ジャック・ホワイト
ウィキペディアより
ジャック・ホワイト(Jack White, 出生名John Anthony Gillis, 1975年7月9日 - )は[2]、アメリカ合衆国のミュージシャン、音楽プロデューサーおよび俳優。様々なバンド、およびソロ・アーティストとして活動しているが、ザ・ホワイト・ストライプスのリード・ボーカリストおよびギタリストとして最も知られている。2012年4月24日、ソロ・デビュー・アルバム『Blunderbuss』を、2014年6月10日に2枚目のアルバム『Lazaretto』を発表した。どちらも商業的にも批評的にも成功した。
Blunderbuss 2012 music
Lazaretto 2014 music
ホワイトは、デトロイトでいくつかのバンドでドラム奏者として活動した後、1997年、デトロイト出身でのちに妻となるメグ・ホワイトとザ・ホワイト・ストライプスを結成した。2001年のヒット・アルバム『White Blood Cells』からのシングルおよびミュージック・ビデオの『Fell in Love with a Girl』がヒットし、世界的名声を得た。これを機にロレッタ・リン、ボブ・ディランなどの著名アーティストとコラボレートする機会を得た。
・The White Stripes music
White Blood Cells 2001 music Fell in Love with a Girl は4曲目
2006年、ホワイトはブレンダン・ベンソンとザ・ラカンターズを、2009年にザ・キルズのアリソン・モシャートとザ・デッド・ウエザーを結成した。
ザ・ラカンターズ The Raconteurs
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ザ・デッド・ウエザー The Dead Weather プロフィール
狂おしき香り HOREHOUND 2009 music
amazonレビュー
1967〜69年にタイムスリップできる作品。極めて高い中毒性。
60年代末期のガレージサウンドを、この21世紀にそっくりそのまま追体験できるかの如き作品。
ヴェルヴェッツやストゥージズが有していたアングラ性が、ローファイ&ローテクプロダクションで再現され、ダークかつディープな独特の世界が展開されている。
あるいは、これまでジャックが関わってきたプロジェクトの中で、最もオーソドックスなハードロックに傾斜した作風であるということもできるだろう。例えば、ZEPやSABBATHが、その結成直後に作っていたデモテープなんかが何処かに残っていたとしたら、おそらくこんな音になっていたんじゃないだろうか。
ブルース色も極めてよく出ていて、反面、パンキッシュな部分は若干抑え気味になっている。
メンバーの趣味が、そのまま純粋に作品に反映されたアルバムであり、およそ商業ベースに載せられるシロモノではない。
が、このコアなサウンドは、強烈な中毒性を有していて、一度引き込まれるとなかなかそこから抜け出すことが出来ない。その意味では、やはりこれは、あの頃の匂いを忠実に再現している作品なのだろう。
メンバーの演奏も素晴らしく(特にDsに転身したジャックのプレイは秀逸。ボンゾを彷彿させる)、得も言われぬ緊迫感に満ち溢れている。
2009年を代表する一枚になっていると思う。
が、残念なのがVoの力量不足。
というか、このアリソンという人、このバンドの方向性に合っていないように感じられる。
THE KILLSというユニット(スイマセン、未聴です)でキャリアを積み、各方面から高評価を得ているシンガーなので、本来実力は十二分にあるはずなのだから、僕がそういう風に思うと言うことは、やはり、ミスマッチ感以外の何ものでも無いのだろう。
これならジャックが歌ったほうが良かったんじゃないかとも思うが、彼にしてみれば、彼女を使うことで、新しい可能性を試してみたかったんだろう。
その点が悔やまれる部分ではあるが、全体としては秀作になっていると思う。
ストライプス無き今、今後の動向に要注目だ。
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ホワイトは批評的にも人気の上でも成功し続け、2000年代のガレージ・ロック・リバイバルの鍵となる人物の1人に数えられる。グラミー賞を8回受賞し、ソロ・アルバム2枚とも『ビルボード』誌のチャートで第1位を獲得した。『ローリング・ストーン』の選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において、2010年の改訂版では第70位にランクされた。2011年、同誌のライターであるデイヴィッド・フリックのリストでは第17位となった。
2007年の「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」においては第50位。
ホワイトは著名なブルースのアーティストの物を含むヴィンテージのギターなどの楽器を多く収集している。アナログ技術とレコーディング技術を熱心に推奨し、アメリカ議会図書館の全米レコーディング保護協会の委員に名を連ねている。彼のレコード会社およびスタジオのサード・マン・レコードでは自身の作品同様他のアーティストや地元の児童の作品をレコードで出版している[6]。『Lazaretto』は、1991年より集計が始まった発売初週のレコード売上記録を塗り替えた。
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