2025年2月9日日曜日

レッド・ツェッペリン

 レッド・ツェッペリン


ウィキペディアより

 レッド・ツェッペリン[nb 1](Led Zeppelin)は、1968年にロンドンで結成されたイギリスのロックバンド。メンバーはボーカリストのロバート・プラント、ギタリストのジミー・ペイジ、ベーシスト/キーボード奏者のジョン・ポール・ジョーンズ、ドラマーのジョン・ボーナム。ブルースやフォークミュージックなど、さまざまな影響を受けたスタイルでありながら、重厚なギターサウンドで、ハードロックやヘヴィメタルの先駆者の一つとして挙げられている。レッド・ツェッペリンは、特にアルバム・オリエンテッド・ロック(AOR)とスタジアム・ロックの発展において、音楽業界の性質に大きな影響を与えたとされている。


 結成当初、ニュー・ヤードバーズと名乗ったレッド・ツェッペリンは、アトランティック・レコードと契約を結び、かなりの芸術的な自由を与えられた。当初は批評家に不人気であったが、10年間の活動で8枚のスタジオアルバムをリリースし大きな商業的成功を収めた。

1969年のデビュー作である『レッド・ツェッペリン I』は、いくつかの国でトップ10を記録し、「グッド・タイムズ・バッド・タイムズ」、「幻惑されて」、「コミュニケイション・ブレイクダウン」などの曲をフィーチャーしていた。


レッド・ツェッペリン II』(1969)は最初の全米ナンバーワンアルバムであり、「ランブル・オン」と「胸いっぱいの愛を」を生み出した。


1970年には「移民の歌」をフィーチャーした『レッド・ツェッペリン III』をリリースした。


レッド・ツェッペリン IV』(1971)として一般に知られている題名の無い4枚目のアルバムは、3700万枚の売り上げを記録した。同作には「ブラック・ドッグ」、「ロックン・ロール」、「天国への階段」が収録された。「天国への階段」はロック史上最も人気があり影響力のある曲の一つである。

『聖なる館』(1973)は、「オーシャン」、「丘のむこうに」、「レイン・ソング」を生み出した。

2枚組アルバムの『フィジカル・グラフィティ』(1975)は「トランプルド・アンダーフット」と「カシミール」をフィーチャーし、彼等の音楽の多面性を見せ、4枚目のアルバムから『フィジカル・グラフィティ』迄の約5年間がアルバムの売上げや評価の高さと共にライブも充実した彼等の「黄金期」と呼べるものだった。 

活動の中盤から後半にかけて行われた一連のツアーは数々の記録を打ち立て、ツアーの滞在先のホテルでのグルーピーとの乱痴気騒ぎは当時評論家から批判されたが今では伝説化している。 ペイジはバンドの活動初期に曲の大半を執筆し、プラントが歌詞の大半を創作した。ジョーンズが作曲したキーボードベースの曲は、活動後期に彼らの音楽の中心となり実験的な曲も増加したが、後期になるとペイジの薬物中毒も酷くなり、ラストアルバム『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』では、才能を枯渇させたペイジに代わりジョーンズの主導で曲作りが行われたと言われている。 

また『プレゼンス』(1976)や『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』(1979)を含む作品の頃になると、プラントの車の事故や息子の感染症による急死等バンド内に不吉な出来事が起こりアルバムリリース間隔も空き、1980年のボーナムの死後に結局グループは解散する事になった。

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音楽性

 レッド・ツェッペリンの音楽のルーツはブルースであった。初期の2枚のアルバムはマディ・ウォーターズやスキップ・ジェイムスなどのアメリカのブルースミュージシャンの影響が顕著であり、同様にハウリン・ウルフの独特のカントリー・ブルーススタイルの影響が見られる。一つを除く全てのスタジオアルバムが12バー・ブルースを中心に構成されており、ブルースは音楽的にも叙情的にも他の曲に直接的および間接的に影響を与えた。バンドはまたイギリス、ケルト、アメリカのフォーク・リバイバル音楽に強く影響を受けた[14]。スコットランドのフォーク・ギタリスト、バート・ヤンシュはペイジを刺激し、ペイジは彼からオープンチューニングとアグレッシブなストロークを演奏に取り入れた。バンドはまた、ワールドミュージックや初期のロックンロール、ジャズ、カントリー、ファンク、ソウル、レゲエの要素、特に『聖なる館』とそれに続くアルバムにおいて、さまざまなジャンルを利用した。

 最初の2枚のアルバムの素材は、主にブルースのスタンダード・ナンバーとフォーク・ソングの拡張されたジャムから構成されていた。この手法は新しい曲を作り出すために、さまざまな曲やその別バージョンから音楽的要素と叙情的な要素、および即興のパッセージを混合することにつながったが、後で盗作の告発と著作権をめぐる法的紛争に巻き込まれることとなった。通常、音楽は最初に作り出され、時には即興の歌詞が付けられ、その後最終的なバージョンに書き直される可能性がある。1970年のブロン・イ・アーへの訪問から、ペイジとプラントによる曲作りのパートナーシップが支配的になり、ペイジが主にアコースティック・ギターを使ってメロディーを作曲し、プラントは歌詞を担当した。その後ジョーンズとボーナムがリハーサルやスタジオで、曲作りが進むにつれてマテリアルを付け加えていった[146]。バンドのキャリア後期になると、曲作りの上でジョーンズの役割がますます重要になり、彼はキーボードで作曲を行った。プラントはペイジとボーナムが彼らのパートを加える前に歌詞を追加した。

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1.レッド・ツェッペリン I (Led Zeppelin) 1969 music


1 Good Times Bad Times

2 Babe I'm Gonna Leave You

3 You Shook Me

4 Dazed and Confused

5 Your Time Is Gonna Come

6 Black Mountain Side

7 Communication Breakdown

8 I Can't Quit You Baby

9 How Many More Times


2.レッド・ツェッペリン II (Led Zeppelin II) 1969 music


1 Whole Lotta Love

2 What Is and What Should Never Be

3 The Lemon Song

4 Thank You

5 Heartbreaker

6 Living Loving Maid (She's Just a Woman)

7 Ramble on

8 Moby Dick

9 Bring It on Home

10 Whole Lotta Love (Rough Mix with Vocal)

11 What Is and What Should Never Be (Rough Mix with Vocal)

12 Thank You (Backing Track)

13 Heartbreaker (Rough Mix with Vocal)

14 Living Loving Maid (She's Just a Woman) [Backing Track]

15 Ramble on (Rough Mix with Vocal)

16 Moby Dick (Backing Track)

17 La la (Intro/Outro Rough Mix)


3.レッド・ツェッペリン III (Led Zeppelin III) 1970 music


1 Immigrant Song

2 Friends

3 Celebration Day

4 Since I've Been Loving You

5 Out on the Tiles

6 Gallows Pole

7 Tangerine

8 That's the Way

9 Bron-Y-Aur Stomp

10 Hats Off to [Roy] Harper


4.レッド・ツェッペリン IV (Led Zeppelin IV)1971 music


5.聖なる館 (Houses of the Holy)1973 music


6.フィジカル・グラフィティ (Physical Graffiti) 1975 music


7.プレゼンス  (Presence)1976 music 


8.永遠の詩 (狂熱のライヴ) (The Song Remains the Same)1976 music


9.イン・スルー・ジ・アウト・ドア (In Through the Out Door)1979 music



10.最終楽章 (コーダ) (Coda) 1982 music 





11.BBCライヴ (BBC Sessions) 1997 music


12.伝説のライヴ (How the West Was Won)2003 music 


















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