。一般的には、この時点でスプリームスの歴史は幕を閉じたとされている。
1986年、元メンバーであるジーンとシェリー、リンダの3人が集まり、新たにスプリームスとして活動を再開する。オリジナルメンバーのいないこのスプリームスは、The FLOS(The Former Ladies of the Supremes 、「元・スプリームスの淑女たち」の略)と呼ばれて、オリジナルとは区別されている。ジーンの引退など、若干のメンバーチェンジを経て、このグループは現在も活動を続けている。
一方、全盛期のメンバーであるダイアナとメアリー、シンディの3人での再結成の動きもなくはなかったが、1983年、NBCテレビの特番での騒動をきっかけに、ダイアナとメアリーの不仲が表面化し、マスコミで報じられた。
1988年、ロックの殿堂入りを果たした。
2000年、ダイアナは、スプリームス再結成ツアーの計画にメアリーとシンディを誘ったが、プロモーターの提示するダイアナとの待遇の違いから2人は固辞、代わりにFLOSからリンダとシェリーが加わったが、高価なチケット代金に加えて全盛期のメンバーでない2人への風当たりは強く、この中途半端な再結成プロジェクトは、ツアー半ばで打ち切られた。
2021年2月8日、メアリー・ウィルソンがラスベガスの自宅にて死去。死因は明らかにされていない。76歳没。
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主なヒット曲
When the Lovelight Starts Shining Through His Eyes(1963) - 邦題「恋のキラキラ星」。3人組として初のヒット曲。 music
◎Where Did Our Love Go(1964) - 邦題「愛はどこへ行ったの」 music
Baby Love(1964) - 邦題「ベイビー・ラヴ」 music
Come See About Me(1964) - 「カム・シー・アバウト・ミー」」 music
Stop! In the Name of Love(1965) - 邦題「ストップ・イン・ザ・ネイム・オブ・ラヴ」。 music
・イギリスのグループ、Holliesがカバーしてヒットさせた。
Back in My Arms Again(1965) - 邦題「涙のお願い」 music
I Hear a Symphony(1966) - 邦題「ひとりぼっちのシンフォニー」 music
◎You Can't Hurry Love(1966) - 邦題「恋はあせらず」 music
(フィル・コリンズがカバーし、83年にヒットさせた。)
My World Is Empty Without You(1966) - 邦題「二人だけの世界」 music
Love Is Like an Itching in My Heart(1966) - 邦題「乱れるハート」 music
◎You Keep Me Hangin' On(1966) - 邦題「ユー・キープ・ミー・ハンギン・オン」
日本ではヴァニラ・ファッジのカヴァーの方が知られていた時期が長かった。またキム・ワイルドが87年にヒットさせている。
Love is Here and Now You're Gone(1967) - 邦題「恋ははかなく」 music
The Happening(1967) - 邦題「恋にご用心」 music
Love Child(1968) - 「ラブ・チャイルド」 music
I'm Gonna Make You Love Me(1968):テンプテーションズと共演したヒット曲。ケニー・ギャンブルが作曲に関わっている。 music
I'm Livin' in Shame(1969) - 邦題「スラムの小鳩」 music
Someday We'll Be Together(1969) - 邦題「またいつの日にか」 music
これ以降は、ダイアナ脱退後の楽曲。
Stoned Love(1970) music
全米7位を記録した、ダイアナ脱退後のスプリームスの代表曲。
I'm Gonna Let My Heart Do the Walking(1976) music
アルバム
・The Supremes
1962 Meet The Supremes
1964 Where Did Our Love Go
1964 A Bit of Liverpool
1965 The Supremes Sing Country, Western and Pop
1965 We Remember Sam Cooke
1965 More Hits by The Supremes
1965 Merry Christmas
1966 I Hear a Symphony
1966 The Supremes A' Go-Go music
1967 The Supremes Sing Holland–Dozier–Holland music
1967 The Supremes Sing Rodgers & Hart
・Diana Ross & the Supremes
1968 Reflections
1968 Diana Ross & the Supremes Sing and Perform "Funny Girl"
1968 Diana Ross & the Supremes Join The Temptations
1968 Love Child
1969 Let the Sunshine In
1969 Together
1969 Cream of the Crop
・The Supremes
1970 Right On
1970 The Magnificent 7
1970 New Ways but Love Stays
1971 The Return of the Magnificent Seven
1971 Touch
1971 Dynamite
1972 Floy Joy
1972 The Supremes Produced and Arranged by Jimmy Webb
1975 The Supremes
1976 High Energy
1976 Mary, Scherrie & Susaye
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ダイアナ・ロス
ウィキペディアより
ダイアナ・ロス(Diana Ross、Diane Ernestine Earle Ross、1944年3月26日 - )は、アメリカ合衆国のポップ・ソウルの女性歌手。
1959年 - 1969年、スプリームス
ミシガン州デトロイト出身。ハイスクール時代の1959年に、女性4人組のコーラス・グループ、プライメッツを結成。プライメッツは、1961年にモータウンと契約、3人組となってザ・スプリームスとしてデビューした。
ダイアナは、ザ・スプリームスのリードシンガーとして「恋はあせらず」、「愛はどこへ行ったの」、「ストップ・イン・ザ・ネイム・オブ・ラヴ」、「キープ・ミー・ハンギン・オン」、「ベイビー・ラブ、ラブ・チャイルド」など、数々のヒット曲を放ち、スターの仲間入りを果たした。ヒット曲の多くは、モータウンの看板作曲家チームのホーランド=ドジャー=ホーランドの作品である。元々、ダイアナ一人が目立っていたザ・スプリームスだったが、1967年にはメンバーチェンジを機に、ダイアナ・ロス&ザ・スプリームスと正式にグループ名が変わった。68年から69年にかけて、ますますリードシンガーのダイアナ一人に注目が集まるようになったが、メアリー・ウィルソンとシンディ・バードソングはバックで歌い続けた。
1970年以降/ソロ時代
ザ・スプリームスの人気が一段落した1970年に、ダイアナはグループを脱退。ソロ歌手として活動を始める。ソロ転向後も、同年リリースの「エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ」(1970)[注 3]を皮切りに、「タッチ・ミー・イン・ザ・モーニング」(1973)、「マホガニーのテーマ(Theme from Mahogany (Do You Know Where You're Going To))」(1976)、「ラブ・ハング・オーバー」、「アップサイド・ダウン」、「アイム・カミング・アウト」などの大ヒットを放ち、ソロ歌手としての地位を確立した。また70年代後半のディスコ全盛時代には、ゲイのDJやゲイのディスコ客らによって、ドナ・サマー、グロリア・ゲイナーらと並んで「ディスコ・クイーン」の地位にまつりあげられた。
1971年、ビリー・ホリデイの伝記映画『ビリー・ホリデイ物語/奇妙な果実』に主演として起用され映画女優デビューした。この配役に関して批判もあったが、1972年10月に映画が公開されると、彼女の演技は好評だった。ロスの演技によりゴールデングローブ賞およびアカデミー賞の主演女優賞にノミネートされ、ゴールデングローブ賞新人賞を獲得した。サウンドトラックもヒットし、Billboard 200で2週連続第1位を獲得し、発売後8日間で30万枚を出荷し当時の記録を破った。200万枚近くを売り上げ、ロスのアルバムのベストセラーの1つとなった。
1975年に公開された、ロスの2本目の映画『マホガニー物語』でも主演を務め、ロス自身が衣裳デザインを担当した。ファッション・デザイナーを志望する女性がトラブルに巻き込まれながらランウェイ・モデルとなり業界最高峰となる話であった。監督は当初トニー・リチャードソンであったが製作途中で降板し、ベリー・ゴーディが引き継いだ。ゴーディとロスは撮影の最中衝突し、ロスは撮影終了前にプロダクションから離脱したためゴーディは秘書のエドナ・アンダーソンをボディ・ダブルに起用した。興行収入の上では成功したが批評家からの評価は低く、『タイム』誌はゴーディを「アメリカで最も才能のある者の1人であるダイアナ・ロスの無駄遣い」と非難した。1976年、『ビルボード』誌のランキングでロスが歌う主題歌が第1位を獲得した。
1977年、モータウンはライマン・フランク・ボームの『オズの魔法使い』を全員アフリカ系アメリカ人出演者によりブロードウェイで上演していた『ザ・ウィズ』の映画化権を獲得した。当初映画には舞台出演者が多く出演することになっていた。しかしドロシー役は舞台版ではステファニー・ミルズが演じていたが、ロスが映画プロデューサーのロブ・コーエンに自分を配役するよう掛け合ったためにドロシー役はロスが配役された。このためドロシーは学生から学校の先生に脚本が変更された。カカシ役も舞台で演じた役者ではなく元モータウンのマイケル・ジャクソンが配役された。映画『ウィズ』は2,400万ドルで製作されたが、1978年10月公開以降興行収入は2,105万ドルであった。公開前にCBSにテレビ放映権を1千万ドルで売却していたが、モータウンとユニバーサルは1,040万ドルの損失となった。当時ミュージカル映画で最も高額な製作費であった。この映画の失敗により、ロスの大作映画での短いキャリアは終了し、1970年代初頭から中期にかけてのブラックスプロイテーション時代に人気のあった全員黒人出演者による映画製作はハリウッドから遠のいていった。『ウィズ』はロスにとってモータウンで最後の映画となった。
1973年初頭、ホリデイの「Good Morning Heartache」のロス版はあまりヒットしなかったが、1975年後期、「Theme from Mahogany (Do You Know Where You're Going To)」はロスにとって3枚目の第1位となった。3年後、ロスとマイケル・ジャクソンの「Ease on Down the Road」はまずまずのヒットとなった。彼らの2枚目のデュエットで『ウィズ』のアンサンブルの一部であった『Brand New Day』は海外でもヒットした。1980年後期、映画『It's My Turn』のテーマ曲がトップ10にランクインした。
1980年の「アップサイド・ダウン」では、ナイル・ロジャースのプロデュースによるディスコ・サウンドとセクシーなイメージ戦略で新境地を開いた。翌1981年には元コモドアーズのシンガーソングライターであるライオネル・リッチーと映画『エンドレス・ラブ』のテーマ曲「エンドレス・ラブ」をコラボレートし、この曲は全米1位を記録し、アカデミー賞主題歌賞にノミネートされ、モータウン・レコード最後のヒット曲となり、年間でも第1位の曲となった。
1985年にはUSAフォー・アフリカに参加し、ウィ・アー・ザ・ワールドのブリッジ部分でリード・ボーカルを採った。 1984年に不慮の死を遂げたマーヴィン・ゲイ(1973年にデュエット作をリリース)に捧げた「ミッシング・ユー」の後は、アメリカではヒットに恵まれていないが、1988年、ロスは『リトルフット』のテーマ曲をレコーディングした。
日本では1990年に「イフ・ウィ・ホールド・オン・トゥゲザー」がテレビドラマ『想い出にかわるまで』の主題歌に採用され、ヒットとなった。
1993年、テレビ映画『Out of Darkness』に出演し、女優業を再開した。この演技は称賛され、ゴールデングローブ賞3回目のノミネートとなった。1999年、ブランディと共にテレビ映画『Double Platinum』に主演し、その直後にアルバム『Every Day Is a New Day』がリリースされた。
2000年以降
2000年には、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで行われた「ディーヴァズ・ライヴ“ダイアナ・ロス・トリビュート”」に、マライア・キャリーやドナ・サマーらと共に出演し、2005年にはアイルランドのアイドルグループ、ウエストライフがダイアナとのデュエット曲をリリース、久々の現場復帰を果たした。
また、幼い頃から親交が深いマイケル・ジャクソンの事件やトラブルの時は弁護し、マイケルのドキュメンタリーにも出演している。遺言書にマイケルの子供達の後見人であるマイケルの母キャサリン亡き後の後見人に指名されているが、マイケルの追悼式や埋葬式には出席しておらず、これを受けるかに関しても公に発言していない。
子女の芸能界入りおよび婚姻(娘のトレイシー・エリス・ロスは女優となり、息子のエヴァン・ロス(英語版)は歌手となって女優のアシュリー・シンプソンと結婚)により、現在のロス一家が徐々に芸能家族となっている。
ナンバーワン・ヒッツ
ダイアナはスプリームス時代に12曲、ソロとして6曲、計18曲のBillboard Hot 100 1位のヒットを放っている。これはザ・ビートルズの20曲に次ぐ史上2位の記録である。
スプリームス時代
Where Did Our Love Go(1964)
Baby Love(1964)
Come See About Me(1964)
Stop! In the Name of Love(1965)
Back in My Arms Again(1965)
I Hear a Symphony(1965)
You Can't Hurry Love(1966)
You Keep Me Hangin' On(1966)
Love is Here and Now You're Gone(1967)
The Happening(1967)
Love Child(1968)
Someday We'll Be Together(1969)
ソロ
Ain't No Mountain High Enough(1970) music
Touch Me In the Morning(1973) music
◎Theme from Mahogany (Do You Know Where You're Going To)(1975) music
・・歌詞和訳 ブログ
Love Hangove(1976) music
Upside Down(1980) music
◎Endless Love(1981) music
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