2025年2月19日水曜日

☆弘田三枝子 和製R&B娘

弘田三枝子

きっかけ

 大野雄二のウィキペディアを見て


ウィキペディアより


 弘田 三枝子(ひろた みえこ、本名:竹永 三枝子〈たけなが みえこ〉、1947年〈昭和22年〉2月5日 - 2020年〈令和2年〉7月21日[1])は、日本のポップス、歌謡歌手。愛称は「MICO(ミコ)」、「(パンチの)ミコちゃん」。


 歌唱力とパンチの効いた歌声で、洋楽をカバーした和製ポップスを歌ってヒットをさせ、和製R&B娘とも評された。後のミュージシャン(都はるみ、南沙織、大瀧詠一、山下達郎、竹内まりや、桑田佳祐ら)に多大な影響を与えた。

経歴

 世田谷区立三宿小学校の生徒だった頃から劇団こまどりに入り、幼稚園の頃FENのラジオに魅せられて歌手になることを決意。母の協力のもと、7歳の頃から自らの意思でティーブ・釜萢の「日本ジャズ学校」に週1回バスで通い、英語の発音の基礎からスパルタ教育を受け、8歳から進駐軍のキャンプで歌っていたともいい、駒沢学園女子中学校の1年生の頃からは本格的に進駐軍キャンプでポップスやジャズなどを歌っていた。曲を提供されて自分の世界にもっていくために、家での練習(本人曰く「小稽古」)の際、歌詞を理解してメロディーを体に入れてから(本人曰く「儀式」)、自ら考案した記号を譜面に記載したうえで、自ら歌唱したテープを確認し歌をものにしたうえで収録に臨んだという。この儀式は、レコードデビューからラストシングル収録まで続けられたという。ジャズで鍛えたスキャットを得意とし、決まったコードの中で様々な絵が描けるので、あらかじめ決めないでスリルを感じながらその場でスキャットを奏でて楽しんでいたという。


 晩年まで、空き時間に最新曲をiPodで聴き漁るなどして、採り入れ、学ぶ姿勢を失わなかったという。自らの歌唱待ちの舞台袖で椅子をすすめられても勉強になるといって立ったまま他の歌手の唄に耳を傾ける姿や、自ら先輩に良くしてもらったことを理由にスタッフをはじめ後輩らにも謙虚な姿勢で接する姿は、多くの同業者・スタッフに好意的に受け止められていた。


ダイナマイト娘

 1961年に東芝音楽工業から、草野浩二担当のもと、「和製ブレンダ・リー」のキャッチフレーズをうたい「子供ぢゃないの」(ヘレン・シャピロのカバー)でデビュー(草野の兄である漣健児訳詞)。当時14歳。翌1962年には各社競作で出された「ヴァケーション」(コニー・フランシスのカバー)が20万枚のヒットを記録する。他に青山ミチ、伊東ゆかり、金井克子らも同曲をカバーした。青山版は3万枚の小ヒットだった。同年NHK紅白歌合戦に初出場。1973年の森昌子に破られるまで紅組最年少出場記録保持者であった。1964年1月に11年ぶり2度目の来日を果たしていたエラ・フィッツジェラルドの楽屋を訪ねた際、エラから直々に「養女にしたい」とまで言われている。


 1964年10月に日本コロムビアへ移籍。新幹線で移動中、グレンミラー楽団を引き連れ来日していた当時のニューポート・ジャズ・フェスティバルを主催していたジョージ・ウエインと出会い、「小さな日本のジャズシンガー」と紹介された弘田に興味を持ったウエインは、後日東京のスタジオを借り、自らの伴奏で何曲か歌唱・録音させた。その結果、1965年7月に、東洋人歌手として初めてアメリカ合衆国の「ニューポート・ジャズ・フェスティバル」に招待され、ビリー・テイラー・トリオのゲスト・ヴォーカリストとして出演した。3日目の夜、降雨による中断の後、ビリー・テイラー・トリオにトニー・スコットが加わったカルテットをバックに「ジャスト・ワン・オブ・ゾーズ・シングス (Just One of Those Things)」、「ミスティ (Misty)」、「ムーン・リバー (Moon River)」、「マック・ザ・ナイフ (Mack the Knife)」と、「三階節」のジャズ編曲版を歌い、トリを務めた。その足でニューヨークに渡り、譜面の中から、ボビー・ヘブに先んじた「サニー(Sunny)」等のオリジナルジャズを、自ら選んで録音し、ビリー・テイラー・トリオ演奏のもと(トニー・スコットはプロデューサーに徹した)アルバム「ニューヨークのミコ」を制作した。

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☆ニューヨークのミコ ニュー・ジャズを唄う 1966 music

★1965年、日本人シンガーとして初のニューポート・ジャズ・フェスティバルに出演し絶賛され、NYにてこの名盤をレコーディング。名曲「サニー」は弘田が世界初レコーディングした。

Side A

1 ライト・ヒア・ライト・ナウ 

2 サニー 

3 レイジィ・ラヴィン 

4 ランブリン・ローヴァー 

5 アイム・カミン・ホーム・ベイビー 

Side B

1 アイ・ウィッシュ・アイ・ニュー 

2 ザ・メッセージ 

3 フライング・ホーム

弘田 三枝子(Vocal) 

ビリー・テイラー(Piano) 

ベン・タッカー(bass) 

グレディ・テート(drums)

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 2か月ほど渡米・渡欧。その成果として1968年5月30日にはリズム・アンド・ブルースのコンサートをサンケイホールにて開き、ライブアルバムを制作し、日本におけるリズム・アンド・ブルースの先駆けとなった。

カムバック

 弘田は、60年代前半あたりまでは好調を保っていたが筒美京平らが曲を提供したにもかかわらず、それ以後のGSブームなどには完全に乗り遅れてしまった。60年代初頭のアメリカン・ポップスやオールディーズを歌う歌手という古いイメージを払拭し、カムバックを果たしたのが川口真作曲の「人形の家」である。弘田は1969年10月20日、「人形の家」でオリコンチャート首位となり、第11回日本レコード大賞の歌唱賞を受賞した。他方、1966年に雑誌スイングジャーナルの人気投票「ジャズ・ヴォーカル女性歌手」部門でトップに立ち(1970年まで5年連続。それまでのトップはマーサ三宅。)、小規模なジャズライブを中心に活動していた弘田が、カムバックという形で再度表立った活動を始めたことに対して、コアなジャズファンから、ジャズイベントの楽屋などで「弘田三枝子は堕落した」と言われたという。

 海外での活動としては、1973年、第11回チリ・ポピュラー音楽フェスティバルで5位に輝き、同年に第13回ブルガリア音楽祭(en:Golden Orpheus)にゲストとして招待され、50分ほどのワンマン・ショーを披露した。

ダイエット本出版

カムバックに際し、弘田はダイエットによる大幅な減量をしていたが[3]、この経験も踏まえ1970年に『ミコのカロリーBOOK』を出版した[15]。この本はベストセラーとなり「芸能人のダイエット本の先駆け」[16]、「タレントダイエット本の元祖」と評され、150万部を超えたともいわれる[17]。同年のベストドレッサー賞を受賞した。この後、イヴ・サン=ローランとタイアップしていき、ファッションリーダーとしても活躍していくこととなった。

 後の2019年11月28日にNHKで放送された「ネーミングバラエティー 日本人のおなまえっ!」の「ストレスの原因?単位のお名前」の回において、「カロリー」という言葉を日本に普及させた人物として紹介された。

渡米

その後、渡米し1977年にはニューヨークでアルバム『Mieko In New York』を自主制作、さらに当地で結婚、娘を出産して母となったが、1979年9月に帰国して歌手活動を再開し、1980年には自ら作曲したシングル「ミスターシャドー」を東芝EMIから発売した。


1983年にはキングレコードへ移籍し、アルバム『TOUCH OF BREEZE』やシングル「愛のNOKORIGA」などを発表する。


平成以降

 2006年にレコードデビュー45周年を迎え、「弘田三枝子じゃずこれくしょん」CD8枚組BOXを発売[24]。「Everything」「接吻」「SWEET MEMORIES」「いとしのエリー」 「駅」など、はじめて日本の楽曲をカバーした。ジャマイカでツインズ=スライ&ロビーと初めてのレゲエを吹き込む。


 2015年10月21日、レコードデビュー55周年記念として32年ぶりの新曲「悲しい恋をしてきたの」を発売。ボーナス・トラックに「人形の家」のピアノバージョンを収録した。

 2020年7月20日、千葉県内の自宅で倒れ、同県内の病院に搬送されるも、翌21日午後10時31分、心不全のため73歳で死去。葬儀は親族のみで密葬として行い、6日後の27日に訃報が発表された。同年はレコードデビュー60周年にあたり、記念曲の制作や記念コンサートの開催などを企画していたが、新型コロナウイルス感染拡大で「来年に持ち越しね!」とスタッフと話し合っていたという。同年6月15日に公開されたYouTubeでの日本歌手協会リレー歌謡祭第46弾での電話での自身の曲紹介(「人形の家」)が公の場での最後の肉声となった。最後のテレビ出演は、2019年11月12日に開催された第46回日本歌手協会歌謡祭夜の部で歌われた「夢みるシャンソン人形」で、翌2020年1月2日に「日本歌手協会新春12時間歌謡祭【第4部】」内で放送された。また、最後のライブは2019年12月8日に名古屋市の星神社で催された御本殿竣功奉告祭になった。

 2020年11月20日、第62回日本レコード大賞特別功労賞受賞。

アルバム

1962 ヒット・キット・パレード

1962 ヒット・キット・パレード 第2集

1963 スタンダードを唄う

1963 ヒット・キット・パレード 第3集

1963 日本民謡を唄う

1965 ヒット・キット・ミコ 第1集

1965 ヒット・キット・ミコ 第2集


1966 ニューヨークのミコ ニュー・ジャズを唄う 

1967 ミコ・ミュージカルを唄う 

1971 Rock Rock ロックの歴史を歌う

1971 ミコより愛をこめて From Miko With Love

1972 弘田三枝子の世界 

1972 愛の歌~弘田三枝子オリジナル・アルバム

1973 JAZZ TIME~弘田三枝子ベスト・ジャズ・アルバム 

1974 The Nearness of You〜弘田三枝子 イージー・リスニング・ジャズ 

1974 Good Old Days Forever 

1974 イエスタデイ・ワンス・モア 

1975 愛のめぐり逢い Then Came You

1975 私の好きな唄~帰り来ぬ青春 

1976 My Funny Valentine 

1977 IN MY FEELING

1978 Step Across 

1980 MIEKO HIROTA 76/45

1983 TOUCH OF BREEZE  

1998 華麗度 ~ MICO is Kaleidoscope 

1999 東京27時 

2008 マイ・タペストリー 

2005 弘田三枝子 MICO TODAY 

2008 McIntosh Reference Vocal Sound Jazzing-Mico

2018 Isn't It Romantic? 

ライブアルバム

1966 ミコ・イン・コンサート 

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1968 ミコR&Bを歌う/弘田三枝子オン・ステージ 

 ・コロムビア昭和歌謡アーカイブズ ミコR&Bを歌う music

A1 Twinkie Lee Written-By – J. F. Bright*

A2 I Can't Stop Loving You Written-By – D. Gibson*

A3 Sunny Written-By – B. Hebb*

A4 Massachusetts Written-By – B. Gibb, M. Gibb, R. Gibb*

A5 A Hard Day's Night Written-By – J. Lennon, P. McCartney*

B1 Lady Madonna Written-By – J. Lennon, P. McCartney*

B2 By The Time I get To Phoenix Written-By – J. Webb*

B3 If You Can Want Written-By – Robinson*

B4 Respect Written-By – O. Redding, Jr.*

B5 What'd I Say Written-By – R. Charles*

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1969 ミコR&Bを歌う 第2集 

・コロムビア昭和歌謡アーカイブズ ミコR&Bを歌う(第2集) music 

1 ノック・オン・ウッド

2 シッティング・オン・ザ・ドック・オブ・ザ・ベイ

3 愛する貴方を失くして

4 ラヴ・チャイルド

5 やさしき伴侶を

6 カミン・ホーム・ベイビー

7 チェイン・オブ・フールス

8 コットン・フィールズ

9 オー・ハッピィ・デイ

10 ブラック・イズ・ブラック

11 ホールド・オン

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1972 MIKO LIVE 

1973 MIKO LIVE at RIVERA~ミコ・ライブ'73 

1973 Recital At The Festival "The Golden Orpheus '73" (Live From Bulgaria) 

1976 MIEKO IN PERSON~弘田三枝子リサイタル 

1998 ミコ・ジャズ・ライブ・イン・北九州 

2004 弘田三枝子・LIVEこれくしょん 

ベストアルバム

1970 Miko 70 ポピュラー・ビッグ・ヒッツ 

1975 ベスト・ジャズ・アルバム 

2006 弘田三枝子・じゃずこれくしょん 

2013 弘田三枝子・せれくしょん 〜ジャズ・ヒッツ 

2013 弘田三枝子・せれくしょん~ポピュラー・ヒッツ



・ドーベルマン刑事のテーマ(1977年7月1日、ドーベルマン刑事)ソウルミュージックをベースにしつつも、タイトルのイメージを崩さないようにするため、詞をできる限り少なくし、スキャットでまとめたという YouTube

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・弘田三枝子 洋楽カバー YouTube

・Mieko Hirota - Ah! Soul...Introducing Miko On Stage(Live)(Full Reel) YouTube

記事  

MIKO / 弘田三枝子 MIEKO HIROTA / ロックの歴史を歌う ROCK ROCK (2LP)

 MICO(ミコ)の愛称で当時は「ポップスの女王」とも謳われた和モノ・ファンには避けて通れない女性シンガー「弘田三枝子」の'71アルバム。ロック古典からビートルズ、R&Bまで海外の名曲を取り上げた「ロックの歴史を歌う」と題したカバー・アルバム。ジャズピアニスト「佐藤允彦」、弘田三枝子、笠井紀美子作品も手掛けるジャズ・ピアニスト~作曲家のコルゲンこと「鈴木宏昌」、日本のジャズ・シーンを牽引した名ピアニスト「菊地雅章」、作曲、アレンジャーとして数多くの作品を残したジャズ・ピアニスト「前田憲男」等、和ジャズ界の重鎮達がアレンジを施した見逃せない一枚!!!演奏はコロムビア・オールスターズ。ソウル定番OTIS REDDING"RESPECT"のグルーヴィーなソウル・カバーのA6、アレサ・フランクリンの"チェイン・オブ・フールズ"、疾走感溢れるグルーヴの"ブラック・イズ・ブラック"、エディー・フロイド"ノック・オン・ウッド"、サム&デイヴ"ホールド・オン"等黒い歌唱とグルーヴィーな演奏が光るソウル古典ナンバーが注目ですが、それ以外もビートルズの"ハード・ディズ・ナイト"他全4曲のビートルズ・ナンバー、ベン・タッカー作、ハービー・マンの演奏でヒットしたナンバー"カミン・ホーム・ベイビー"をド渋にジャジーに取り上げたC4、BLOOD SWEAT & TEARS"スピニング・ホイール"等全編素晴らしい内容!!本当は全部試聴させたい位の内容です。今回帯なしでの入荷でプライシング下げてますが帯付はレアです!!

TRACK LIST

A1,ロック・アンド・ロール・ミュージック

A2,ハード・ディズ・ナイト

A3,愛さずにはいられない

A4,ペイパーバック・ライター

A5,マサチューセッツ

A6,リスペクト

B1,ホワット・アイ・セイ

B2,シッティング・オン・ザ・ドック・オブ・ザ・ベイ

B3,チェイン・オブ・フールズ

B4,ブラック・イズ・ブラック

B5,ラブ・チャイルド

B6,ノック・オン・ウッド

C1,ホールド・オン

C2,ホンキー・トンク・ウイメン

C3,愛する貴方を失くして

C4,カミン・ホーム・ベイビー

C5,ジョンとヨーコのバラード

C6,オー・ハッピイ・デイ

D1,アクエリアス (輝く星座)

D2,ゲット・バック

D3,カム・トゥゲザー

D4,スピニング・ホイール

D5,レット・イット・ビー

D6,ユーヴ・メイド・ミー・ソー・ベリー・ハッピー

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